商用インターネットの開始を境にデータセンター市場は活況となり、東京や大阪を中心に開設が進んだ。その後サーバー仮想化技術の浸透で潮目が変わり、クラウド化の波を受けたハイパースケール・データ・センターが増えた。 電話交換局は1952年に日本電信電話公社*2(電電公社)へ引き継がれた。1953年からは国内通信向けを同社、国際通信向けは国際電信電話(KDD)*3が中心となって運用するようになった。 1960年代には音声通話に加えてデータ通信の需要が生まれた。その象徴は、電電公社のデータ通信本部*4が1968年に始めた全国地方銀行協会向けの為替交換システム「全国地方銀行データ通信システム*5」である。当初はある電話交換局のフロアの一部に機器を設置していたという。 続く1980年代には電話交換機のデジタル化が進む。これによって交換機が小型化し、フロアに余剰スペースが生まれた。そこを通信機器などの設置場