ウクライナのゼレンスキー大統領は16日、米連邦議会でオンラインによる演説をした。「ロシアはわが国の領土だけでなく、基本的な人間の価値や自由に生きる権利を攻撃している」と強調。ウクライナ上空の飛行禁止区域の設定、防空システムや戦闘機の供与などの追加支援、ロシアからの米企業の全面撤退などを求めた。 ゼレンスキー氏は「1941年の(日本による)真珠湾攻撃を思い出してほしい。(2001年の)米同時多発テ…
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1941(昭和16)年12月8日のハワイ・真珠湾攻撃で戦死認定された航空兵55人には、冷徹なまでの「死後の選別」があった--。79年前のきょう、太平洋戦争の戦端を開いた戦果を受け、攻撃に加わって亡くなった彼らに対し、軍部は異例の「2階級特進」を適用した。だが、この処遇から6人だけが除かれ、1階級の進級にとどまっていたことが分かった。敵前逃亡など、あからさまな咎(とが)があったわけではない。同じ作戦に基づいて、同じ戦闘に、同じ航空部隊から参加して命を落とした兵士に、なぜ明確な格差が生じたのか。(小川 晶) 神戸新聞社の神戸本社11階、文化部フロアの片隅に、年季の入った1台のコンピューターがある。1990年代のデスクトップパソコンのような、厚みのある外観。社内では「マイクロフィルム」の名で通る。過去の新聞記事が焼き付けられたフィルムを、コマ送りで見ることができる装置だ。 航空機事故を取材する新
ダウンタウン・松本人志(58)が20日、フジテレビ「ワイドナショー」(日曜前10・00)に出演。ロシアのウクライナ侵攻をめぐり、ウクライナのゼレンスキー大統領が各国議会で演説していることについて言及した。 【写真】ウクライナのゼレンスキー大統領 ゼレンスキー氏は16日の米国議会でオンライン演説に臨み「1941年の真珠湾攻撃を思い出してほしい。空が戦闘機で黒くなった。2001年の米中枢同時テロを思い出してほしい。空からの攻撃で街が戦場と化し、罪のない人々が攻撃を受けた。同じ状況がウクライナでは毎日起きている」と述べて、さらなる支援を求めた。 この演説について、松本は「真珠湾攻撃を出してきたのは引っかかる。日本人としては受け入れがたいところがある」と述べた。第2次世界大戦で日本が米国に対して仕掛けた奇襲作戦だったが「奇襲攻撃だったのは間違いないけど、民間人を巻き込んだわけではない。今回のケース
真っ青な空と、透き通る海。 楽園のようなハワイの光景とあまりにもかけ離れた“異形”の物体が、海底に無残な姿をさらしている。 アメリカの戦艦アリゾナ。 80年前、日本軍によるハワイ・真珠湾への奇襲攻撃で、アリゾナは1000人を超す兵士とともに沈められた。 今も真珠湾一帯は、アメリカ軍の重要な拠点となっており、取材や撮影のハードルは高いが、今回、特別の許可を得て撮影を敢行した。 80年の時が流れているにもかかわらず、激しい戦闘の傷痕が、そこかしこに生々しく残されていた。 (NHKスペシャル「新・ドキュメント太平洋戦争」取材班/在米ジャーナリスト 野口修司) 1941年12月8日(現地時間7日)、日本とアメリカは4年近くに及ぶ戦争へと突入した。 太平洋戦争である。 緒戦こそ日本軍の勝利に終わったが、アメリカ軍の反転攻勢以降、日本は終始劣勢を強いられ、最終的には300万近い死者を出し、国土は灰じん
吉岡政光さん103歳。 魚雷を落とす雷撃機の搭乗員として 真珠湾攻撃に参加。 当時23歳でした。 ○元搭乗員 吉岡政光さん(取材時103歳) 「私が魚雷を落とした時間がですね 日本時間の午前3時33分 真っ白い水柱がこう浮かび上がってくる 『ああ当たったぞ!』と」 魚雷を落としたい、 あてたいということしか考えてなかった」 80年前、 旧日本軍がアメリカ・ハワイを 奇襲した「真珠湾攻撃」。 その後に続く太平洋戦争の始まりとなりました。 この時、吉岡さんが乗っていたのが 97式艦上攻撃機。 今回、その攻撃機の初期型のレプリカが 制作されている場所を訪ねました。 ○櫻井 「吉岡さん覚えてますか?」 ○元搭乗員 吉岡政光さん(取材時103歳) 「はい」 重さ800キロを超える 魚雷を抱え飛行した攻撃機。 ○元搭乗員 吉岡政光さん(取材時103歳) 「ちょっと降ろさせていただいていいですか」 吉岡
<9.11と並べられて不愉快だと言う人たちは、真珠湾攻撃は「軍施設のみを標的とした紳士的攻撃」だというのだが> 1941年12月7日の真珠湾攻撃で沈む戦艦アリゾナ。これと9.11とは別物なのか Navy/U.S. Naval History and Heritage Command/Reuters ウクライナのゼレンスキー大統領が、3月16日に米連邦議会のオンライン演説で「9.11」と「真珠湾攻撃」を取り上げたことで、特に日本の保守派から猛烈な反発が沸き起こっている。そのほとんどが、「9.11」はワールドトレードセンター等を標的とした民間人へのテロだが、真珠湾攻撃は軍事施設を標的とした攻撃であり、同列に論じられるのは不愉快である、というもので、これを以て「ゼレンスキーやウクライナへ同情するのをやめた」という日本の保守派ユーザーからの嫌悪感が沸き起こっている。【古谷経衡(作家)】 【動画】惨
「今週、アメリカでは、真珠湾攻撃や9.11のような瞬間が起きるだろう。その瞬間は、局所的ではなく、全国的に起きることになる」 米国時間4月5日、フォックス・ニュースに出演した米公衆衛生局長官のジェローム・アダムス氏がそんな警告をした。 アメリカの新型コロナウイルス感染による死者数は1万人を超えた。この数は真珠湾攻撃の4倍、9.11の3倍を超えている。真珠湾攻撃も9.11もアメリカにとっては歴史的なカタストロフィーだったが、米政府は今、新型コロナを、それ以上のカタストロフィーだと捉えているのだ。 米国立アレルギー感染症研究所所長アンソニー・ファウチ博士もCBSテレビの“フェイス・ザ・ネイション”に出演し、「今週は悪い週になる」と予告。 米新型コロナタスクフォースの対策調整員デボラ・バークス氏に至っては、感染者が増加している州の人々に対して「食料品店にも行くべきではない」とまで言って釘を刺した
ウクライナから米議会に対しオンライン形式で演説するウォロディミル・ゼレンスキー大統領(2022年3月16日撮影)。(c)SARAH SILBIGER / POOL / AFP 【3月16日 AFP】(更新)ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー(Volodymyr Zelensky)大統領は16日、米議会に対しオンライン形式で演説した。この中で大統領は、ロシアによる侵攻の恐怖を、2001年の米同時多発攻撃や1941年の旧日本軍による真珠湾(Pearl Harbor)攻撃になぞらえ、ウクライナ上空での飛行禁止区域の設定を改めて訴えた。 ゼレンスキー氏は、ロシア軍に包囲されているウクライナの首都キエフから演説に臨んだ。ナンシー・ペロシ(Nancy Pelosi)下院議長がウクライナ語で「ウクライナに栄光を」と述べてゼレンスキー氏を迎えると、議員らは立ち上がり、熱烈な拍手を送った。 「真珠湾を
「(敵弾の)光が自分に当たる!と思ったら、飛行機のそばでパッと分かれて通り過ぎる。気持ち悪い感覚です」 80年前の太平洋戦争開戦、真珠湾攻撃に参加した元搭乗員(103)は、あの日を鮮明に記憶している。 しかし近い将来、戦争体験者がゼロになる日は確実に来る。 そのとき、私たちはこの未曾有の体験をどう次世代につないでいくのか。 専門家の間では、新しいテクノロジーを駆使した「戦争体験」継承の模索も始まっている。 (NHKスペシャル「新・ドキュメント太平洋戦争」取材班/ディレクター 秋山遼) 「太平洋戦争に日本は勝利した」「真珠湾があるのは沖縄県」 戦争に関するある意識調査の結果で、そう答えた人が少なからずいたと聞いて私たちは驚くとともに危機感をもった。 太平洋戦争80年というタイミングで、新シリーズ「新・ドキュメント太平洋戦争」を立ち上げることになったのだが、最大の課題は、いかにして若い世代に、
1941(昭和16)年12月8日のハワイ・真珠湾攻撃で戦死認定された航空兵55人には、冷徹なまでの「死後の選別」があった--。79年前のきょう、太平洋戦争の戦端を開いた戦果を受け、攻撃に加わって亡くなった彼らに対し、軍部は異例の「2階級特進」を適用した。だが、この処遇から6人だけが除かれ、1階級の進級にとどまっていたことが分かった。敵前逃亡など、あからさまな咎(とが)があったわけではない。同じ作戦に基づいて、同じ戦闘に、同じ航空部隊から参加して命を落とした兵士に、なぜ明確な格差が生じたのか。(小川 晶) 神戸新聞社の神戸本社11階、文化部フロアの片隅に、年季の入った1台のコンピューターがある。1990年代のデスクトップパソコンのような、厚みのある外観。社内では「マイクロフィルム」の名で通る。過去の新聞記事が焼き付けられたフィルムを、コマ送りで見ることができる装置だ。 航空機事故を取材する新
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戦前の日本が「間違っていた」とするのは思考停止である 1941年12月8日(日本時間)、ハワイ、オアフ島の真珠湾に停泊するアメリカ太平洋艦隊に、350機の日本海軍の攻撃機が奇襲を仕掛けた。真珠湾奇襲である。 多くの日本人は、真珠湾奇襲に由来する太平洋戦争あるいはそれに至る戦前の日本政治外交が道徳的に「間違っていた」と教えられる。しかし単に何かが悪かったと感情的に論じるのは思考停止に他ならない。そうではなく、我々はなぜ、いかにして当該事象が起きたのかを客観・中立的そして理性的に考察する必要がある。 そこで本稿では「進化政治学(evolutionary political science)」に依拠して考察を行う。日本で進化政治学をめぐる包括的なテキストは、拙著『進化政治学と国際政治理論 人間の心と戦争をめぐる新たな分析アプローチ』(芙蓉書房出版、2020年)が唯一だが、本稿で用いるのはその中で
1941(昭和16)年12月8日のハワイ・真珠湾攻撃で戦死認定された航空兵55人には、冷徹なまでの「死後の選別」があった--。79年前のきょう、太平洋戦争の戦端を開いた戦果を受け、攻撃に加わって亡くなった彼らに対し、軍部は異例の「2階級特進」を適用した。だが、この処遇から6人だけが除かれ、1階級の進級にとどまっていたことが分かった。敵前逃亡など、あからさまな咎(とが)があったわけではない。同じ作戦に基づいて、同じ戦闘に、同じ航空部隊から参加して命を落とした兵士に、なぜ明確な格差が生じたのか。(小川 晶) 神戸新聞社の神戸本社11階、文化部フロアの片隅に、年季の入った1台のコンピューターがある。1990年代のデスクトップパソコンのような、厚みのある外観。社内では「マイクロフィルム」の名で通る。過去の新聞記事が焼き付けられたフィルムを、コマ送りで見ることができる装置だ。 航空機事故を取材する新
東京都区部の集合住宅。近隣には保育園や公園もあり、夕方になると子どもの声も聞こえてくる。指定された場所に着くと、高齢の男性がこっちこっちと手を振っていた。吉岡政光さん、103歳だ。 「もう年ですから、なかなか足が思うように動かないんですよね」 照れたように笑い、ゆっくりと部屋に戻る。リビングの一角には九七式艦上攻撃機の模型が飾ってあった。 毎年12月8日が来ると、吉岡さんは古い記憶を思い出す。80年前の1941年、日本海軍が行ったアメリカ・ハワイ州の真珠湾軍港への奇襲攻撃。吉岡さんは攻撃に参加した艦載機(航空母艦に搭載される航空機)の搭乗員だった。長年、自分の子どもたちにもそのことは話してこなかった。 「負けた戦争ですし、仲間も死んでいますし、恥ずかしい思いがあったんですかね。でも、考えてみたら、あの時のことを忘れられても困る。それで話すことにしたんです」 1918(大正7)年、石川県に生
ウクライナのゼレンスキー大統領は16日、米連邦議会でオンラインによる演説をした。「ロシアはわが国の領土だけでなく、基本的な人間の価値や自由に生きる権利を攻撃している」と強調。ウクライナ上空の飛行禁止区域の設定、防空システムや戦闘機の供与などの追加支援、ロシアからの米企業の全面撤退などを求めた。 【写真】ゼレンスキー氏「真珠湾攻撃を思い出して」@米議会 ゼレンスキー氏は「1941年の(日本による)真珠湾攻撃を思い出してほしい。(2001年の)米同時多発テロを思い出してほしい。空からの攻撃で街が戦場になった。私たちはロシアによる空からの攻撃で毎日、毎晩、この3週間、同じことを経験している」と訴えた。 演説の後半は英語で語った。「我々はウクライナのためだけではなく、欧州の価値観、世界の未来のために闘っている。米国、そして米国の指導者であるバイデン大統領には平和の指導者になってほしい」と呼びかけた
約100年ぶりの世界的パンデミックに対峙した日本政府が露わにしたのは、政策をはっきり定められないトップの曖昧な姿そのものだった。それは、空気に流されるように日米開戦を決めた80年前の為政者の姿と重なる。 いま話題の、現代史家の大木毅氏が上梓した『「太平洋の巨鷲」山本五十六』では、当時の山本五十六が情勢変化を見抜きながら、彼自身も官僚組織の一員としてビジョンなきリーダー(政治)に翻弄されていく姿が描かれている。前編(『日米開戦80年の真実…山本五十六が「日本必敗論」のウラで「真珠湾攻撃」に踏み切った本当のワケ』)に続き、80年前からいまも続く「日本型組織の問題」を大木氏に聞いた。 日米開戦前の「楽観論」 ーーお話をうかがうと山本五十六の先見性や才能には惚れ惚れします。しかし、そんな山本五十六も国という大きな組織では、やはり組織人として生きざるを得なかった。国と企業という次元の違う話をして恐縮
真珠湾攻撃から今月で80年となるのを前に、アメリカの議会図書館は、旧日本軍が作成し、昭和天皇への報告にも使われたとされる当時の攻撃や被害の状況を描いた図面を公開しています。 アメリカの首都ワシントンにある議会図書館が公開した図面は、旧日本軍で当時、真珠湾を攻撃する航空部隊の隊長を務めた淵田美津雄中佐が中心となって作成されたものです。 縦80センチ、横61センチで、真珠湾に停泊していたアメリカ海軍の艦船などへの攻撃や被害の状況が描かれています。 図面には命中した爆弾の種類や魚雷の数に加え、被害の状況についても「沈没」や「大規模な損害」など4段階で記されているほか、艦船の火災の様子も詳細に記されています。 議会図書館は、図面は攻撃後、昭和天皇への報告にも使われたと説明しています。 議会図書館は、真珠湾攻撃から今月で80年となるのを前に、こうした図面などを掲載した特設サイトを開設し、高い関心を集
1941年12月7日の真珠湾攻撃で沈む戦艦アリゾナ。これと9.11とは別物なのか Navy/U.S. Naval History and Heritage Command/Reuters <9.11と並べられて不愉快だと言う人たちは、真珠湾攻撃は「軍施設のみを標的とした紳士的攻撃」だというのだが> ウクライナのゼレンスキー大統領が、3月16日に米連邦議会のオンライン演説で「9.11」と「真珠湾攻撃」を取り上げたことで、特に日本の保守派から猛烈な反発が沸き起こっている。そのほとんどが、「9.11」はワールドトレードセンター等を標的とした民間人へのテロだが、真珠湾攻撃は軍事施設を標的とした攻撃であり、同列に論じられるのは不愉快である、というもので、これを以て「ゼレンスキーやウクライナへ同情するのをやめた」という日本の保守派ユーザーからの嫌悪感が沸き起こっている。 「9.11」の時、米メディアは
旧日本軍による真珠湾攻撃で太平洋戦争が勃発してから78年。当時の記憶の風化をいかに防ぐかが課題となる中、ハワイでは日系アメリカ人が入れられた強制収容所を発掘・調査し、後世に伝えていこうという取り組みが続けられています。 太平洋戦争中、オアフ島のホノウリウリという場所にあった強制収容所です。ハワイにいた大勢の日系アメリカ人は、真珠湾攻撃を境に「敵性外国人」とみなされ、このうち、日系人社会で指導的立場にあった人など、およそ400人がここに収容されました。 収容された人たちは、戦後、釈放されたあとも、社会からの差別を恐れるなどして多くを語らず、収容所の存在は人々の記憶から長く消し去られていました。 しかし、今からおよそ20年前、日系人の人たちがこの収容所があった場所を突き止め、発掘調査を始めました。
《真珠湾攻撃80年》元参謀が語った作戦当日の朝「ニコニコしながら話し合っていた」「タバコか酒でも買いに行くような格好で静かな顔つきをしていた」 から続く 【写真】この記事の写真を見る(2枚) いまから80年前の1941年12月8日、ハワイ・オアフ島に停泊する米国太平洋艦隊に日本海軍の攻撃機が奇襲を仕掛けた。太平洋戦争開戦のきっかけとなった真珠湾攻撃である。 真珠湾作戦の中心的役割を担った元参謀・源田實氏による歴史的回顧録『 真珠湾作戦回顧録 』(文藝春秋)より一部抜粋して、真珠湾攻撃の政治的、戦略的評価について紹介する。(全2回の2回目/ 前編を読む ) ◆◆◆ 一般的に真珠湾攻撃は、戦術的には大成功であったが、政治的、戦略的にはむしろ大きな失敗であったという評価がなされている。結果から直線的な、単次元的な批判を行なうとすれば、そういうこともいえるであろう。まず政治的な評価であるが、最後通
いまから80年前の1941年12月8日、ハワイ・オアフ島に停泊する米国太平洋艦隊に日本海軍の攻撃機が奇襲を仕掛けた。太平洋戦争開戦のきっかけとなった真珠湾攻撃である。 真珠湾作戦の中心的役割を担った元参謀・源田實氏による歴史的回顧録『真珠湾作戦回顧録』(文藝春秋)より一部抜粋して、真珠湾攻撃の政治的、戦略的評価について紹介する。(全2回の2回目/前編を読む) ◆◆◆ 日本側の機械暗号が既に解読されていた 一般的に真珠湾攻撃は、戦術的には大成功であったが、政治的、戦略的にはむしろ大きな失敗であったという評価がなされている。結果から直線的な、単次元的な批判を行なうとすれば、そういうこともいえるであろう。まず政治的な評価であるが、最後通牒が攻撃後に手渡されたことは、何としても大きな失敗であった。しかもこれが、わが方の暗号翻訳に手間取ったためとあっては、何をか言わんやというところである。ともか
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太平洋戦争の開戦から、8日で78年になります。旧日本軍による真珠湾攻撃が行われたハワイのオアフ島では、攻撃が始まった時刻に合わせて犠牲者を追悼する式典が行われました。 出席者は真珠湾攻撃が始まった現地時間の7日午前7時55分(日本時間の8日午前2時55分)に合わせて黙とうを行い、攻撃で死亡したおよそ2400人を追悼しました。 続いて、アメリカ海軍ハワイ司令部の司令官が「78年前のきょう、ここ真珠湾で悲劇的な攻撃があったことを思い起こすとともに、アメリカという国の強じんさを改めて認識したい」と述べました。 そして、攻撃を受けた軍艦が今も海底に沈む海に向かって追悼の意を表す空砲が撃たれました。 式典に参加した元兵士は「当時私は20歳で、軍艦が爆発したり、転覆したりするのを見た。日本はかつては敵だったが今は仲間であり、アメリカにとって重要な同盟国になっている」と話していました。 真珠湾攻撃から7
1941(昭和16)年12月8日のハワイ・真珠湾攻撃で戦死認定された航空兵55人には、冷徹なまでの「死後の選別」があった--。79年前のきょう、太平洋戦争の戦端を開いた戦果を受け、攻撃に加わって亡くなった彼らに対し、軍部は異例の「2階級特進」を適用した。だが、この処遇から6人だけが除かれ、1階級の進級にとどまっていたことが分かった。敵前逃亡など、あからさまな咎(とが)があったわけではない。同じ作戦に基づいて、同じ戦闘に、同じ航空部隊から参加して命を落とした兵士に、なぜ明確な格差が生じたのか。(小川 晶) 神戸新聞社の神戸本社11階、文化部フロアの片隅に、年季の入った1台のコンピューターがある。1990年代のデスクトップパソコンのような、厚みのある外観。社内では「マイクロフィルム」の名で通る。過去の新聞記事が焼き付けられたフィルムを、コマ送りで見ることができる装置だ。 航空機事故を取材する新
ギネスに表彰されたジャニー氏 こう語るのは、写真の少女、「今では立派な高齢者」と笑う日系アメリカ人二世のフランシス・ナカムラさん(83)だ。 「でも、ジャニーさんのお父さん、諦道(たいどう)さんのことは憶えていますよ」 高野山真言宗の僧侶だった諦道は、戦前の1924年に渡米し、米國別院の住職を務めた。また私生活では、滞米中に妻、江以との間にジャニーを含む3人の子に恵まれた。喜多川一家は1933年に日本に帰国したが、諦道の跡を継いだのがフランシスさんの父、高橋成通だった。 「1960年に、父と日本旅行した時でした。大阪の繁華街の小路に甘味処のような小さなお店があって、そこに諦道さんがいらしたんです。ご自分で善哉を作って出してくれたので、私はごく普通の店主かと思ったの。後で父から、あの方が前住職だったと聞いて驚いたくらい、お坊さんには珍しいフレンドリーな態度が印象的でした」 事実、諦道は気さく
太平洋戦争の発端となった旧日本軍の真珠湾攻撃から82年となり、ハワイの真珠湾に面した記念公園で、犠牲者を追悼する式典が開かれました。 82年前の1941年、日本時間の12月8日未明、旧日本軍はハワイの真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が開戦しました。 真珠湾を望むパールハーバー国立記念公園では現地時間の7日、追悼式典が開かれ、アメリカ軍の関係者や第2次世界大戦の退役軍人など2000人余りが出席しました。 式典では、真珠湾への攻撃が始まった午前7時55分に合わせて出席者が黙とうし、死亡したおよそ2400人を悼みました。 そして、アメリカ軍インド太平洋軍のアキリーノ司令官が「当時を経験した先人たちの教訓は、まず真珠湾攻撃を忘れるなということ、つねにアメリカは警戒を解いてはならないということ、そして常に戦い、勝つための準備をしなければならないということだ」と述べ、国防を通じて平和を守る決意を強調しました
米バージニア州のアーリントン国立墓地(2022年5月29日撮影、資料写真)。(c)Stefani Reynolds / AFP 【9月14日 AFP】旧日本軍による1941年12月7日の真珠湾(Pearl Harbor)への奇襲攻撃で死亡した米水兵ハーバート・ジェイコブソンさん(当時21歳)の遺骨が13日、首都ワシントン郊外のアーリントン国立墓地(Arlington National Cemetery)に埋葬された。広報担当者がAFPに明らかにした。 ジェイコブソンさんが搭乗していた戦艦「オクラホマ(USS Oklahoma)」は真珠湾攻撃で撃沈され、400人以上の仲間と共に命を落とした。 オクラホマは1943年に引き揚げられ、収容された遺体はハワイ州の戦没者墓地に埋葬された。 数年後に歯型による身元特定が行われたが、ほとんどは失敗に終わった。身元確認は2003年に再開され、15年にはDN
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