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ブックマーク / blog.miraclelinux.com (14)

  • ユメのチカラ: memcached Night in Tokyo #1

    先日開催された memcached Night in Tokyo #1 というのに参加してきた。 http://groups.google.com/group/memcached-ja/web/memcached-night-in-tokyo-1 夕方6時開催という昨今の勉強会としては早めの開始時刻なので、あたふたと会社を出た。場所は原宿である。おされな場所である。浮足立つ。ということはどうでも良くて会場であるmixiに初めていったのだが綺麗なオフィスであった。 memcachedというのは、データベースに対する分散メモリキャッシュ技術みたいなもので昨今のWebではよく利用されている。国内ではmixiでの事例がよく知られている。 http://ja.wikipedia.org/wiki/Memcached この話を初めて聞いたとき、うーん随分乱暴な話だな、RDBMSでやるべき仕事だろ、そー

  • ユメのチカラ: 取締役退任。生涯一プログラマ宣言。

    6月30日臨時株主総会において、ミラクル・リナックス株式会社の新取締役として、児玉崇、伊東達雄を選任し、それに続く、取締役会議により、新しい代表取締役として児玉崇を選任した。佐藤武前代表取締役社長は、取締役会長へ、わたしは取締役を退任した。 ここにご報告する。 さて、ここからが題(?)である。取締役を退任したからといってミラクル・リナックスを辞めるわけではない。今後は経営者という責任ある立場を退き一技術者としてミラクル・リナックスに貢献していく。 2000年6月にミラクル・リナックスを創業以来8年にわたって取締役CTOとしてミラクル・リナックスとともに歩んできたが、取締役というよりも、技術屋としてミラクル・リナックスのV1.0の開発、OSDL (Open Source Development Lab -- The Linux FOundationの前身)への参画、そしてAsianuxプロ

    se-mi
    se-mi 2008/07/01
    取締役を辞めたあとに技術者として会社に残るロールモデル
  • ユメのチカラ: さよならNetscape、こんにちはWeb 2.0

    Netscapeのサポートがこの2月に終了するというニュースが昨年末に流れた。それを記念(?)して、「さよならNetscape」というイベントが先日開催された。 一時代を築いたブラウザが世を去るというのは感慨深い。 当日、所用があったので参加できないかと思ったが、帰宅途中渋谷で乗換だったので、ふと気が変って、そのままずんずんイベント会場へ行く自分がいた。 なぜ、そこに引き寄せられたのだろう。気がつくとイベント会場にいた。 会場にはお久しぶりの人達がいっぱいいて、神田さんが誰かが作ったブラウザの年表を見ながら90年代のインターネットの事を語っていた。 ビールを飲みながら皆さんのお話を聞く。NetscapeがAOLに買収されて10年後にサポートを終了する。まあ人はいろいろ失敗の理由を言うが、後づけの理屈のような気がする。 次のビールを飲んでいたらマイクがまわってきた。酔いも手伝って、「モジラの

    se-mi
    se-mi 2008/02/01
    もっと加速していく予感
  • ユメのチカラ: 第83回カーネル読書会のお知らせ

    日時:12月27日(木)、18時半開場、19時開始 場所:ミラクル・リナックス株式会社 セミナールーム お題:高速なRuby用仮想マシンの開発 発表者:笹田耕一さん、  東京大学大学院情報理工学系研究科創造情報学専攻  特任助教 / 日Rubyの会 理事(会計) 内容: 先日,上記のタイトルでRuby用仮想マシン YARV: Yet Another RubyVM について博士論文の発表をしたのですが,その内容をベースに YLUG で発表します.D論で受けたつっこみを交え,この成果について音トークします. 18:30頃、開場 19:00頃、お題開始 20:00頃、懇親会開始 場所はいつもの、ミラクル・リナックス社セミナー会場地図 http://www.miraclelinux.com/corp/about/maps_google.html 開場した後は、だらだらと自己紹介やら小ネタやらを

    se-mi
    se-mi 2007/12/27
    ちょっと行ってみたい、と思ったら今日かよ!!
  • ユメのチカラ: 未踏オフ会

    古川享PM(プログラム・マネージャ)の未踏ソフトウェア創造事業(長いな、以下未踏と称す)のオフ会に参加した。 古川さんの事は30年くらい前から、わたしは一方的に名前を存じあげていたのだけど、直接名刺交換をするのは初めてである。それはともかく、1970年代のマイコン世代の懐しいお話満載で、ASCII出版のころとか、マイクロソフト株式会社設立のころのエピソードなど興味がつきなかった。 最初にパワーポイントのちょっとしたTipsを延々話していたのは笑った。YouTubeのCTOは、パワーポイントも上手に使えないとか、どーでもいい(失礼)エピソードが面白い。 古川亨略歴ということで、ASCII時代の話から入った。 79年11月のASCIIにパーソナルコンピュータはメディアになるというコラムを書いてそれが自分のビジネス、生き方の指針になった。その後、ASCIIでInformixの日語化、BSD U

    se-mi
    se-mi 2007/12/19
    古川さんいい人だなあ
  • ユメのチカラ: 30代のころ

    IT産業とかの憂を書くとページビューとかブックマークがどどどどっとつくようではあるが、若干趣向を変えて昔話。 よっぱらいオヤジの昔話なんてまっぴらだと言う方はどうぞ次にいっちゃってください。スルーです。 わたしは新卒で世界第二位のコンピュータベンダーの日法人に就職した。若い人は知らないかと思うが、当時DECという会社があったのである。今はその会社はない。 29歳で結婚して、31歳の時、米国社へ一年間出向する機会があった。1989年10月のことである。身重のと一緒にBoston Logan Airportに降り立ったわたしは不安と期待で胸が一杯だった。出張で何度か来た事はあったが海外生活はもちろん初めてだし、社で働くということに対する不安と期待が渦巻いていた。 ハロウィーンの季節だ。米国New Hampshire州の紅葉は、それは見事だった。自然が豊かなところである。 オフィ

    se-mi
    se-mi 2007/11/11
    いい話
  • ユメのチカラ: オープンソースは資本主義の破壊的イノベーションである

    というフレーズを通勤電車で思いついたのだが、そのときは結構いけていると思ったのだが、今考えてみると、それほどいけていない。夢を見ている最中はすげーなこれと思っていて、次の日、目が覚めてみると一体どこがすごいのかと思うようなものである。 破壊的イノベーションは持続的(改良的)イノベーションとことなって、まるっきり新しい市場を開拓し、既存の支配者を駆逐する。あるいはローエンド市場から参入し、既存の支配者を市場から追い出す。みたいな事が教科書には書いてある。 オープンソース的な世界では、著作権を私有するのではなく、共有することによって価値をたかめる。著作権という財産権を否定しちゃったら資主義ではないではないか、とか思うのがフリーソフトウェアの思想を最初に聞いたときの素朴な感想であったりする人は少なくない。 財は共有すると減る。お菓子をあげれば自分の分が減る。お金をあげれば自分の分が減る。ところ

  • ユメのチカラ: LL魂

    夏の祭典。LL Spirit (LL魂)  に行ってきた。 個人的な感想など。 昨年のLLゴングのパイプ椅子は、おじさんには拷問に近いものがあったが、今年のホールの椅子は適度に座り心地もよく快適であった。実行委員会の皆様、ご苦労様でした(ぺこり)。 和田先生は、あいかわらづお元気そうでなによりだった。ステーブンレビーのハッカーズの話からはじまって(このハッカー倫理を知るうえで重要なテキストなのである)、ハッカーズ大辞典などを紹介しつつ、ハードウェアハック(微分機械(?)って何みたいな)のお話など、大変楽しい講演であった。帰宅してから先の2冊を棚からとりだしパラパラめくったのは言うまでもない。 しかし、オレ様言語の作り方でパネルディスカッションができちゃうほど日という地域にはオレ様言語をつくっている人がいっぱいいるのね。すげーな、音できたよ。という感じである。 学校でコンパイラの

    se-mi
    se-mi 2007/08/08
    「通勤電車の中でニヤニヤしながらオレ様言語を妄想していたというのはナイショである。」 悪のイベントLL魂
  • ユメのチカラ: OSの開発

    10年前、わたしは米国OracleOracle 8の開発に従事していた。データベースエンジンを開発する唯一の日人プログラマであった。朝から晩まで、コードとにらめっこで、自分がチェックインしたコードで、デイリービルドがぼろぼろにならないように毎朝祈っていた。 その当時、RDBMSのような巨大なソフトウェアを開発できる企業は、Oracle以外、IBM、Microsoftなど限られた大企業でしかなかった。SybaseやInformixなどは徐々に競争力を失ないつつあり、ニッチなエリアでの新興ベンチャーはあるにはあったがOracleのような汎用RDBMSベンダーになりそうな企業はみあたらなかった。むしろ、ゴリラのような巨大企業に市場は収斂しつつあるように見えた。 OSのベンダーもそうだ。Microsoft、IBM、Sun Microsystems、HPなどがOSを開発していたが、Microso

    se-mi
    se-mi 2007/07/26
    2.6.22カーネルにパッチを投稿したプログラマは約800人で、2.6系カーネルに貢献した総数は約3000人
  • ユメのチカラ: 人月の神話

    Frederick Phillips Brooks Jr., "The Mythical man-manth: essays on software engineering", Anniversary edition. フレデリック・P・ブルックス Jr.「人月の神話」新装版、狼人間を撃つ銀の弾はない。滝沢徹他訳 わたしが紹介するまでもなくソフトウェア開発の古典中の古典である。先日の「情報システム学会(ISSJ)、情報システムのありかたを考える会」での発表のために、久し振りに読みかえしてみた。 原書は1975年に出て、長いこと読み継がれてきて、今だにその指摘は古びていない事に驚かされる。16章からは、初版以降に書かれた論文、評論になるが、やはりこの書の質は、初版時点で書かれた1章から15章であろう。 第1章「タールの沼」。大規模システムプログラム開発がタールの沼にはまってもがき苦しむ、恐

    se-mi
    se-mi 2007/07/11
    オープンソースソフトウェア(OSS)の発展は、「ガレージ二人組に取って代わられた」事例
  • ユメのチカラ: オープンソースの破壊力

    池田信夫氏がフューチャリスト宣言がオープンソースを誤解しているとブログで書いている。「    『オープンソースというのは、誕生してからわずか10年以内です。もともとフリー・ソフトウェアというのはあったけれど、それは一つの研究室の中で作られるなど、物理的制約に縛られていた。(p.33)(フーチャリスト宣言)』 Richard Stallmanが聞いたら、椅子から転げ落ちるだろう。GNUプロジェクトができたのは1984年、Linuxの開発が始まったのは1991年だ。 EmacsもTeXも、インターネットを使ってさまざまなバージョンが共同開発された。たしかに"open source"という言葉をEric Raymondが使い始めたのは1998年だが、それ以前からTCP/IPもHTMLも、すべてオープンだったのだ。オープンとかフリーとか強調していないのは、初期のハッカーにはそれが当たり前だったから

    se-mi
    se-mi 2007/05/26
    ”主体的な開発組織、実体のないものが、高品質な大規模ソフトウェアを作れるわけがない、というソフトウェア工学のアンチテーゼ”/”Linusはそんなことはおかまいなくコードを取り入れた。”
  • アジアのペンギン: VMware上で動作するLinuxの時刻が遅れる

    社内向けサービスのテストサーバーは、VMwareServerを利用するようにしています。良いですよね、VMware Server。これほどのソフトウェアが無料で手に入る時代になるとは、ほんの数年前でも考えもしませんでした。 さて、そのVMware Server上でMIRACLE LINUX V4.0を動作させると、ものすごい勢いで時刻が遅れます。そのままで1週間も放置すると、1日程度の遅れは当たり前といった状態です。いくらテスト用サーバーとはいえ、時刻が遅れては使いものにならないため、解決方法を調査しました。 結論としては... Linux kernel 2.6では、時刻はタイマー割り込みをカウントすることで管理されており、その割り込みは1秒間に1000回行われています。仮想化されたバーチャルマシンでは、この速度の割り込みを処理することができず、結果として時刻が送れてしまうそうです。さらに

    se-mi
    se-mi 2007/05/02
  • ユメのチカラ: LiveJournalのアーキテクチャ

    先日、mixiのお話を書いた(500万倍のスケーラビリティ)が、幸いにも多くの方からブックマークをいただく。ブックマークのコメントを眺めているとmixiのアーキテクチャはkazuhookuさんとmiyagawaさんからLiveJournalと同様なアーキテクチャだとの指摘をいただく。早速Googleで検索してみた。 LiveJournal's Backend -- A history of scalling, August 2005, Brad Fitzpatrick, 4ページ目の図を見るとmod_perlやらmemcachedやらmixiのお話のとき出てきたおなじみのコンポーネントが見える。ふむふむ。ユーザが増えてくるとDBをマスター・スレーブ構成にしてマスターに書き込みそれをreplicate(複製)する。読み込みはスレーブから行なうので、スレーブを増やせば読み込みはスケールするが、

    se-mi
    se-mi 2006/07/16
    おじさま素敵です
  • ユメのチカラ: 500万倍のスケーラビリティ

    カーネル読書会で、mixiのバタラさんにmixiのシステムをどのようにスケールアップしたかの話を聞く。開催以来最多の90名の登録(会場の都合で90名で登録を終了した)で、会場は立ち見が出るほどの盛況であった。宴会も50数名の参加をえてこれも大盛況であった。(大よっぱらいの人もいたけど(笑)) 内容はYAPCでの発表をアレンジしたものである。ようさんの日記に詳しい報告がある。 システムを1ユーザから500万ユーザまで約2年半でスケールアップしたというお話で、苦労話満載の非常に興味深いものであった。様様な試行錯誤をへて現在のシステムにいたっているが、1ユーザから500万ものユーザをサポートするなどというスケーラビリティはあらかじめ設計されていたものではない。問題にぶつかるたびに一つ一つ問題を解決していって今に至るということである。この500万倍のスケールアップと言うのは当にとてつもないことで

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