少し前、タレントは死なないということについて書いた。 テレビタレントは死なない。死ぬのはカメラからもはやネグレクトされた「人間」であって、そういう意味において山城新伍の最期というのは象徴的だった。もしテレビスタジオで死が映されかけたら、カメラはその人間=タレント=今死のうとしている物体から、レンズを背けるはずだ。 さて、そんなこと書いた直後に、複数の人との会合を持ったのだが、そこでふと思った。ブロガーだって、「死なない」のだ。 例えば、偉大な作家について考えてもらいたい。彼/彼女がもし死ねば、その死はたちまち家族に伝わり、出版社に伝わり、メディアを通して全国の人間に伝わる。(大原麗子の件のごとく)そこには多少の時間差が介在するかもしれないけれども、その死が認知されたことによって、その作家は「終わる」のであり、読者はその作家からは新刊はでない、という形で死を受け入れる(受け入れざるを得ない)
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