【読売新聞】 川崎市幸区の「ミューザ川崎」のオフィス棟で25日、無料の演奏会「ミューザおんがく会」が開かれた。市内の高校に勤務する教員4人が出演予定だったが、体調不良で当日欠席に。急きょ近くにいた市民がピアノを演奏し、集まった観客か
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YMOやユーミンを手がけたプロデューサー・川添象郎氏と,ゲームミュージックの父・小尾一介氏が登壇した「黒川塾 八十九(89)」聴講レポート ライター:大陸新秩序 トークイベント「エンタテインメントの未来を考える会 黒川塾 八十九(89)」が,2023年2月24日に東京都内で開催された。このイベントは,メディアコンテンツ研究家の黒川文雄氏がゲストを招いて,ゲームを含むエンターテイメントのあるべき姿をポジティブに考えるというものである。 黒川文雄氏 今回の黒川塾のテーマは,「異端の肖像〜ユーミン,YMO,そして,ゲーム・ミュージックまで」。アルファレコードを設立し,荒井由実さん(松任谷由実さん)やイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)などをプロデュースした川添象郎氏と,同社でゲームミュージックの制作を手がけた小尾一介氏をゲストに迎え,過去・現在・未来のプロデュースとエンターテイメントのある
ソフトバンクの法人向けイベント「Pepper World 2016」発表会での模様。この2年後の2018年2月、デビュー以来所属していたバーニングプロダクションからの独立と豊原功補との交際を発表した/写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ ■キャンティといえばユーミンだけど、おキャンティといえばキョンキョン 「週刊アサヒ芸能」9月10日号の表紙に「小泉今日子『共産党から出馬』準備」という見出しが踊った。中身を見ると大した話ではなく「コロナ禍『芸能事件簿』セレクション」という5頁企画のなかで20行程度触れられているだけだ。それももっぱら「政治部記者」による匿名証言である。 この記事の写真はこちら 「22年の参院選で共産党は目玉候補として、小泉今日子(54)を出馬させるという話が永田町に流れているんです。実際、ツイッターで小泉は安倍政権批判を繰り返し、5月末には共産党の機関紙『し
オラ、島猫。 「ユーミン死ね」と言った奴を殴るために 山から下界に降りて来たぞ。 んで、バカを殴るのもつまらないので、 方向転換して、「ユーミンを死ぬほど聞いてみた」ぞ。 300曲×4回は聞いたぞ。 オラ、正直言って、今まではあまりユーミンは 聞いていなかったんだ。 それでも、コンサートには2回ほど行ったよ。 気にはかかっていたんだね。 www.gentetsu.com ----------------------------------------------------- ほら、人生を歌う「中島みゆき」、 恋愛を歌う「ユーミン」っていう イメージを持っていて、 個人的には「中島みゆき」派だったんだ。 男としては、女の歌う恋愛ソングって、 恐怖を感じるんだ。 わかるかな。 女の歌う恋愛ソングって、恐怖・悪夢なんだ。 松任谷由実40周年記念ベストアルバム 日本の恋と、ユーミンと。 (通常盤
ネットは言論の場としては、けっこうひどいところだ。私も長くブロガーやっているし、いただく反応のなかにも、ひどいこと言うなあというものがある。匿名で誹謗する人が多いが、匿名と限らないし、大学の先生だったりすることもある。ということを確認させられたのが、ユーミンに寄せられた罵倒で、「荒井由実のまま夭折すべきだったね。本当に、醜態をさらすより、早く死んだほうがいいと思いますよ。ご本人の名誉のために」というのが、ネットで話題になっていた。 村上春樹もそうだが、ユーミンも、初期作品や中期作品で強固なイメージが作られてしまい、最近の佳作があまり理解されない。特に、ユーミンはそうだなと思う。私にしてみると、ユーミンが長くシンガーソングライターを続けてくれることで、老いと恋の苦悩の美しい曲が聞けて、幸せだなと思う。 そんな曲を5つ紹介。ユーミンを語るなら聞いてほしいなとも思う。 「もうここには何もない」
なぜこの人の歌声はこんなにも深く胸に響くのだろう。18歳で世に出た天才ミュージシャンは、幼いときから「普通の子」ではなかった。これはユーミンが、まだ誰も知らないひとりの少女だった頃の話。 私、有名になりたい 「あれはまだ、彼女が15歳の頃。初めて会った彼女はおかっぱ頭で顔中にニキビのある、あどけない少女でした。でも当時から彼女は自分の曲を作っていたし、その完成度や新しさには光るものを感じていました。 彼女は僕がいたバンドのコンサートにもよく遊びに来ていました。ある日、楽屋で『由実ちゃんは将来、何になりたいの?』と聞いたことがあったんです。すると、彼女は『私、有名になりたい』と決意した表情で言うんです。 僕は思わず『そうか。有名って、僕の母国語の中国語ではユウミンって読むんだよ。ちょうど、童話のムーミンが好きな由実ちゃんの名前とも音が似ているね』と返しました。あのときこそ、彼女の愛称『ユーミ
万人に公開されているSNS上ですら、あの暴言である。非公開の講義では一体、どんな様子なのか。その風景を覗いてみると……。 *** 「ユーミン暴言」を聞いて、 「白井先生が言いそうなことだな、と思いましたよ」 と言うのは、数年前、彼の授業を受講していた京都精華大の卒業生である。 「あの人、授業自体は極めて真面目なんです。ただ、政治の話になると“別人”になる。必ず安倍首相の悪口になって最後は止まらなくなる……」 ご存じない方のために説明しておくと、白井聡・専任講師(43)は早大を出て一橋大の大学院で博士号取得。専門はレーニン研究だったが、2013年、『永続敗戦論』が複数の賞を受賞すると、リベラル論壇のスターに。以来、安倍批判で引っ張りだことなった若手学者だ。 その白井氏、首相の退陣を聞いて舞い上がってしまったのか、辞任会見を受けて「泣いちゃった。切なくて」とラジオで発言した歌手の松任谷由実に対
川崎市幸区の「ミューザ川崎」のオフィス棟で25日、無料の演奏会「ミューザおんがく会」が開かれた。市内の高校に勤務する教員4人が出演予定だったが、体調不良で当日欠席に。急きょ近くにいた市民がピアノを演奏し、集まった観客から温かな拍手を浴びた。 【写真】聴衆の前で9曲を披露した男性 代役をつとめたのは、幸区の会社員男性(46)。1階のストリートピアノを弾いていたところ、出演者の欠席で焦っていたミューザの担当者らに「何とか弾いてくれないか」と頼まれ快諾。音楽は趣味程度だというが、会場のグランドピアノで松任谷由実の「やさしさに包まれたなら」や椎名林檎の「丸ノ内サディスティック」などを暗譜で披露してみせた。 会場には親子連れなど約30人が集まっており、1歳の長男と訪れた横浜市鶴見区の主婦(37)は「最初は中止と聞いてがっかりしたが、(男性が)上手に弾いてくれて楽しかった」と笑顔。男性は「自分にできる
ファンの悲壮な顔に愕然とした ――来年70歳を迎えられる達郎さんですが、コンサートではファンに「みんなかっこよく年を取っていこう」と呼びかけるのが、近年の恒例になっているようですね。 山下「ちゃんと健康管理して、身体と心を平穏に、という呼びかけです。僕は、お蔭さまで体は丈夫です。タバコは35歳でやめたし、歯もいまだに自前。8020も夢じゃない。まずは健康第一、それが大前提。 と同時に、『後半生をどう生きるべきか』という哲学的な問いも、あの言葉には込めています。2008年のリーマン・ショックの後、コンサートを観に来てくれるお客さんの顔つきに愕然としたことがあって。特に男性ですね、表情に悲壮なものがありました。そんな人たちを前にすると、お互い頑張って生きていこうよ、という以外に言葉が出ない。 その人なりの夢を手放さずに努力を続けることが難しい時代になって久しいですよね。バブル時代には、それこそ
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◆◆◆ 「高校の頃、家に帰ると母と同級生が麻雀していてなぜかユーミンもいて…」 1952年6月6日、東京に生まれた高橋幸宏の父は会社経営者で、軽井沢に別荘を持ち、長じると一家は夏には軽井沢という生活を送っていた。後に音楽プロデューサーとなる兄の高橋信之は高校生のときにバンドを組み、高橋幸宏も小学生の頃からドラムを始めた。ドラムを選んだ理由は<ドラムを練習できる家に住んでいる子どもがそうはいなかった>のも理由のひとつだと後年のインタビュー(ユリイカ2013年10月臨時増刊号/インタビュアー:青野賢一)で話している。 中学生になると自分のバンドも始めた。メンバーは後にバズを結成する東郷昌和ら。荒井由実もメンバーに加わることがあった。のちのユーミンである。当時、高橋幸宏は15、16歳、ユーミンは14歳。当時の高橋幸宏の実家は200坪を超える大きな日本家屋で、そこには多くの人が集まった。 立教高校
自分、元の白井氏の投稿、「あー、これ削除されるかもしれないな」と思って、ファイルを保存していたんです(笑)「よーし、ビンゴだ!」(ハリウッド映画のハッカー風に)・ 松任谷由実さんに「早く死んだほうがいい」 政治学者・白井聡氏、物議の発言削除し「つい乱暴なことを口走ってしまいました」 www.j-cast.com で、「つい言ってしまった」発言だったはずなのですが、そこに寄せられたコメントは共感と賛同の嵐。「死んだほうがいい」をたしなめるようなコメントはほんのわずかでした。 以下、投稿者の氏名は抜いたうえで検討しよう。 作られた虚像の1人かもしれないとマジに思いました。曲によってはいいなと思ったものもあったけれど、ヒットメーカーと呼べるほど国際的な評価も無く、歌唱も決して上手いとは言えない。 世論扇動の好例かもしれませんね。ユーミンも落ちたもんだ。 右翼の大物が後援してると聞いた事があります
ミュージシャン、そしてファッションデザイナーとしても活躍した高橋幸宏が誤嚥性肺炎のため1月11日に亡くなった。享年70。「ライディーン」など数々の名曲を世に送り出した彼の足跡を、公私ともに親交の深いライターが振り返った。 【画像】高橋幸宏が遺した数々の作品を見る ◆◆◆ 「高校の頃、家に帰ると母と同級生が麻雀していてなぜかユーミンもいて…」 1952年6月6日、東京に生まれた高橋幸宏の父は会社経営者で、軽井沢に別荘を持ち、長じると一家は夏には軽井沢という生活を送っていた。後に音楽プロデューサーとなる兄の高橋信之は高校生のときにバンドを組み、高橋幸宏も小学生の頃からドラムを始めた。ドラムを選んだ理由は<ドラムを練習できる家に住んでいる子どもがそうはいなかった>のも理由のひとつだと後年のインタビュー(ユリイカ2013年10月臨時増刊号/インタビュアー:青野賢一)で話している。 中学生になると自
今年、松任谷由実はデビュー50周年を迎えた。高度経済成長期に少女期を過ごし、学生運動が世間を揺るがす頃にデビュー。80年代には自立する女性像を描いて女性たちの支持を集め、以降、さまざまなブームを牽引した。世に送り出した曲は600曲を超え、シングル・アルバムの総売上枚数は4000万枚以上。50年の間にはプレッシャーや心身の不調に苦しんだ時期もあったという。世の中がどう変わろうとも、届けたいものとは。(取材・文:内田正樹/撮影:玉川竜/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部/文中敬称略) 「50年なんて吹けば飛ぶようなものだなって思います」。そうさばさばと言ってユーミンは笑顔を見せる。 1972年の荒井由実名義でのデビューから今日までに発表されたナンバーは436曲。80年代後半から90年代後半にかけてのオリジナルアルバムは10作連続でミリオンを売り上げ、他者への提供曲も含めると600曲以
歌詞の意味が古びることのない1976年のヒット曲 荒井由実!当たり年です! このころは、プログレッシブロックのイエスや、 そのキーボード担当だったリック・ウエイクマンなどばかり聴いていて、 日本のヒット曲は聴いていなかったと思い込んでいましたが、 実はあったんですね www.aiaoko.com まずは、前回の1975年でも出てきた「卒業写真」同様、ユーミンがまだ荒井由実だったころの曲、「翳りゆく部屋」です 「翳りゆく部屋」は、これでもかというほど好きです エレファントカシマシがカバーする「翳りゆく部屋」など、 もう何度も何度も聴きまくるほどロックしています 心の叫び!ですよね ユーミンの作詞作曲もすごいし、 エレファントカシマシの歌もすごい 必ずや聴かせてほしい曲です プログレッシブロックのイエスしか聞かないよ的なポーズをとっていた私も、 1976年ばかりは、クイーンの「ボヘミアン・ラプ
洋楽ヒット曲の1975年は10cc「I'm not in love」と歌詞の意味 1975年。クイーンもあるし、KISSもあるし、何を持ってこようかなあと思いましたが、 www.aiaoko.com 私の場合はやはりコレです アイム・ノット・イン・ラヴ ( I'm not in love) 10cc (テンシーシー)1975年 歌詞と曲のイメージの違いに今になって驚く - あい青子「大好きだった曲」と「手離し服」で幸せを感じる「認知症の予防と介護」 10ccというグループ名や曲名を忘れてしまう認知症になっても、この曲は絶対に忘れないし反応します。断言。 ^_^ ↑過去記事で、「歌詞」の意味を調べてエエエーっ!という話を書きましたが、ほら、認知症になった暁には歌詞の内容など、もうどうでもいいのです 必ず、聴かせてほしい1曲ですね 冷たい男、素直になれない男はお好きですか? I'm not i
ユーミンって、荒井由実のときも松任谷由実のときも、私たちにとって「歌」だけではなく、ファッションのリーダーでもある「オシャレ番長」でしたよね ユーミン(松任谷由実)(荒井由実)の記事のまとめです このブログを始めた時 私は自分の音楽の趣味は「ロック」なのだと思っていました 歌謡曲や日本のポップスは、子供の時からずっと聞かない人だったと思いこんでいました いやいや 忘れているだけで いろいろと聴いていましたよ ^_^ ユーミンは、その代表です ファンの方の前ではお恥ずかしいけれど 「大好きな曲」がたくさんありました 懐かしい曲のかずかず よろしかったらどうぞ 1975年の認知症対策の曲は「卒業写真」ハイ・ファイ・セット(荒井由実)/ 介護の「制服」は柄物のスカートを手離す - あい青子「大好きだった曲」と「手離し服」で幸せを感じる「認知症の予防と介護」 (aiaoko.com) 「翳りゆく部
リンゴがボーカル!ビートルズ「アクト・ナチュラリー」 ビートルズ この曲名を聞いても、メロディーが出てこなくても、 (アルバムB面の最初の曲なので、前の曲に引き続いてメロディが頭の中で鳴ることもないんです、レコード世代でしたから) 大丈夫! リンゴの曲です これこれ!ですよね? 7月7日はリンゴの81歳のお誕生日 リンゴ!おめでとうございます ポールとリンゴが元気でいてくれて、なにより嬉しいですよね ほっこり ^_^ 「アクト・ナチュラリー」( Act Naturally) Act Naturally (Remastered 2009) - YouTube カントリーです しかも、この曲はカヴァー曲だそう アメリカに住むようになって、田舎の細い道などを車で走っていると ラジオからながれるカントリーが微妙に心地いいんですよね その土地の食べ物、その土地のワインと同じです(って飲めないくせに)
#2 1974年にオープンした本格的なロックのライブハウス ロフト3軒目の荻窪ロフトは、1974年11月に中央線・荻窪にオープンした、当時はまだ珍しかったロック系ライブハウスだ。広さは35坪で、隣近所に遠慮なく音が出せるようにと地下へ潜ることになった。 細野晴臣、坂本龍一、はちみつぱい、シュガー・ベイブ、ハイ・ファイ・セット、イルカ、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド、大貫妙子、鈴木茂、RCサクセション、サンハウス、四人囃子、桑名正博、ティン・パン・アレー、矢野顕子などのライブを行なった。 その動員力はニューミュージックというジャンルを不動のものとし、以後の第一次ライブハウス・ブームの火付け役となった。1980年に閉店。 西荻窪ロフトをオープンしてからまだ半年足らずだった頃、私は自由に爆音を出せる「ロックの空間創作」を夢想した。それが荻窪ロフトとして結実したのだ。 そうした本格的なライブハウ
「あの番組に携われたのは俺、ホンマに幸せやね」 明石家さんまがそう語る番組が1986年と1987年のクリスマス・イブのゴールデンタイムに放送された『メリー・クリスマス・ショー』(日本テレビ)だ。 桑田佳祐の呼びかけで、アン・ルイス、チェッカーズ、Char、吉川晃司、小泉今日子、BOOWY、THE ALFEE、忌野清志郎、米米CLUB、中村雅俊、鈴木雅之、泉谷しげる、爆風スランプ、鮎川誠、山下洋輔、そして松任谷由実らがレコード会社の垣根を超えて集結した音楽バラエティだ。31歳だった明石家さんまは、この個性の塊のような豪華アーティストたちを司会としてまとめあげた。 30年以上、再放送もされていなかったというこの番組の貴重な映像の一部が12月1日の『誰も知らない明石家さんま』(日本テレビ)で放送された。 流されたのは、この番組のために桑田佳祐が作曲し、松任谷由実が作詞してつくられた「Kissin
フランソワーズ・アルディは、お聴きになりましたか? 私は夢中になって聴いていましたよ フランス語の響き、オシャレで素敵でしたよね ファッションと同じで、トキメキました まずは、スカーフのまとめから これで、全色5色なり さて、どの色を残して、どの色を手離しましょうか? 悩みます フランソワーズ・アルディの「さよならを教えて」 イントロから、いいですよね お洒落です 前に書いたミッシェル・ポルナレフは、フランス勢の中でも、スター中のスターで別格でしたが↓ 服の手離し&ミッシェル・ポルナレフ!Michel Polnareffは「シェリーに口づけ」Tout, tout pour ma chérie 1971年 などのヒット曲でフレンチ・ポップスのスターだった - あい青子「大好きだった曲」と「手離し服」で幸せを感じる「認知症の予防と介護」 フランスの女の子たちは、それはそれは魅力的でした 以前に
プロコル・ハルムの「青い影」1967年 曲(音)を貼り付けた方の記事はコチラです www.aiaoko.com この曲、1967年のデビュー作だそうです 私は、6歳か7歳です、子供でしたが衝撃でした まずは、コートの手離しから このコートは、ダッフルコートにしては、丈も長いし、色もワインカラーで渋い感じで、素材も柔らかく上質で、気に入ってました 今回、手離すことに決めたのは、やはりコーディネートの問題です 写真のように、マックロクロスケに合わせるのが好きだったのですが、 90代の両親との生活で、縁起の悪いオールブラックの服装はやめました つまり、コートの下の服装が、かなりカラフルなんですね そこに、このコートを重ねると、なんというか、チャンチャンコ? 姉や(婆や)の、子守服? という感じになり、組み合わせというのは、大切だなあと、しみじみ思う結果となりました たくさん感謝して、送り出したい
NHKは12月7日、大みそかに放送する「第73回NHK紅白歌合戦」の特別企画として、シンガーソングライターの松任谷由実さんが、AI技術により再現された50年前の自分(以下、AI荒井由実)と共演すると発表した。 NHKは紅白歌合戦の特別企画について「青春時代の自分との時空を越えた共演は、多くの視聴者にエネルギーを与えるパフォーマンスとなることでしょう」としている。 AI荒井由実は、東京大学大学院の高道慎之介助教授(情報理工学系研究科システム情報学専攻)を中心とする研究グループと東映ツークン研究所がデビュー当時の荒井由実さんの歌声を人工的に再現したプロジェクト。1970年代から80年代にマルチトラック収録された音声を元に、声情報処理技術と機械学習を駆使して当時の声色や歌唱表現を再現したという。 松任谷さんは、1980年ごろに作ったという未発表の楽曲に歌詞を書き下ろし、AI荒井由実とデュエット。
ハードロックの前に、 ちょっとまったーーーー!!! サザンやユーミンの「時代の歌」もありましたよね 大昔の失敗 学生の頃、 母(我が家の認知症のばあちゃん)の古着、すなわち、ツイギーが流行った頃のグリーンのノースリーブのミニワンピースに、グリーンのタイツを合わせて、 これまた古着の黄色のレースの半袖カーディガンを羽織って、 意気揚々と学校に向かったことがあるんですよね いや、もうね、電車内で、いたたまれない「視線」でしたよ 大汗です そしてね、学校につくと、速攻で、 「ピーターパン?!」と声をかけられました 文化服装学院とかモード学園とかね、そういう「アバンギャルドな人たち」がたくさんいるような学校ではありませんでしたから、 変な人、で、おしまいですよね^_^ ニュートラ、ハマトラ、サーファーの時代でした ファッションって、楽しいんだけれど、 「当社比!」を押しとおせない時もある という、
今日は3つの話題を詰め込む記事になりますが。 まず1つ目の話題は、昨夜放送された「M-1グランプリ」について。 ここ数年、見逃してた番組だったんですけれど 久しぶりに見てみようかなっと思って見てみたら 今年は常連さんが少なくて、まだ知名度の低い芸人さん達が集まってたので 目新しさや、テレビ慣れしていない初々しさを感じられて良かったです。 M-1大賞を受賞したのは☟【ミルクボーイ】というグループで 「コンフレーク」ネタが凄くウケて 過去最高得点を獲得して、準決勝で暫定1位の座に登りつめ 決勝戦で圧勝して大賞を受賞しましたけれど。 決勝戦で披露したネタが「コンフレーク」ネタと同じパターンで ❝コンフレーク❞を、ただ❝どら焼き❞に置き換えただけの内容だったので 個人的には、面白みが半減しちゃったんですよねぇ💦 他の全く違うパターンのネタをやっても面白いのかどうか? そういう芸人としての幅の広さ
「青い影」はバッハが元歌の「名曲」です A Whiter Shade of Pale(青い影)プロコル・ハルム youtu.be 似ている曲ってありますよね 前回、プロコルハルムの「青い影」のことを書きましたが、↓ 【青い影】プロコル・ハルムの「A Whiter Shade of Pale」(1967年)とバッハの「G線上のアリア」とユーミン(コード進行の似ている曲)は映画、ドラマ、CMの主題歌に多用された - あい青子「大好きだった曲」と「手離し服」で幸せを感じる「認知症の予防と介護」 この曲は、どんどん、たくさんの大好きな曲につながっていきます こういうコード進行の曲って、いいですよね まずはコートの手離しのまとめから 全身黒い服を着ていた時は、こういうカラフルなコートが大活躍でした 今も、マックロクロスケな服装は大好きですが、高齢の両親と暮らす中、縁起が悪いのでやめています^_^ 家
1981年のヒット曲を「認知症の予防と対策」のために調べました 聴くと認知症に効果がある「大好きだった曲」は、大きくわけて 10歳から20代までの期間に好きだった曲 60代から認知症になるまでの期間に好きだった曲 の2グループに分けられるようです 感受性豊かな時期と、直近の時期ということでしょうね この期間に自分が「大好きだった曲」のリストを作っておくことは、認知症の予防と対策に効果があると信じて、今回も1981年に好きだった曲を探してみました 荒井由実の曲が好きだった ユーミンのファンといえるほど、たくさんの曲を聴いたことはないのですが、 荒井由実時代のユーミンの作品には大好きだった曲が多いです ユーミンご自身が、プロコルハルムの「青い影」が好きだったと話されているようですが 私も10歳から始まる「認知症に効果がある大好きだった曲」の始まりは、プロコル・ハルムの「青い影」だったかもしれま
どーも、ShinShaです。 今日はユーミンのデビュー40周年ベストアルバムの記事です。 コアのファンではなかったけれど、ずっと彼女の曲を聴いてきました。 「春よ来い」「守ってあげたい」「ひこうき雲」・・・ 彼女はそれだけヒットを飛ばしてたからね。 このアルバム、主要な曲はぜんぶ入っています。 アルバムタイトル『日本の恋と、ユーミンと。』 すばらしいコピーですね。 当時を生きた人なら、誰でもユーミンの曲とつながる恋の記憶をもっているはずです。 時々、ユーミンのなつかしいあの歌を無性に聴きたくなりますね。 『日本の恋とユーミンと』2012年 「Hello, my friend」 1994年 「ルージュの伝言」 1975年 「時をかける少女」1983年 「春よ、来い」1998年 ひこうき雲 1973年 Apple Music おすすめです! amazon商品リンク あとがき 『日本の恋とユーミ
――来年70歳を迎えられる達郎さんですが、コンサートではファンに「みんなかっこよく年を取っていこう」と呼びかけるのが、近年の恒例になっているようですね。 【画像】チケットが入手困難で有名な山下達郎さんのコンサート風景 山下「ちゃんと健康管理して、身体と心を平穏に、という呼びかけです。僕は、お蔭さまで体は丈夫です。タバコは35歳でやめたし、歯もいまだに自前。8020も夢じゃない。まずは健康第一、それが大前提。 と同時に、『後半生をどう生きるべきか』という哲学的な問いも、あの言葉には込めています。2008年のリーマン・ショックの後、コンサートを観に来てくれるお客さんの顔つきに愕然としたことがあって。特に男性ですね、表情に悲壮なものがありました。そんな人たちを前にすると、お互い頑張って生きていこうよ、という以外に言葉が出ない。 その人なりの夢を手放さずに努力を続けることが難しい時代になって久しい
小林麻美さん(右)と林真理子さん (撮影/写真部・加藤夏子) 小林麻美(こばやし・あさみ)/1953年、東京都生まれ。72年、「初恋のメロディー」で歌手デビュー。70年代後半、資生堂、パルコなどのCMが話題に。84年、松任谷由実がプロデュースした「雨音はショパンの調べ」が大ヒット。91年、結婚を機に引退。主なアルバムに「CRYPTOGRAPH~愛の暗号~」「ANTHURIUM~媚薬」「GREY」。主な映画出演作に「野獣死すべし」「真夜中の招待状」。2016年、「クウネル」(マガジンハウス)の表紙で25年ぶりに復活。四半世紀の沈黙を破った新刊『小林麻美 第二幕』(延江浩著、朝日新聞出版)が好評発売中 (撮影/写真部・加藤夏子) 80年代、抜群のセンスで憧れのミューズとなり、「雨音はショパンの調べ」で鮮烈な印象を残した小林麻美さん。極秘出産と結婚を同時に発表して、91年に突如引退してから29年
今日は、久しぶりに青空が見れた。 今日の空。朝は雲が多め。雲の間から見える青空が嬉しい(*´ω`*)。海の方は朝から入道雲。夏だねヾ(*´∀`*)ノ 洗濯物、2回転出来た。 シーツも洗濯できてスッキリ。 だんだん雲が流れて青空が多くなる。 夕方、夏の夕立のような雨。 雨が降る前の空。 神秘的な雲。自然の見せる美しい景色。雲の間から龍が出てきそう・・・。龍のお腹が雲の間から見えてるみたい・・・。 雨はほどなく上がる。 雨が上がった直後の雲。暗雲。水墨画みたいだけど迫力がある。 雨も上がったし(雨でも行ったけど(;'∀'))、 お気に入りの店へ行くことに(´∀`*)エヘヘ。 雨の後は空気が洗われたように、青さが鮮やかになる( *´艸`)。凄い!! お店で、懐かしい人に出会った。 凄くご無沙汰していて、思いがけなくて、泣きそうになった。 今日、会えてよかったことを伝えたけど、もっと気の利いた言葉
最近ユーミンを聴いている。 自分のベストを作って。 やっぱり、ユーミンはいい。 ユーミンを聴いてた頃の私に戻してくれる。 無条件で(´-`*)。 nekotokurasu.hatenablog.jp 「ナビゲイター」 1977年11月、「遠い旅路」のB面として9枚目のシングルで発売された。 中学の頃、友人が貸してくれたレコード盤を聞いて、ユーミンのファンになった。 『ALBUM』に収録されていて、何度も聞いたな。 この中の「消灯飛行」もとても素敵な曲だけど、CD化されてなくて・・・ レコードプレーヤーを持ってない私は、「ALBUM」を聞くことができない(;´Д`)。 このLPレコードは名曲ぞろい。 何度も何度も聴いた。 「ナビゲイター」もその中の1曲。 心が震える。 地平線に沈む夕日が目に浮かぶ。 オレンジ色に染まる。 土煙をあげて、ジープが小さくなっていく。 夕日に向かって。 (なぜか、
2020年08月31日18:05 【炎上】京都精華大・白井聡、安倍総理辞任会見に涙したユーミンに「早く死んだほうがいい」と暴言 カテゴリネットウォッチコラム・話題 Comment( 180 ) 転載元:http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1598853264/ 1:2020/08/31(月) 14:54:24芸能界にもアベノショック…松任谷由実、会見見て「泣いちゃった。切なくて」 https://news.line.me/issue/oa-sanspocom/ta7bxwovm1er ↓ 白井 聡 1日前 荒井由実のまま夭折すべきだったね。本当に、醜態をさらすより、早く死んだほうがいいと思いますよ。 ご本人の名誉のために。 https://www.facebook.com/satoshi.shirai.18/posts/4268478399
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