何度か触れてきた投瓶論争をそろそろまとめておきたい。自分の批評活動をどうやって読者に届けるか、という場合のモデルのひとつが投瓶通信だ。 1、浅田彰は投瓶方式を支持する。この方法では一人の読者にも批評が届かないかもしれない。けれど、「届かないこともあるけれど、それは仕方がない」「見えない読者がたまたま拾って読んでくれればそれでいいんじゃないの?」と、彼は言う。 2、対して、東浩紀は「批評というジャンルを生き残らせるために最低限の売れる努力をしていこうよ」という立場だ。 3、これだけならただの意見の相違だが、問題は、複数の指摘があるとおり、もともと投瓶方式は『存在論的、郵便的』に述べられた、東浩紀の思想なのである。 4、この点について、浩紀の答えはこうである、浅田彰の言う投瓶通信は「届くべき人には必ず届く」という話であり、『存在論的、郵便的』が論じた「誤配」とは異なる。浩紀が浅田の発言を誤って