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2009年12月13日のブックマーク (5件)

  • この10年の本ベスト10 : 池田信夫 blog

    2009年12月13日01:28 カテゴリ この10年のベスト10 雑誌には「今年のベスト10」が載る季節になったが、ここでは範囲を広げて2000~09年の10年間のベスト10を選んでみた。私の週刊ダイヤモンドの書評も、まる10年になった。来春には「経済書のブックガイド」を出す予定。原書を除いてリストアップすると、クリステンセン『イノベーションのジレンマ』 コルナイ『コルナイ・ヤーノシュ自伝』 ネグリ&ハート『帝国』 グライフ『比較歴史制度分析』 タレブ『ブラック・スワン』 アカロフ&シラー『アニマルスピリット』 デリダ『マルクスの亡霊たち』 中山信弘『著作権法』 レッシグ『コモンズ』 アンダーソン『ロングテール』1は今や古典になったが、これを日で世に出したのは私の書評だった、と訳者に感謝された。2は社会主義という壮大な悲劇を経済学者が分析した感動的な。3も9・11以後の状況を語る

    この10年の本ベスト10 : 池田信夫 blog
  • 2008-06-29

    そして いつまでも 無冠の帝王で あってくれ(笑) それから藤原紀香 バダ・ハリの「K-1ニュージェネレーションが始まった」というマイクは聞いたか? オールドジェネレーションはさようならだ。 君のことだよ君の事(笑)。 バンナやアーツを応援してれば安全パイと思ってるんじゃねーぞいいかげん。 でもまあ、こんなスターなのに相変わらずK-1に出てくれるのを悪くいっちゃあ罰が当たるか。 シュルトに、自分が応援している(ことになっている)選手が次々やられて言葉を失ってくれ(笑) http://blog.livedoor.jp/nhbnews/ 【地上波】 http://tv.yahoo.co.jp/bin/search?id=13564586&area=tokyo K-1ワールドGP2008 IN福岡 K-1初!!3大タイトルマッチ。Sヘビー級シュルトVSバンナ。ヘビー級バダ・ハリVSグラウベ。大混

    2008-06-29
  • asahi.com(朝日新聞社):絶望映す身勝手な「テロ」 秋葉原事件で東浩紀氏寄稿 - 秋葉原無差別殺傷

    絶望映す身勝手な「テロ」 秋葉原事件で東浩紀氏寄稿2008年6月12日18時19分 印刷 ソーシャルブックマーク 無差別殺傷事件が起きた秋葉原の電気街では、多くの警察官が見回りをしていた=11日、細川卓撮影東浩紀氏 東京・秋葉原で8日、1人の青年が一瞬のうちに7人もの命を奪った無差別殺傷事件。衝撃的なこの事件について、ポストモダン思想からオタク文化まで、幅広い表現活動を展開する批評家の東浩紀氏(37)に寄稿してもらった。 ◇ 去る8日、買い物客と観光客で賑(にぎわ)い、アニメ・ゲーム文化の中心地である東京・秋葉原で残虐な事件が起きた。死者7人を出した無差別殺傷事件である。 筆者は一報を自宅でネットで知った。第一印象は「ついに起きたか」だった。 むろん、事件発生を予想していたわけではない。しかし最近の秋葉原については物騒な報道が相次いでいた。パフォーマンスが過激になり、規制強化が囁(ささや)

    reds_akaki
    reds_akaki 2009/12/13
    何故こんなにエントリーが少ない?
  • 資本主義という不平等で有害なシステム - 『歴史入門』

    歴史入門 (中公文庫) [文庫] 著者:フェルナン・ブローデル 出版:中央公論新社 ★★★★☆ 書の原題は『資主義の活力』。著者の『物質文明・経済・資主義』の内容を要約した講演だ。原著は、いわゆるアナール派を代表する古典として知られているが、訳で全5巻4万円の大著を買うのは大変なので、その内容を手軽に知るにはいいだろう(文庫による再刊)。 資主義というのは、多義的に使われる厄介な用語だ。これをマルクスの言葉だと思っている人もいるが、彼は一度もKapitalismusという言葉を使ったことはない。これを最初に使ったのは、20世紀初頭のゾンバルトやウェーバーである。一般には市場経済と同じ意味に使われるが、著者は両者をまったく違うシステムととらえ、現代社会をこの異質なシステムの複合と考える。 市場経済というのは明確な概念である。それは経済学の教科書に書かれている等価交換システムで、最終

    資本主義という不平等で有害なシステム - 『歴史入門』
  • 安達誠司『脱デフレの歴史分析 「政策レジーム」転換でたどる近代日本』 - rna fragments

    読了。どういうかというのは著者のあとがきの文章にまとまっています。 筆者が、書を書くきっかけとなったのは、今回の日のおけるデフレーションを巡る経済論争*1が、約七〇年前に起こった昭和恐慌期に闘わされたそれと全く同じレベルの議論であったことに気づき、ある種の脱力感に苛まれたことであった(これについては、拙著『平成大停滞と昭和恐慌』一〇九‐一一二頁にテーマごとに分類して掲載してある)。この七〇年の間、科学技術は目覚しい発展を遂げ、我々の生活は飛躍的に豊かになったが、我々の経済に対する考え方は全く進歩がなかったのである。筆者は、デフレーションを克服するためには、大胆なリフレーション政策が実施される必要があると考えてきたが、今回の論争では、日で、リフレーション政策に対して反対の立場をとる経済学者がほとんどであった(不思議なことに、欧米では、リフレーション政策に反対の立場に立つ経済学者は学派

    安達誠司『脱デフレの歴史分析 「政策レジーム」転換でたどる近代日本』 - rna fragments