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ブックマーク / kimumasa2012london.blog.fc2.com (2)

  • 木村正人のロンドンでつぶやいたろう 戦後ニッポン「男女平等」の光と影 ベアテ・シロタ・ゴードンさん死去に思う

    終戦直後、連合国軍総司令部(GHQ)民政局の一員として日国憲法の起草に参加し、24条の「男女平等」条項を書いた米国人女性ベアテ・シロタ・ゴードンさんが昨年12月30日、膵臓がんのためニューヨークの自宅で亡くなった。89歳だった。 共同通信に対して、ベアテさんの娘のニコルさんは「母は生前、憲法の平和、男女同権の条項を守る必要性を訴えていた。改正に総じて反対だったが、この二つ(の変更や削除)を特に懸念していた。供物で弔意を示したい場合は、代わりに護憲団体・9条の会に寄付してほしい」と語ったそうだ。 ベアテさんの発案で盛り込まれた日国憲法24条は「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基として、相互の協力により、維持されなければならない」「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の

  • 木村正人のロンドンでつぶやいたろう 橋下市長VS週刊朝日論争に考える マスコミだけでなく、新聞記者も死んだのか

    読売、共同、産経が引っ掛かった森口尚史氏のiPS細胞移植ねつ造事件、週刊朝日の橋下徹・大阪市長出自報道といい、「これはおかしい」「これは許されない」と編集現場のだれも声をあげなかったのか。職場でああだ、こうだと議論していれば防げたのではなかったか。 筆者は今年6月いっぱいで産経新聞を退社した。28年間、青春を捧げただけに胸にこみ上げるものがあると期待していたが、何も感じなかった。マスコミに何の未練もなかった。それより50歳という人生の折り返し地点を過ぎ、自分の足で立ってみたかった。 「在英フリージャーナリスト」と肩書は変わったものの、新聞記者をやめたつもりは毛頭ない。新聞記者とは「新聞社に勤める記者」を指すのか、それとも「新しい話を聞いて記す者」を意味するのか。筆者は勝手に後者だと思い込んでいる。 大阪社会部の駆け出し記者時代、特ダネがほしくて元暴力団組長や談合屋にも会いに行った。そんなと

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