ぼくはインテリにもオタクにもふさわしくなく、犬と猫であれば断固犬派なのですが、おそらくぼくの読者は猫派のほうが多いでしょう。 そんな環境のなか、数少ない犬好きの読者のみなさんに下の泣ける話をリンクしておきます。 http://www.asahi.com/national/update/0619/TKY200906190306.html ぼくの実家もむかし犬を飼っていました。なぜかいまは猫を飼っていますが。
来たる7月11日に、上智大学で宮台真司さんとともにワークショップを行うことになりました。 http://icc.fla.sophia.ac.jp/2009/Studies_of_Japanese_Popular_Culture_1.htm アメリカでの講演シリーズの第2弾といったところです。リンク先の説明には「英語で行われる」とありますが、実際には(アメリカでもそうだったように)日本語と英語のチャンポンになると思われます。日本語だけ追ってもそれなりにおもしろいかもしれないので、興味のあるかたはぜひ。 それにしても、ぼくの下手なカタカナ英語がついに日本の読者の目(耳?)に曝されるかと思うと憂鬱しきりです。留学、しときゃよかったなあ(笑)。
ぼくはなにが専門というわけではないけれど、批評とはなにかについてだけは、ここ15年ほどえらく真剣に考えてきたという自負があります。 そんなぼくにとって、批評という行為については、もはやなにを論じているか、その対象やメッセージはどうでもよくなってしまう傾向があります。言いかえれば、ぼくは批評をメタ作品というよりも、ベタにひとつの作品として読んでしまうところがある。したがって、その社会的な影響力や「正確さ」なんてものは、究極的にはどうでもいい。むろん、多くのひとが批評を逆にそういう点でだけ読んでいるのは知っていますし、その受容は尊重しますが。 それは、シネフィルにとっての映画、アニオタにとってのアニメと同じだと考えればいいかもしれません。いかにひどい物語を語っていても、いい映画、いいアニメはありうる。ぼくはそれと同じように批評を読みます。ぼくにとって批評の魅力は、たとえば、文章の構成、問題設定
こんばんは。筒井先生に「東くんは肥えてから良くなった」と言われ、調子づいている東浩紀です。 さてさて、原稿がいっこうに進まないので、現実逃避のエントリを上げることにしました。 http://d.hatena.ne.jp/syusei-sakagami/20090316/1237211444 ここで坂上くんは、CLANNAD AFTER STORYの最終話は「駄作」だと言っています(以下ネタバレ含むので注意)。その理由はリンク先には書かれていませんが、ぼくは彼に直接ゼロアカ懇親会で聞いたので知っています。要は、ゲームでは汐バッドエンドのあと、いろいろプレイヤーが努力してようやくトゥルーエンドに辿り着くのに、アニメでは一足飛びにトゥルーエンドに行ってしまっているからダメだ、主人公はもっと努力しなければ幸せになれないはずだ、あれでは御都合主義だというのが彼の主張です。それはまた、坂上くんがFat
連載原稿のため『スカイ・クロラ』を観ていたところ、妻と娘が保育園から帰ってきました。帰宅途中に下記のような会話があったとのことです。 さなえ「車に轢かれると死んじゃうこともあるんだよ。気をつけなさい、しおちゃんがいなくなるとママ悲しいから」 汐音「じゃあ、もうひとり産めばいいじゃない」 さなえ「もうひとりって、だれを」 汐音「しおちゃん」 さなえ「……」 いやはや。『スカイ・クロラ』のキャッチコピーといえば「もう一度、生まれてきたいと思う?」だったわけですが、あまりのタイミングのよさに爆笑しました。
うちの娘の汐音は、最近「まったり」という言葉をどこかで覚えてきました。 「今日、休みだけど、しおちゃんどうする?」「家でまったりする」などという会話が交わされています。「まったりってどういう意味?」と尋ねると「休むこと」という答えが返ってきました*1。「どこでまったりという言葉を覚えたの?」と尋ねると、「魔法使いが教えてくれた」とのことです。彼女のいう「魔法使い」は、うちの近くの公園の雑木林内に住んでいるらしいのですが、そいつは宮台信者なのでしょうか。意外なところに宮台読者がいたものです。 とにもかくにも、娘は3歳半にして、すでにまったりを覚えたようです。 *1:親としてはこの会話はこれはこれで衝撃で、つまりうちの娘は、いつのまにか「意味」という言葉の意味を理解していたわけです。
たまには慣れない政治の話を。といっても別にオリジナルの意見があるわけではなくて、感想ですが。 政府紙幣の発行に向けて議員連盟が出来たらしいですが、この「政府紙幣」というアイデア、学生のころに岩井克人の『貨幣論』などまじめに読んだ身からすると、とんでもない話に聞こえます。それとも、ぼくの知らぬあいだに経済学のブレイクスルーでも起きたのでしょうか。日銀の管理を外れて、政府がじゃんじゃん紙幣を刷って公共事業でもやろうという話のようですが、常識で考えてそりゃまずいでしょう。 なんというか、不況や派遣切りばかりがマスコミで取り上げられて、財政改革とか言っているやつはネオリベで氏ねみたいな空気になっていますが、日本の財政赤字はこの10年間でとんでもないことになっている。それは事実なわけです(下に財務省のサイトからわかりやすいグラフを張っておきます。慣れない資料を探してしまったw)。 http://ww
とかいうタイトルの講義を朝日カルチャーセンターでやってきました。東浩紀がどういう風に批評を書いているのか、を、(1)批評全体の考え方、(2)批評を書き出すときの心構えそのほか、(3)具体的な文章の書き方、の3段階にわたって情報開示した感じの講義です。Google Docsでバージョンごとに分解して解説したりしました。ああいう内容というのは、まあ一種の自慰行為でもあって(クリエイターがトークショーで「おれはこういうふうに作品作ってるから」と言っているときの快感がはじめてわかりましたw)、とても公で本にするようなものでもないと思いますけれど、いつか機会があったら自費出版ででも出版するかもしれません。 ところで、そこで言ったことですけど、ぼくは基本的に、あるタイプの文芸評論はだれにでも簡単に書ける、と思っています。だからこそ、そんな講義も引き受けたわけです。 その理由は、柄谷行人以降に書かれてい
ひさしぶりのはてななので、調子に乗って一瞬クラナドの話を。『CLANNAD AFTER STORY』第16話をさきほど見ましたが、これはすばらしい。美少女アニメの新しい領域、というか福嶋亮大風に言えば新しい「演算」を開拓したと言っていいのではないでしょうか。ぼくはいままで、Key作品ではもっともAIRが好きだと言い続けていて、それはいまでも変わらないのですが、CLANNADはアニメになってすごい勢いで輝いている感じがします。ちなみに、エンディングロールの最後、CLANNAD AFTER STORYではなくCLANNADのほうのアイキャッチが出るのはなぜでしょう。ループでしょうか。いずれにせよ、ループがあろうがなかろうが、ここからどうやってハッピーエンドに持って行くのかは見所ですね。 なお、今回、汐の呼び名がうちの汐音と同じく「しおちゃん」であることを知りました(ゲームでもそうでしたっけ?)
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