「仙台市若林区荒浜で200~300の遺体を発見」。2011年3月11日午後10時20分過ぎ、衝撃的な一報が全国を駆け巡った。津波の犠牲者が膨大な数になると予想させるニュースとして、覚えている人も多いだろう。しかし、最終的に荒浜地区周辺で見つかった犠牲者は180余り。200~300の遺体が確認された…
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京都府亀岡市の桂川(保津川)で28日に観光客向け川下りの舟が転覆し、船頭1人が死亡、1人が行方不明となった事故で、警察と消防は30日午前、遺体を発見した。京都府警亀岡署は行方不明となっている船頭の男性(40)とみて、同署が身元の特定を急いでいる。 京都中部広域消防組合によると、遺体は午前10時55分ごろ、水難事故が発生した「大高瀬」から下流約400メートルの左岸付近でみつかったという。 川下りは「保津川下り」と呼ばれ、亀岡市から京都市・嵐山までの渓流を舟で下る観光コース。運航していた保津川遊船企業組合によると、舟は午前10時40分ごろにJR亀岡駅近くの乗船場を出発し、約20分後に急流を下る途中で船尾にいた船頭が舵を空振りして「空舵(からかじ)」状態となり制御がきかなくなった舟が岩にぶつかり転覆した。 組合は29日に会見を開き転覆した舟には無線がなく、無線を乗せた後続船を待っていたことや通信
200人を超える死者・行方不明者を出した西日本豪雨から5年。土砂災害に巻き込まれながら奇跡的に一命を取り留めた男性が、初めてメディアの取材に応じました。 家族3人を亡くした男性は、この5年、誰にも話したことがない“後悔の念”を背負って生きてきたといいます。 それは「母親を救えなかった」という思い。 あの日何があったのか。初めて語る言葉には、生かされた命を大切に、という決意が込められていました。 (松山放送局ディレクター 中元健介)
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