並び順

ブックマーク数

期間指定

  • から
  • まで

1 - 40 件 / 160件

新着順 人気順

沖縄戦の検索結果1 - 40 件 / 160件

  • 「震える少女」沖縄戦証言に圧力 見知らぬ男性、女性宅押しかけ非難 - 琉球新報デジタル

    米軍撮影のフィルムに映る震える少女(沖縄公文書館提供) 沖縄戦の記録映像で映し出される「震える少女」として本紙に名乗り出た浦崎末子さん(82)の自宅を男性が訪ね、証言をとがめるような言葉を投げ掛けていたことが25日、関係者への取材でわかった。浦崎さんはこの一件以来、外部との接触を控えるようになったという。座間味村での「集団自決」(強制集団死)の証言者らにも同様の接触があったことも判明。沖縄戦の継承が課題になる中、証言を封殺する動きに識者は「証言者の萎縮、戦争の教訓継承の妨げになりかねない」と警鐘を鳴らしている。 浦崎さんの親族によると、浦崎さんの自宅に男性が現れたのは昨年8月ごろ。ドアを開けて応対した浦崎さんに「あなたが浦崎末子さんか」と尋ね、いきなり「どういうつもりか」と詰め寄った。 「震える少女は私」と浦崎末子さんが名乗り出たことを報じる2019年6月23日付本紙 本紙は昨年6月23日

      「震える少女」沖縄戦証言に圧力 見知らぬ男性、女性宅押しかけ非難 - 琉球新報デジタル
    • 志村けん「変なおじさん」と沖縄戦 傷を引き受け生き抜いた人たち【WEB限定】

      ©The Ryukyu Shimpo 本ウェブサイト内に掲載の記事・写真の無断転用は一切禁じます。すべての著作権は琉球新報社または情報提供者にあります。

        志村けん「変なおじさん」と沖縄戦 傷を引き受け生き抜いた人たち【WEB限定】
      • 板垣勝彦 on Twitter: "さきの大戦の最後のほうの沖縄戦や本土空襲、原爆投下などを事後的な視点のみで振り返ると、なぜこんなになる前にさっさと降伏しなかったんだと思ってしまうけれど、通常の戦争では降伏イコール徹底的な収奪、殺戮、破壊を意味するからそれは受け容れられなかったということ。"

        さきの大戦の最後のほうの沖縄戦や本土空襲、原爆投下などを事後的な視点のみで振り返ると、なぜこんなになる前にさっさと降伏しなかったんだと思ってしまうけれど、通常の戦争では降伏イコール徹底的な収奪、殺戮、破壊を意味するからそれは受け容れられなかったということ。

          板垣勝彦 on Twitter: "さきの大戦の最後のほうの沖縄戦や本土空襲、原爆投下などを事後的な視点のみで振り返ると、なぜこんなになる前にさっさと降伏しなかったんだと思ってしまうけれど、通常の戦争では降伏イコール徹底的な収奪、殺戮、破壊を意味するからそれは受け容れられなかったということ。"
        • 小6が使う社会の教科書、沖縄戦「集団自決」の記述に「軍関与」「軍命」言及なし 24年度使用の教科書検定 - 琉球新報デジタル

          文部科学省は28日、2024年度から小学生、高校生が使用する教科書の検定結果を公表した。小学6年生が使用する社会の教科書では、検定に合格した3社3冊で取り上げられた「沖縄戦」の記述の中で、沖縄戦の最中に発生した「集団自決(強制集団死)」について旧日本軍から住民への命令(軍命)などの関与があったことを示す説明記述がなかった。いずれの出版社も、現行教科書での「集団自決」の関連での「軍命」「軍関与」に言及しておらず、従来方針を踏襲した形だ。 東京書籍(本社・東京)は「沖縄戦」についての写真説明で、「アメリカ軍の攻撃で追いつめられた住民には、集団で自決するなど、悲惨な事態が生じた」などとした。日本文教出版(文教、同大阪)は、「戦場となった沖縄」と題した章で「アメリカ軍の激しい攻撃」で追いつめられた住民の多くが、「集団自決」に及んだとし、教育出版(教育、同東京)は「沖縄戦」の写真説明で「多くの住民が

            小6が使う社会の教科書、沖縄戦「集団自決」の記述に「軍関与」「軍命」言及なし 24年度使用の教科書検定 - 琉球新報デジタル
          • 沖縄戦 「護郷隊」の陣地跡見つかる 少年らで編成の極秘部隊 | NHKニュース

            太平洋戦争末期の沖縄戦の際に旧日本軍が地元の少年らで極秘に編成した「護郷隊(ごきょうたい)」と呼ばれるゲリラ部隊の陣地跡が、沖縄のアメリカ軍基地内で見つかりました。この部隊の陣地跡が見つかったのは初めてで、専門家は、少年らを巻き込んだ悲惨な戦闘の実態を検証するため今後、アメリカ軍に共同調査を申し入れることにしています。 75年前の沖縄戦の際、旧日本軍は、正規軍を後方支援し持久戦に持ち込むため、およそ1000人の地元の10代の少年らを召集して「護郷隊」と呼ばれるゲリラ部隊を極秘に編成しました。 護郷隊は、昭和20年4月にアメリカ軍が沖縄本島に上陸すると3か月にわたって山岳地帯でゲリラ戦を展開しましたが、激しい攻撃にさらされるなどして160人が命を落としました。 この護郷隊が拠点を置いた陣地跡が、沖縄のアメリカ軍基地「キャンプ・ハンセン」内で見つかっていたことがアメリカ軍への取材で分かりました

              沖縄戦 「護郷隊」の陣地跡見つかる 少年らで編成の極秘部隊 | NHKニュース
            • 琉球国王の肖像画「御後絵」が米国で発見、沖縄県に帰る 沖縄戦で流出、米FBIの盗難美術品ファイルに登録 色彩が初めて判明【動画あり】 - 琉球新報デジタル

              戦時中に沖縄から流出した文化財がこのほど米国で発見され、14日に沖縄県へ引き渡された。玉城デニー知事が15日の定例記者会見で発表した。発見・返還された文化財は22点。第二尚氏第13代国王尚敬と第18代国王尚育の御後絵(おごえ、琉球国王の肖像画)が含まれている。御後絵の実物が戦後確認されたのは初めて。これまで、染織家で沖縄文化史の研究に尽力した鎌倉芳太郎が大正時代に撮影したモノクロ写真が残されていたが、今回初めて実際の色彩が判明した。 県は2001年、御後絵など13件の流出文化財について米連邦捜査局(FBI)の盗難美術品ファイルに登録申請をした。23年3月、FBIから外務省を通じて、流出文化財22点が発見されたと県に照会があった。 FBIから高解像度写真の提供を受け、県はこれらの文化財が「沖縄戦の混乱で米国に持ち出された可能性が極めて高い」と判断し、県への移送を依頼した。FBIに登録した13

                琉球国王の肖像画「御後絵」が米国で発見、沖縄県に帰る 沖縄戦で流出、米FBIの盗難美術品ファイルに登録 色彩が初めて判明【動画あり】 - 琉球新報デジタル
              • 細野豪志 on Twitter: "岩田清文第34代陸上幕僚長は私との対談で「陸自は国民と常に共にある。沖縄戦の二の舞は絶対にやらない」と述べた。沖縄の世論が自衛隊より中国人民解放軍の方が信頼できるということなら沖縄の防衛は難しい。しかし、多くの沖縄の人たちはそうは… https://t.co/3qqJ8x2ZUx"

                岩田清文第34代陸上幕僚長は私との対談で「陸自は国民と常に共にある。沖縄戦の二の舞は絶対にやらない」と述べた。沖縄の世論が自衛隊より中国人民解放軍の方が信頼できるということなら沖縄の防衛は難しい。しかし、多くの沖縄の人たちはそうは… https://t.co/3qqJ8x2ZUx

                  細野豪志 on Twitter: "岩田清文第34代陸上幕僚長は私との対談で「陸自は国民と常に共にある。沖縄戦の二の舞は絶対にやらない」と述べた。沖縄の世論が自衛隊より中国人民解放軍の方が信頼できるということなら沖縄の防衛は難しい。しかし、多くの沖縄の人たちはそうは… https://t.co/3qqJ8x2ZUx"
                • 沖縄戦の悲惨さ伝える映像「震える少女」は自分と名乗り出る | NHKニュース

                  沖縄戦の悲惨さを伝える映像としてたびたび放映される「震える少女」について、那覇市の81歳の女性が少女は自分だと名乗り出て当時のことを語りました。専門家は「当時の状況を知るための貴重な証言になる」と話しています。 この少女について、那覇市に住む浦崎末子さん(81)が自分だと名乗り出ました。 以前から映像に映っている衣服などを見て自分だと思っていましたが、親戚から勧められて、このほど、名乗り出ることを決めたということです。 浦崎さんは沖縄戦で父親と兄、弟の3人を失いました。 映像が撮影された当時は7歳で、姉と2人で逃げていた途中、1人だけになったところをアメリカ兵に見つかり、道端に座らされた時だったということです。 浦崎さんは「アメリカ兵がお菓子をくれようとしたが、毒が入っていると教わっていたのでもらわなかった。殺されると思い、兵士の青い目が怖かった」と当時のことを語りました。 沖縄戦の映像に

                    沖縄戦の悲惨さ伝える映像「震える少女」は自分と名乗り出る | NHKニュース
                  • 沖縄戦、32軍司令部に「特殊軍属」 留守名簿に記載 本土の女性ら動員、識者「慰安婦」と指摘 - 琉球新報デジタル

                    日本軍が芸者などを本土から沖縄に連れてきて設置した「偕行社」にいたとみられる女性らが、沖縄戦を指揮した第32軍司令部の「特殊軍属」として動員されていたことが分かった。32軍が1944年末から45年初めにかけて作成した「第32軍司令部(球第1616部隊)留守名簿」に記されているのを、沖縄大学地域研究所特別研究員の沖本富貴子さん(70)=八重瀬町=が見つけた。この「特殊軍属」について、別の沖縄戦識者は「慰安婦」「慰安所」と同じ意味とみている。 関東学院大の林博史教授(現代史)は「軍や外務省の公文書では、いわゆる『慰安婦』を『特殊婦女』『特種婦女』『特殊慰安婦』『特種慰安婦』と呼ぶ例がいくつもある。『特殊軍属』は慰安婦のことを指していると考えて間違いないだろう」と指摘した。 「第62師団会報綴(つづり)」(1944年12月21日)によると、偕行社は「将校や高等文官の親睦を図り、戦力を高揚する」こ

                      沖縄戦、32軍司令部に「特殊軍属」 留守名簿に記載 本土の女性ら動員、識者「慰安婦」と指摘 - 琉球新報デジタル
                    • 統一協会 「沖縄戦」まで利用/弟の行方不明「家系が原因」 被害額2000万円超

                      霊感商法や高額献金の強要など全国的な被害の横行が改めて明らかになり、批判が高まっている統一協会(世界平和統一家庭連合)。77年前の凄惨(せいさん)な地上戦に住民が巻き込まれ、多くの命が奪われた沖縄で、統一協会が沖縄戦の被害を利用し、2000万円以上も巻き上げる非道な行為をしていたことが分かりました。 発覚したのは2011年。被害を受けたのは当時、80歳を超えていた男性でした。あるとき地元紙に、沖縄戦で行方不明になった弟を戦後ずっと探し続けていたこの男性の記事が掲載されました。 正体を隠し接近 霊感商法の被害回復に取り組んできた三宅俊司弁護士によると、統一協会はこの記事を見て男性に接近してきたといいます。 「宗教団体であることを隠し、家族にも一切話さないようにと言って近づいてきたようです。統一協会は、弟と会えない原因が家系にあると言って、家系図の作成を行わせたり、家族の不安をことさらに強調し

                        統一協会 「沖縄戦」まで利用/弟の行方不明「家系が原因」 被害額2000万円超
                      • 「戦場で軍隊は住民を守れない」 沖縄戦の戦争体験記は訴える - おきなわHOTeye

                        https://www.nhk.jp/p/ts/GQG566LYNJ/blog/bl/poNG33LnW2/bp/pxMZjbg5or/ 沖縄戦当時、小学生だった男性がつづった膨大な体験記には、日本軍が戦況の悪化につれて住民を守る余裕がなくなる様子が描かれていました。「戦争が始まったら軍隊は一般人を守れない。沖縄戦がそれを証明している」。戦争体験記が今の時代に訴えることとは。 「今の沖縄は“沖縄戦の前”に似ている」 宜野湾市に住む大城勇一さん(89歳)。11歳の時に沖縄戦を経験して生き延びました。 戦後77年たった今、大城さんが危機感を抱いているのは、いわゆる「台湾有事」などを念頭に沖縄で防衛力の強化が進められていることです。那覇市に司令部を置く陸上自衛隊第15旅団は「師団」に改編、日本最西端の与那国島の駐屯地は新たに地対空ミサイル部隊を配備することなどが計画されています。 「国を守るため

                          「戦場で軍隊は住民を守れない」 沖縄戦の戦争体験記は訴える - おきなわHOTeye
                        • 沖縄戦、新版教科書は集団自決の日本軍関与触れず 市民団体調査 | 毎日新聞

                          沖縄戦78年 6月23日は「慰霊の日」 6月23日は、太平洋戦争末期の沖縄戦などの犠牲者を悼む「慰霊の日」。今年で沖縄戦から78年目となる中、来年度の小学校の社会科教科書で、沖縄戦に関する記述が後退していることが、市民団体「子どもと教科書全国ネット21」(東京都)の調査でわかった。富山県支部にあたる同ネット21富山の世話人代表、松浦晴芳さん(76)=富山市=は「沖縄戦の集団自決は、日本軍が降伏を許さず追い詰めたのが主な要因だが、その記述がなくなった。本来住民を守るべき軍隊が実はそうではなかったというのは歴史が示している」と批判する。【青山郁子】 教科書は、学習指導要領の改定に沿って4年ごとに新版が作られ、今年は小学校で来年度から使用される改訂版の採択の年にあたる。同団体では、東京書籍、教育出版、日本文教出版の3社の教科書をいち早く確認。特徴を報告書にまとめた。

                            沖縄戦、新版教科書は集団自決の日本軍関与触れず 市民団体調査 | 毎日新聞
                          • 沖縄戦 残されていたアメリカ軍音声記録 凄惨な地上戦の実態は | NHK

                            太平洋戦争末期の沖縄戦で、アメリカ海兵隊の兵士たちの戦場でのやりとりなどを記録した音声が残されていたことが、NHKの取材でわかりました。 30時間以上におよぶ未編集の音源からは、アメリカ軍側から見た凄惨な地上戦の実態が浮かび上がります。 『海兵隊戦闘記録』と題された音声記録はアメリカ東部バージニア州にあるアメリカ議会図書館の関連施設に保管されていて、NHKが番組取材の過程でその音声データを入手しました。 録音を担当したのは「ラジオ通信兵」と呼ばれる海兵隊の兵士で、当初の目的はアメリカ国民の戦争への支持を得るため兵士の元気な声などをアメリカに届けることでした。 音声は1945年3月、アメリカ軍が沖縄に上陸する直前から始まっています。 アメリカ軍が沖縄本島に上陸した際のものとされる記録には「今われわれは、沖縄に猛烈に砲弾を撃ち込んでいる。大小の砲弾がすべて沖縄に発射されているのだ」との声が確認

                              沖縄戦 残されていたアメリカ軍音声記録 凄惨な地上戦の実態は | NHK
                            • 「現場猫案件すぎる」戦況悪化の一因にも?沖縄戦直前に220人もの命が失われた鉄道事故の発生原因は"規則を守らなかった"ことだった

                              はばキツ @foxnumber6 NNNドキュメント「封印〜沖縄戦に秘められた鉄道事故〜」面白かった。規則を守らず屋根付いてない機関車のすぐ後ろの貨車にガソリン積んで引火、それが後続の弾薬類に引火、さらにその上に人間乗せてたから220人死亡、さらに周辺の畑に弾薬大量に野積みしてたからボーナスというすごい事故だ。 pic.twitter.com/z1pa491bbe 2020-06-22 01:55:38

                                「現場猫案件すぎる」戦況悪化の一因にも?沖縄戦直前に220人もの命が失われた鉄道事故の発生原因は"規則を守らなかった"ことだった
                              • まんがで伝える沖縄戦 「震える少女」の物語(前編) - 琉球新報デジタル

                                R1…慰霊の日 沖縄戦を戦った日本軍・第32軍の牛島満司令官と長勇参謀長が1945年6月23日に糸満市摩文仁で自決し、日本軍の組織的戦争が終わったとされる日(自決したのは22日という説もある)。県は、この日を県民の休日とする「慰霊の日」と定めている。毎年、摩文仁の平和祈念公園で「沖縄全戦没者追悼式」が行われ、沖縄戦犠牲者の冥福を祈り、恒久平和の願いを国内外に発信する。今年は新型コロナウイルスの感染拡大の影響で縮小して行われる。 R2…日本軍の配備 1944年3月に第32軍が創設され、沖縄で戦争準備が本格化した。多くの県民を動員し、飛行場建設や陣地造りが進められた。日本軍の部隊が続々と配備され、兵舎として学校や民家が接収されるなど、県民生活に大きな影響が出た。軍事上の機密を守るため、日本軍は住民を監視するとともに、「米軍に捕まれば女性は暴行され殺され、男性は戦車でひき殺される」という話で住民

                                  まんがで伝える沖縄戦 「震える少女」の物語(前編) - 琉球新報デジタル
                                • 御厨一彦 on Twitter: "沖縄戦慰霊の日 百田尚樹氏「沖縄県民が犠牲になったのは大半が日本軍が玉砕した後。日本軍人が沖縄民を犠牲にしたというのは違う。日本軍が残っていた時は沖縄県民を助けるために戦ったという事」 北村晴男氏「沖縄を分断するためにイデオロギー… https://t.co/EDc09gF2nG"

                                  沖縄戦慰霊の日 百田尚樹氏「沖縄県民が犠牲になったのは大半が日本軍が玉砕した後。日本軍人が沖縄民を犠牲にしたというのは違う。日本軍が残っていた時は沖縄県民を助けるために戦ったという事」 北村晴男氏「沖縄を分断するためにイデオロギー… https://t.co/EDc09gF2nG

                                    御厨一彦 on Twitter: "沖縄戦慰霊の日 百田尚樹氏「沖縄県民が犠牲になったのは大半が日本軍が玉砕した後。日本軍人が沖縄民を犠牲にしたというのは違う。日本軍が残っていた時は沖縄県民を助けるために戦ったという事」 北村晴男氏「沖縄を分断するためにイデオロギー… https://t.co/EDc09gF2nG"
                                  • 自衛隊は沖縄戦とどう向き合ってきたか 内部研究で導かれた「教訓」:朝日新聞デジタル

                                    ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"

                                      自衛隊は沖縄戦とどう向き合ってきたか 内部研究で導かれた「教訓」:朝日新聞デジタル
                                    • 沖縄戦から74年、今まで「不明」とされていた「開南中学校学徒隊」の資料が国立公文書館から「発見」される - Battle of Okinawa

                                      学徒動員者数および戦死者数が「不明」のままの私立開南中学 2018年の記事、「不明」のままの数字、同窓生の悲願の願い 資料は 2017年まで厚生省が保有、その後、国立公文書館に移管 学徒動員者数および戦死者数が「不明」のままの私立開南中学 これは、素晴らしい歴史上の発見の知らせであるとと同時に、暗く理不尽な沖縄戦資料の「発見」の物語である。 学徒兵として戦場に送られた旧制中学の子どもたち。 地獄の戦場のど真ん中に戦力として送り込まれ、 無残に命を奪われたものたちの中には、わずか13歳の子もいた。 公式には「不明」のままにされた開南中学学徒兵の墓前に、この資料の存在をもっと早く届けてあげれたら、どんなによかったことだろう。 あの沖縄戦で失われた中学の一つに、私立開南中学校がある。開校したのは、志喜屋孝信。彼は、戦後アメリカ統治下の沖縄で、沖縄諮詢会委員長や初代沖縄民政府知事、そして琉球大学の

                                        沖縄戦から74年、今まで「不明」とされていた「開南中学校学徒隊」の資料が国立公文書館から「発見」される - Battle of Okinawa
                                      • 味方に殺されたなんて…沖縄戦、17歳少年兵の残酷な最期 | 西日本新聞me

                                        「運良く焼け残った兄の写真。幼いでしょう」。那覇市の高江洲義一(ぎいち)さん(82)は写真を見つめながら語り始めた。兄は昭和18(1943)年、写真に写る仲間と国民学校高等科を卒業。1年7カ月後に少年兵となり、沖縄本島北部の山中で命を落とした。17歳だった。 10歳離れた兄と遊んだ記憶はほとんどない。ただ、米軍が本島に上陸する数カ月前、訓練の合間に沖縄県東村の実家に一時帰宅した日ははっきりと覚えている。 「当時珍しかった2色刷りの絵本を買ってきてくれてね。インキのにおいは頭を離れないさあね」。軍服姿の兄は軍靴を棒に引っ掛け、はだしだった。「靴擦れを起こしたんですよ。ほとんど履いたことがないから」。目の前の海で捕れたタコを湯がき、家族でつついたのが最後の晩餐(ばんさん)となった。 戦後、兄は骨となって戻ってきた。砲弾が当たり破傷風で死んだと聞いた。「畑作業に出ては兄の帰郷を待ちわびた母の姿が

                                          味方に殺されたなんて…沖縄戦、17歳少年兵の残酷な最期 | 西日本新聞me
                                        • 金城重明さん死去 93歳 沖縄戦の「集団自決」証言 | NHK

                                          沖縄戦のさなか沖縄県渡嘉敷島で起きたいわゆる「集団自決」を生き延びた、沖縄キリスト教短期大学の元学長、金城重明さんが7月19日、急性心不全のため亡くなりました。93歳でした。 金城さんは、渡嘉敷村出身で、77年前の沖縄戦のさなか起きたいわゆる「集団自決」を生き延び、戦後は、沖縄キリスト教短期大学の学長などを務めました。 作家の大江健三郎さんが沖縄戦の集団自決について書いた本をめぐり、旧日本軍の守備隊長らが「自決を命じたように書かれ、名誉を傷つけられた」と訴えた裁判では、平成19年9月に被告側の証人として法廷に立ち、「私も、兄とともに、母親と妹、それに弟の命を奪った。日本軍の軍命なくして住民の集団自決は起こりえなかった」と証言しました。 その後の平成23年4月、最高裁判所で元隊長らの上告が退けられ、集団自決への軍の関与を認めた判決が確定しました。 金城さんはみずからの体験を子どもたちに語る活

                                            金城重明さん死去 93歳 沖縄戦の「集団自決」証言 | NHK
                                          • 「沖縄戦の事実を曲げてはいけない」体験者らが懸念 「集団自決」、小6教科書「軍命」記述なし - 琉球新報デジタル

                                            2024年度から使用するための検定に合格した小6社会科の教科書は、全3社が沖縄戦で起きた住民の「集団自決」(強制集団死)を取り上げた。しかし従来と同様、日本軍の関与を示す記述はなかった。沖縄戦体験者や識者からは「軍命で大切な命が死に追い込まれた」「本質が伝わらない」と指摘する声が上がった。 本文中で「集団自決」について取り上げた日本文教出版は「アメリカ軍の激しい攻撃に、追いつめられた住民のなかには、『集団自決』した人も多数いました」と記した。東京書籍、教育出版は沖縄戦の写真の説明として、米軍の攻撃で住民が追いつめられたとの記述の後に「集団自決」について触れた。 「集団自決」の軍命を歴史教科書に明記するよう求め、活動する「9・29県民大会決議を実現させる会」会員の玉寄哲永さん(88)は、教科書の記述に「米軍が上陸したから『集団自決』に追い込まれたと受け取られるのではないか。実際は軍命で大切な

                                              「沖縄戦の事実を曲げてはいけない」体験者らが懸念 「集団自決」、小6教科書「軍命」記述なし - 琉球新報デジタル
                                            • 沖縄戦慰霊碑を「顕彰碑」と表記 教科書、美化と批判受け訂正へ | 共同通信

                                              文部科学省が検定結果を公表した2022年度の高校教科書のうち明成社(東京)の歴史総合が、沖縄戦の戦没学徒の慰霊碑「一中健児之塔」(那覇市)を「顕彰碑」と表記し、報道機関の指摘を受け「慰霊碑」に訂正申請する考えを示したことが1日、分かった。文科省によると、検定で修正を求める意見は付かなかった。元学徒らは「戦没者を英雄視し、戦争を美化することは許されない」との声明を発表した。 明成社の教科書は沖縄戦のページで、沖縄県立第一中(現在の首里高)の戦没学徒を慰霊する塔の写真を顕彰碑と記載。ひめゆり学徒隊を「ひめゆり部隊」と表記したことも元学徒らは問題視した。

                                                沖縄戦慰霊碑を「顕彰碑」と表記 教科書、美化と批判受け訂正へ | 共同通信
                                              • 返還の琉球国王肖像画、謎多く 沖縄戦不参加の米軍人宅で発見―屋根裏から、FBI「略奪品と確認」:時事ドットコム

                                                返還の琉球国王肖像画、謎多く 沖縄戦不参加の米軍人宅で発見―屋根裏から、FBI「略奪品と確認」 2024年04月07日07時07分配信 米国から返還された第13代琉球国王「尚敬王」の御後絵(沖縄県教育庁文化財課提供) 太平洋戦争末期の沖縄戦で失われたとみられていた琉球国王の肖像画「御後絵」を含む美術品が米国で発見され、3月に沖縄県に返還された。返還に協力した米連邦捜査局(FBI)は「(戦時)略奪品と確認した」とする一方、見つかった家の住人だった退役軍人に沖縄戦の従軍歴がないなど、流出した経緯には謎も多い。 「沖縄の宝」返還される 琉球国王肖像画、米から―沖縄 御後絵は歴代国王の死去後に制作され、琉球王国を代表する文化遺産の一つ。周囲の人物より王の姿をひときわ大きく描くことで権威が誇示されている。これまでモノクロ写真しか残っておらず、正確な色調は分かっていなかった。 今回返還されたのは御後絵

                                                  返還の琉球国王肖像画、謎多く 沖縄戦不参加の米軍人宅で発見―屋根裏から、FBI「略奪品と確認」:時事ドットコム
                                                • 「沖縄戦の子どもたち」書評 暴力の連鎖の最終地点で散る命|好書好日

                                                  「沖縄戦の子どもたち」 [著]川満彰 1945年3月26日、総兵力18万人の米軍は慶良間諸島に上陸。そこで集団自決が起こる。 「背中から刺し殺し、子どもは肉が薄いのもので[原文ママ]、むこうがわまで突きとおるのです。女の人はですね、上半身裸にして、オッパイを自分で上げさせて、刺したのです。私は[中略]女の人を後ろから支える役でしたよ」(当時14歳だった男性の証言)。「ノブ先生も、カミソリで自分の子どもたちの首を切りました。傷口があさかったせいか、全員無事でしたが、子どもたちはとても痛がって泣いていました」(当時30歳だった女性の証言) これは始まりに過ぎなかった。沖縄戦は最初で最後の住民を巻き込んだ地上戦だった。日本軍は10万人余りの第32軍を創設するも、米軍の圧倒的火力の前に撤退を重ねた。本土の国体を守る時間稼ぎのために「捨て石」となった肉弾戦の島で、現在でいえば中高生の子どもたちも役所

                                                    「沖縄戦の子どもたち」書評 暴力の連鎖の最終地点で散る命|好書好日
                                                  • 天皇皇后両陛下 即位後初の沖縄訪問 沖縄戦の犠牲者を慰霊 | NHK

                                                    天皇皇后両陛下は「国民文化祭」などの開会式に出席するため22日、即位後初めて沖縄県を訪問されました。沖縄戦最後の激戦地となった糸満市では「国立沖縄戦没者墓苑」で犠牲者の霊を慰められました。 両陛下は22日午後1時前、特別機で那覇空港に到着されました。沖縄訪問は天皇陛下の即位後初めてで、両陛下での沖縄訪問は平成9年以来、25年ぶりになります。 沿道には歓迎のため大勢の人たちが集まり、両陛下は笑顔で手を振って応えられていました。 そして、午後2時半前、糸満市にある「国立沖縄戦没者墓苑」に到着し、18万人以上の遺骨が納められている納骨堂の前で一礼して花を供え、犠牲者の霊を慰められました。 このあと出迎えのため集まった遺族たちと懇談し「どなたを亡くされましたか」とか「お体にはお気をつけてください」などとことばをかけ、予定時間を大幅に超えて一人一人の話に耳を傾けられていました。 続いて、戦没者の名前

                                                      天皇皇后両陛下 即位後初の沖縄訪問 沖縄戦の犠牲者を慰霊 | NHK
                                                    • 沖縄戦犠牲者の「名前を読み上げる集い」で読み方が分からず…市民団体の調査で7000人分判明:東京新聞 TOKYO Web

                                                      太平洋戦争末期の沖縄戦の犠牲者らを悼む23日の「慰霊の日」を前に、「平和の礎(いしじ)」(沖縄県糸満市)に刻まれた約24万人の名前を読み上げるオンラインイベントが展開されている。1回目の昨年は名前の読み方が分からずに苦労したが、今年は、東京の市民グループが計約7000人分の振り仮名を明らかにした。メンバーは「名前はその人の生きた証し。故郷で生前に親やきょうだいから呼ばれていたように読みたい」と力を込める。(加藤益丈)

                                                        沖縄戦犠牲者の「名前を読み上げる集い」で読み方が分からず…市民団体の調査で7000人分判明:東京新聞 TOKYO Web
                                                      • 住民の保護は自衛隊の役割なのか 沖縄戦に学んだ元陸自トップの提言:朝日新聞デジタル

                                                        ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"

                                                          住民の保護は自衛隊の役割なのか 沖縄戦に学んだ元陸自トップの提言:朝日新聞デジタル
                                                        • 町山広美 on Twitter: "前RT。最近の学生の「新聞が沖縄戦を基地問題に政治利用するのは良くない」‥そうくるとは想像及ばなかったが、「かわいそうだから」は迷惑&amp;ズルい、という思いが強いんだろう。それほどしんどいのかと不憫に思いつつも、「しばらくアメリカだっ… https://t.co/KpJcYF8j9h"

                                                          前RT。最近の学生の「新聞が沖縄戦を基地問題に政治利用するのは良くない」‥そうくるとは想像及ばなかったが、「かわいそうだから」は迷惑&amp;ズルい、という思いが強いんだろう。それほどしんどいのかと不憫に思いつつも、「しばらくアメリカだっ… https://t.co/KpJcYF8j9h

                                                            町山広美 on Twitter: "前RT。最近の学生の「新聞が沖縄戦を基地問題に政治利用するのは良くない」‥そうくるとは想像及ばなかったが、「かわいそうだから」は迷惑&amp;ズルい、という思いが強いんだろう。それほどしんどいのかと不憫に思いつつも、「しばらくアメリカだっ… https://t.co/KpJcYF8j9h"
                                                          • 沖縄戦74年「慰霊の日」平和への願い 戦争の記憶どう受け継ぐ | NHKニュース

                                                            20万人を超える人が亡くなった沖縄戦から74年がたち、23日、沖縄は、令和になって初めての「慰霊の日」を迎えました。最後の激戦地となった糸満市の平和祈念公園には朝早くから遺族などが訪れ、戦没者を悼み、平和への祈りをささげています。 沖縄県は旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる6月23日を「慰霊の日」としています。 最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園には朝早くから遺族などが訪れ、戦没者の名前が刻まれた「平和の礎」で花を手向けたり、手を合わせたりしています。 おじを亡くした読谷村の棚原治江さん(77)は「横たわる遺体や、遺体に寄り添う幼子の姿などを見たつらい思い出がよみがえります。今の沖縄は、変わらず爆音が鳴り響き、74年たっても梅雨が明けないような気持ちです」と話していました。 沖縄戦から74年がたち、体験者が年々、少なくなっていく中、戦争の記憶をどのように受け継いでいくかが

                                                              沖縄戦74年「慰霊の日」平和への願い 戦争の記憶どう受け継ぐ | NHKニュース
                                                            • やんばるぐらし on Twitter: "この人ってネット右翼と一緒にわざわざ辺野古ゲート前までやって来て「抗議活動・座り込みは違法行為だからやめなさい」と挑発的街宣を敢行、座り込む沖縄戦経験者の方を本気で怒らせてましたよね。 沖縄の大衆運動は許せないが香港のデモは断固… https://t.co/iEE1CVLawZ"

                                                              この人ってネット右翼と一緒にわざわざ辺野古ゲート前までやって来て「抗議活動・座り込みは違法行為だからやめなさい」と挑発的街宣を敢行、座り込む沖縄戦経験者の方を本気で怒らせてましたよね。 沖縄の大衆運動は許せないが香港のデモは断固… https://t.co/iEE1CVLawZ

                                                                やんばるぐらし on Twitter: "この人ってネット右翼と一緒にわざわざ辺野古ゲート前までやって来て「抗議活動・座り込みは違法行為だからやめなさい」と挑発的街宣を敢行、座り込む沖縄戦経験者の方を本気で怒らせてましたよね。 沖縄の大衆運動は許せないが香港のデモは断固… https://t.co/iEE1CVLawZ"
                                                              • 軍服のキャスター我那覇真子、沖縄戦を「愛国ファンタジー」のように語るネトウヨ史観 - 粕壁エイサーまつりキックオフ講演会にご登壇の我那覇真子について - Osprey Fuan Club ウヨウヨ対策課

                                                                軍服のキャスター我那覇真子氏 なぜ軍服でキャスター !? チャンネル桜という右翼ネットテレビでキャスターをされている軍服のキャスター我那覇真子氏だが、 こんな歴史修正主義ツイートで また話題を呼んでいる。 我那覇真子 on Twitter: 地元のこども新聞が「児童洗脳」というならば、むしろ、このお嬢さんが、生まれた時から今も、ディプロマミルと宗教右派の父我那覇隆裕の影響下にあり、今更何を言っても始まらないのだが。 uyouyomuseum.hatenadiary.jp しかし、こんな取るに足らないネトウヨのつぶやきも、沖縄の情報が限られている本土では、誰よりもちょっと沖縄を知ってる、知ったかぶり勘違いを味わえる甘い砂糖菓子なのだろうか。こうして、ネトウヨの虚構を「沖縄の真実」と思い込んでしまう人が大量発生することとなる。 覚えておくとよいだろう。 まず戦争を美談として語る者がいたら、 そ

                                                                  軍服のキャスター我那覇真子、沖縄戦を「愛国ファンタジー」のように語るネトウヨ史観 - 粕壁エイサーまつりキックオフ講演会にご登壇の我那覇真子について - Osprey Fuan Club ウヨウヨ対策課
                                                                • 沖縄戦を殉国美談調に紹介 旧日本軍の加害性に触れず 教科書の記述が短くなり継承に不安 | 沖縄タイムス+プラス

                                                                  本年度の検定で合格した高校や中学の社会科系科目は、各社の編集方針の違いが鮮明になった。自由社など一部の教科書に「殉国美談」や国家主義的と受け取られかねない記述があるほか、沖縄戦の記述は全体的に少なめ。高校「歴史総合」は新科目のため従来の日本史と単純比較はできないが、「歴史の継承」に懸念を残した。

                                                                    沖縄戦を殉国美談調に紹介 旧日本軍の加害性に触れず 教科書の記述が短くなり継承に不安 | 沖縄タイムス+プラス
                                                                  • 沖縄慰霊の日 沖縄戦から77年 戦後生まれ9割 記憶の継承が課題 | NHK

                                                                    沖縄は23日、太平洋戦争末期の沖縄戦から77年の「慰霊の日」を迎えました。最後の激戦地となった糸満市の平和祈念公園では朝早くから遺族などが平和への祈りをささげています。 昭和20年の沖縄戦では、住民を巻き込んだ激しい地上戦の末、20万人以上が亡くなり、県民の4人に1人が命を落としました。 きょう6月23日は、旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる日で、沖縄県が「慰霊の日」と定めています。 最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園には朝早くから遺族などが訪れ、戦没者の名前が刻まれた平和の礎に花を手向け、犠牲者を悼んでいました。 多くの親族が沖縄戦で亡くなったという沖縄県南風原町の70代の女性は「祖父母や叔父は沖縄本島南部を逃げ回って命を落としたと聞いている。自分の子や孫に戦争の苦しい思いをさせたくないので、戦争がない平和な世の中を願っている」と話していました。 平和祈念公園では、正午

                                                                      沖縄慰霊の日 沖縄戦から77年 戦後生まれ9割 記憶の継承が課題 | NHK
                                                                    • WEB特集 沖縄戦 「非道な命令」下した司令官の孫として | 首里城火災 | NHKニュース

                                                                      12万人の県民が犠牲になった太平洋戦争末期の沖縄戦。なぜ、多くの沖縄の人を戦闘に巻き込んでしまったのか、その答えを追い続けている男性がいます。牛島貞満さん(67)、祖父は沖縄戦で日本軍を指揮した、旧日本陸軍の第32軍司令官、牛島満です。(ワールドニュース部記者 西川光子) 旧日本陸軍の最高級幹部だった牛島満大将。 鹿児島県出身で陸軍士官学校、陸軍大学を卒業した典型的なエリート将校で、風貌やふるまいから同郷の西郷隆盛に例えられ「小西郷」と呼ばれました。 日中戦争での功績も評価され、沖縄戦に向かう直前まで陸軍士官学校の校長として第一線で兵士を指揮する将校の養成にあたりました。 第32軍司令官として昭和19年8月沖縄に着任した牛島は、首里城の地下に司令部壕の構築を進めます。米軍の激しい砲撃にも耐えられるよう地下30メートル、全長1キロにわたる坑道が掘られ1000人余りの司令部要員が地下にこもりま

                                                                        WEB特集 沖縄戦 「非道な命令」下した司令官の孫として | 首里城火災 | NHKニュース
                                                                      • 丸山氏発言に「発想の先は破滅だけ」沖縄戦を生き抜いて:朝日新聞デジタル

                                                                        北方領土をめぐり「戦争」に言及した丸山穂高衆院議員(35)。北方領土と同様、敗戦で外国の統治下に置かれた沖縄では憂慮の声が上がる。その一人で、学徒として沖縄戦を生き抜いた元衆院議員は「力で相手をねじ伏せる発想の先には、かつてたどった破滅の道しかない」と、警鐘を鳴らす。 古堅(ふるげん)実吉(さねよし)さん(89)。1990年から衆院議員を3期務めた。自身の戦争体験を子どもに語ることもある古堅さんは、50歳以上若い丸山氏の発言を新聞で見て目を疑った。「まさか政治家が戦争をけしかけるような発言をするとは……」 丸山氏は11日、北方四島ビザなし交流の際、訪問団長の元島民に「戦争しないと、どうしようもなくないですか」などと詰め寄った。団長は「戦争はするべきではない」と繰り返した。 この団長と古堅さんはともに89歳。45年に旧ソ連軍の侵攻で故郷・国後を追われた団長。古堅さんは、県民の4人に1人が亡く

                                                                          丸山氏発言に「発想の先は破滅だけ」沖縄戦を生き抜いて:朝日新聞デジタル
                                                                        • 戦場の住民たち・沖縄戦75年:少年1000人はゲリラにされた 沖縄戦“護郷隊” 「軍は国民を利用する」 | 毎日新聞

                                                                          「志願じゃなくて命令だよ。でも軍隊に行くのが本望だったから。僕も喜んだ」。沖縄県東村の仲泊栄吉(なかどまりえいきち)さん(91)は振り返る。1945年3月、16歳だった仲泊さんが送り込まれたのは「護郷隊(ごきょうたい)」と呼ばれるゲリラ部隊だった。山中に潜み、侵攻する米軍をかく乱する役割を担った。「逃げてもいいよ」。集まった少年たちに部隊長はそう述べ、さらに続けた。「逃げてもこれだから」。部隊長が首を切る仕草をしたのを仲泊さんは再現してみせた。 防衛省や県の資料によると、沖縄戦における米軍の総兵力は推計で54万8000人(うち上陸部隊は18万3000人)。対する日本軍は10万2000人。このうち約4分の1に当たる2万5000人は、圧倒的な戦力差を補うために防衛隊や学徒隊として集められた地元の住民たちだった。 沖縄戦に詳しい沖縄県名護市教育委員会の川満彰(かわみつ・あきら)さん(60)による

                                                                            戦場の住民たち・沖縄戦75年:少年1000人はゲリラにされた 沖縄戦“護郷隊” 「軍は国民を利用する」 | 毎日新聞
                                                                          • 犠牲者数が「不明」だった学徒の名簿も 沖縄戦で動員された学徒の名簿発見 - 琉球新報デジタル

                                                                            国立公文書館が公開した学徒名簿 沖縄戦に動員された学徒の名前や部隊名、住所などを示した厚生労働省の「学徒名簿」がこのほど国立公文書館で公開され、資料を確認した那覇市立松城中学校の大城邦夫教諭が12日、報道陣に公表した。資料には、これまで実態解明が進まず、動員数や犠牲者数が「不明」とされてきた私立開南中学校の学徒71人の名簿も含まれていた。開南中の動員学徒数が公的な資料で初めて示された形だ。 資料にあるのは主に県立一中、三中、農林学校、私立開南中学校の名簿で、学徒が亡くなった場所や所属部隊名、住所や家族の名前などが記載されている。作成時期は不明。そのうち、開南中学校は71人分の名簿があり、13歳で動員され、犠牲になった人もいた。一方、開南中の同窓会の調査では、動員されて犠牲になった人数は190人だとしており、今後、資料が作成された経緯や実態解明が求められる。 国立公文書館が公開した文書から学

                                                                              犠牲者数が「不明」だった学徒の名簿も 沖縄戦で動員された学徒の名簿発見 - 琉球新報デジタル
                                                                            • 撃たれた父、畑に埋めた「沖縄戦10月も終わらず」 オリオンビール会長・嘉手苅義男さん語る - 琉球新報デジタル

                                                                              マラリアの治療で腕に負った傷痕を示す嘉手苅義男会長=9日、浦添市のオリオン会館 オリオンビール会長の嘉手苅義男さん(81)は沖縄戦で父・松吉さん=当時37歳=を失った。1945年10月、嘉津宇岳で米兵に撃たれた松吉さんの遺体が見つかり、まだ7歳だった義男さんは自らの手で父親を一家の畑に埋めた。やんばるの山中には沖縄の女性を襲う米兵や日本軍の敗残兵がいて、地上戦を生き延びた住民が犠牲になった。嘉手苅さんは「6月23日、8月15日で終戦と言うけれど、それは間違い。沖縄の山の中は10月まで戦争だった」と語った。 慰霊の日を前に、本紙の松元剛編集局長が話を聞いた。嘉手苅さんは自身の戦争体験について初めて取材に語った。 嘉手苅さんは屋部村(現名護市)旭川の出身。嘉津宇岳の山裾に家があった。嘉津宇岳と並ぶ八重岳には日本軍第32軍の国頭支隊(宇土部隊)が陣地を築き、家族の生活にも戦争が影を落とした。軍か

                                                                                撃たれた父、畑に埋めた「沖縄戦10月も終わらず」 オリオンビール会長・嘉手苅義男さん語る - 琉球新報デジタル
                                                                              • なぜ…「優しくて立派な人」が非情決断 沖縄戦司令官の孫、探し続ける答え(西日本新聞) - Yahoo!ニュース

                                                                                「優しくて立派な人」と聞いていた祖父はなぜ、住民を戦闘に巻き込む非情な決断を下したのか-。75年前の沖縄戦で旧日本陸軍第32軍を率いた牛島満司令官(1887~1945)の孫、牛島貞満さん(66)=東京都=はその答えを探すため、沖縄に足を運び続ける。「過去に目をつむるのではなく、事実を未来に生かす。それが祖父と1文字違いの名を持つ孫の宿命と思っている」。沖縄戦体験者の証言に耳を傾ける中で、あの戦争の現実が見えてきた。 【写真】祖父の牛島満司令官 祖母の家の応接間には、軍服姿の祖父の大きな写真が飾られていた。祖父が自決した日と伝わる6月22日には一家総出で靖国神社を参拝していたが、中学2年からはついて行くのをやめた。文献を読んで沖縄戦や司令官としての祖父を知り、周囲の評価とのギャップに疑問を抱くようになっていた。祖父は沖縄本島南部へ撤退し、持久戦を続ける決断をした。その結果、多くの住民が犠牲と

                                                                                  なぜ…「優しくて立派な人」が非情決断 沖縄戦司令官の孫、探し続ける答え(西日本新聞) - Yahoo!ニュース
                                                                                • 沖縄戦 鉄血勤皇隊の元少年兵 92歳になった今伝えたいこと | NHK | WEB特集

                                                                                  「腹の中に破片が2つ入っているよ。何十年もケロイドが残っていた」 沖縄本島中部・北谷町に暮らす濱崎清昌さん(92)。 右の脇腹には沖縄戦で受けた銃弾の破片が今も残ったままです。 太平洋戦争中の昭和19年4月。 14歳だった濱崎さんは教員を夢見て那覇市内の師範学校に入学しました。 ところが戦況の悪化に伴い、夏休みが終わるとほぼ授業はなくなり、ごう掘りや飛行場の整備など戦争の準備に駆り出されるようになりました。 昭和20年3月26日。アメリカ軍は沖縄本島の西およそ40キロにある慶良間諸島に上陸を開始します。 5日後の31日。濱崎さんは当時の学生たちで構成された「鉄血勤皇隊」と呼ばれる部隊に動員され、旧日本軍を指揮した第32軍司令部の管理下に置かれることになりました。 その日、校長先生から「日本国民として、天皇の赤子として、天皇のために忠義を尽くそう」と呼びかけられたといいます。

                                                                                    沖縄戦 鉄血勤皇隊の元少年兵 92歳になった今伝えたいこと | NHK | WEB特集