2011年1月10日 読売新聞朝刊 日本の改新 識者に聞く 山崎正和氏 もう一つ心配なのが、大衆社会がより悪くなることだ。ブログやツイッターの普及により、知的訓練を受けていない人が発信する楽しみを覚えた。これが新聞や本の軽視につながり、「責任を持って情報を選択する編集」が弱くなれば、国民の知的低下を招き、関心の範囲を狭くしてしまう。ネット時代にあっても、責任あるマスコミが権威を持つ社会にしていく必要がある。
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2人の娘が今年、相次いで嫁に行った。 こんなに一時に行かれると、それなりに寂しいものはある。 もっとも、26歳の長女は7年前に付き合っていた男のことで私と大げんかをして家を出て行ったこともあり、カミさんは別にして私とはまったくの没交渉が続いていた。 それが去年、結婚する相手ができたといって連絡があり、同じ会社に勤めるという青年をともなって久しぶりに家にやってきた。緊張して顔色を青くしている青年が、なにやら微笑ましくて結婚を許したが、それでも娘が私と視線を交わすことはほとんどなかった。 2月に長女が結婚し、6月には次女が式を挙げた。 そして10月には2人が息を合わせたように妊娠を知らせてきた。 自分に孫ができるなんて。 心境的に、私は鳩が豆鉄砲を食ったような、そんな心持ちだった。 まあ子どもができて、「家族」がまた新たな一歩を踏み出すことは目出度いことではあるのだが。 そんなこんながあって1
弁護士山口貴士大いに語る 「『非実在青少年規制』改メ『非実在犯罪規制』へ、都条例改正案の問題点は払拭されたのか?」 「『非実在青少年規制』改メ『非実在犯罪規制』へ、都条例改正案の問題点は払拭されたのか?」 主催:「東京都青少年健全育成条例改正を考える会」 <共同代表:藤本由香里(明治大学准教授)・山口貴士(弁護士・リンク総合法律事務所)> 東京都千代田区麹町4丁目2番地第2麹町ビル2階 リンク総合法律事務所内 tel: 03-3515-6681 fax: 03-3515-6682 yama_ben@nifty.com 協力:「コンテンツ文化研究会」 参加費:無料 事前申し込み:不要 取材の方:受付にて登録をお願いします。 2010年12月6日(月) 18:30(開場) 19:00(開演) 21:15(終了) 中野ZERO小ホール(JR/東西線中野駅南口から徒歩8分) 集会の告知資料 プレス
今更な返信ですが、@hazumaさんは国家を暴力装置として考えるのを避けるから「発見できない」んですよ。国家の暴力にフリーハンド与えていいわけがない。それが東さんが求めている「公共性」ですよ。http://p.tl/eguI
@rikka0310 男性向けエロが嫌いだけど、表現規制には反対。BLは嫌いだけど表現規制には反対。別にそれで良いんですが、だからと言ってお互いを貶し合ってどうするという・・・。蔑むばかりでなく、自分の嫌悪の対象でも尊重すべきものはするって意識や認識は必要。相手の事を否定するばかりでは何も始まらない。 2011-01-12 03:22:28 @rikka0310 まあ、確かに理解出来ない人って居るけどさ。理解の可否は兎も角、貴方と言う人が弾圧される事無く、他の人と同じ様に笑い、楽しむ権利は心より尊重します。多分、そういう意識が出来て行かない限り。この国の混迷は回復しない。多様性が之ほど花開いてまで、全体主義的価値観を振り翳して居ては。 2011-01-12 03:27:47 みとこ @mitoko_dij 内臓がひっくり返る勢いで同意・・・。あと、「○○(作品名)が規制ひっかかりそうってヤ
東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma 「現代思想」グーグル特集は、東浩紀完全無視らしいが、isedはさすがに触れているのだろうか。濱野智史とかはさすがにいるのだろうか。それも無視となると、いったいどういう文脈を押さえて現在の日本でグーグル論やるのだろうか。 2011-01-15 17:42:41 東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma おそらく彼らは、今後思想地図βも完全無視で、2010年代の思想シーンについて語っていくのだろうなあ。ほんと、すごいよねえ。なんというか、すごいとしか言いようがない。まじで。ほんとうに。 2011-01-15 17:44:24 東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma 「ユリイカ」編集長Y氏はむかしからの友人でぼくのことも応援してくれるのだけど、あの狭いオフィスのなかで、東浩紀一派は完全無視でいくぜ!やつらクズじゃん!というすぐ隣
「表現規制」関連の政治的綱引きって、「女子供」という錦の御旗をどっちが握るかで勝敗が決するところがあるので、女性と未成年からの意見は、成人男性からの意見よりずっと効果としては大きいんです。
1 東浩紀さんの提案http://togetter.com/li/86323関係。 東浩紀さんはルソーの理想「一般意思」(後述)を、ツイッターなどテクノロジーを用いれば現実化できるはずだ、と考え、実現化すれば政治の少なくとも「空気」が劇的に変わるはずだ、と考えているのだと思われる。それについて論点とか難点とかはあっても、それは良い考えだと私は思う。 ところで、「審議会」よりも「青少年問題協議会」のほうをむしろ公開すべき、という意見が多い。 「有害指定」の流れは、 「青少年問題協議会」で「有害指定」の枠を作る → 「審議会」で審査 こうであるから、この流れのより上流を公開する方が、より末端を公開するよりも有益なはずだ、という意見であります。 オタク文化に強い偏見を持ってムチャクチャな発言をする人々は、「青少年問題協議会」の方にいるのでありまして、たとえば前田雅英とか新谷珠恵とか後藤啓二とかh
ポルノ産業を本当に潰したければ http://d.hatena.ne.jp/axgx/ 子供を差別することには、誰も疑問を持っていないらしい。この問題の関係者にとっては、子供は人間ではないのだろう。 人はいま『18禁』とあまりにも軽く言うが、よく考えてみれば、それは18歳未満の人々をのけ者にする制度、すなわち、差別である。どうして誰も、この根本的な問題に目を向けないのか。 「青少年を保護するために~」「住み分けすることでしか守れない表現が~」という理由づけは、なるほど合理的ではある。南アフリカ共和国のアパルトヘイトも合理的だった。南アフリカ共和国の経済や治安は、アパルトヘイトの廃止によって大幅に後退し、人々は不幸になった。ではアパルトヘイトを続けるべきだっただろうか。 根本的な問題がお気に召さないという向きのために、別の方向からも『18禁』を攻撃しておこう。 「青少年を保護するために~」と
ゾーニングというか規制というか。 法治国家においては「そういうことするやつが少数ながら出てきてしまうことは仕方ないし根絶するわけにも行かないから何とかコントロールしたい」というときに大雑把に言って二つのやり方があって。 ひとつは正面から「そういうこと」を禁止するやり方。もうひとつはいわゆる「ゾーニング」、「悪場所」を作って「そういうこと」を囲い込むやり方。 後者は「法の下の平等」を旨とする法治国家にはなじみにくい。要するにこれは身分制の論理。「そういうこと」をしていい場所、していい人々を一般社会とは区別するという発想。これは囲い込まれた営み、そして人々に対する「差別」である一方、被差別者への「特権」の付与でもありうる。 おおっぴらに身分制であることを標榜し人々がそれを受け入れている社会においてならともかく、現代の法治国家、単一身分の市民社会にこのような身分的構造を持ち込むことは相応の緊張を
あらゆる少女マニアにオススメ。 いわゆる澁澤的「少女マニア」を脱し、今度は父としての立場から娘を育てている。ピンで止めてガラスケースに陳列するのではなく、生きて動いて大きくなる存在だ。もう幼児ではない娘を見ていると、記憶の彼方の少女を探すのか、それとも未だ見ぬ「少女」をシミュレートすべきか、分からなくなる。 そういうわたしにとって、「少女とはどんな存在か」を見える物語で示してくれる吉野朔実はありがたい。これが野郎になると、耽美とか処女性とか象徴的な語りに陥ってしまう。少女とは「女の子ども」や「処女の娘」で囲い込める存在ではない。 もっと端的に言うなら、「少女」とは欠けた存在だ。その欠片は、世間体(親も含む)を繕うための外聞だったり、自身を安定し充足させるための何か―――才能の発露や生活基盤、"わたし"という確固たる存在そのもの―――が相当する。だから「少女」は生き難い。自分とは何か?をつか
何度か触れてきた投瓶論争をそろそろまとめておきたい。自分の批評活動をどうやって読者に届けるか、という場合のモデルのひとつが投瓶通信だ。 1、浅田彰は投瓶方式を支持する。この方法では一人の読者にも批評が届かないかもしれない。けれど、「届かないこともあるけれど、それは仕方がない」「見えない読者がたまたま拾って読んでくれればそれでいいんじゃないの?」と、彼は言う。 2、対して、東浩紀は「批評というジャンルを生き残らせるために最低限の売れる努力をしていこうよ」という立場だ。 3、これだけならただの意見の相違だが、問題は、複数の指摘があるとおり、もともと投瓶方式は『存在論的、郵便的』に述べられた、東浩紀の思想なのである。 4、この点について、浩紀の答えはこうである、浅田彰の言う投瓶通信は「届くべき人には必ず届く」という話であり、『存在論的、郵便的』が論じた「誤配」とは異なる。浩紀が浅田の発言を誤って
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