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2007年08月27日20:00 カテゴリMoneyTaxpayer 私がFXをやっていないわけ FXは、現在ある金融商品の中で、もっとも多くの人の希望にそう商品だと思う。 山根亜希子のFXで儲ける超投資術 山根亜希子 ただ一点を除いて。 FX(外国為替証拠金取引)が何たるかは、ここでは説明しない。よく知りたい方は、Amazonで"FX"で検索すれば参考書がたくさん出てくる。ここでは出版社の方に頂いた「山根亜希子のFXで儲ける超投資術」を取り上げるにとどめるが、これらの参考書を読めば、いかにFXが優れた金融商品であるか、というより、いかにストレートな外貨預金がばかばかしいかがよくわかる。 まず第一に、普通の人がなんらかの形で外貨投資をしたい場合、もっともスプレッド=売買価格差が小さいのがFXだということ。現金なら4円、トラベラーズチェックなら2円、通常の外貨預金なら1円程度が、FXなら数十
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「もともとお前の主張なんて聞く気ないし、今後も聞く耳持たないけど、粘着って言われないように礼儀だけしっかり締めとくっぺ」という発想に基づき、コメント欄に書き込んだ最後に付ける。そんなもので納得するのは書いた本人だけ。 と悪魔の辞典風に評されたりもするフレーズであるところの「長文失礼しました」なんだけれども、フレーズの受け手からすると、フレーズ使用者の目的や理由が気になるかな、などと思った。 失礼なのはわかるが(正確に言うと、フレーズの使用者が「長文は失礼なものである」と考えてそれを謝っている、ということは、わかる)、それに関する理由や目的が一切明かされていないと、引用文のようにも読めるし、俺が読み取るとするなら 失礼ですが、あなたには失礼なことをやってもよいと私は判断しました。 とか 失礼ですが、長文を書くと私は気持ちいいので知ったことではありません*1。なので書きます。 あるいは 失礼で
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
春の伊予国漫遊記。松山・今治と愛媛の魅力を満喫してきました。 法事を兼ねて愛媛観光へ 2024年のGWは、毎年恒例の名古屋帰省ではなく自宅でゆっくり過ごしておりました。というのも、4月に法事のため愛媛・松山に親族大集合というイベントがありまして、そちらをGWの旅行代わりにしたという理由です。法事は日曜日の予定ということ…
ここ最近思い出していることがある。通っていた大学に過激派の残党がいたらしいということだ。当時大学当局が言っていた。まあ、逮捕劇を見たことがあるし、人づてに教授を「襲撃」*1する様を聞いたことがあるしで、本当なんだろうなと思ってる。彼らに大学にいて欲しくないということは恐らく皆の共通認識だったろう。それこそテロの温床になりかねないし。だけど彼らに歯向かうのはやっぱり怖い。シャレにならない事態が普通に想定できる。という訳で、私を含めた大体の学生はスルーしていた。もっとも、堂々と批判したりして対抗する人達もいた。対抗する人達には色んな人達がいて、普通の勇気ある学生(のように私には見えた)人もいれば、宗教団体もあった(大学当局からこれもまた勧誘になびくな、と注意の文書がまわるくらいの集団。)政治団体もあった気がする。過激派に対抗するのは怖い。なので、普通はすごくハードルが高く、乗り越えるために勇気
裕福でないと大学にいけないという幻想 - odz buffer 正直な話、大学にいけないのを親の収入のせいにするのはそれこそ甘えだろう。国公立大学には授業料減免制度もあるし、有利子でよければ日本学生支援機構の第二種奨学金は最大で月額10万円あるわけで、学業に支障をきたさない程度のアルバイトで修学できる。奨学金の成績基準も普通に勉強していれば問題ない程度。 上の文章を読んで感じたことを。ちょっと苦労&貧乏自慢が入りますが…。 僕もid:odzさんと似た様な境遇で、姉と兄は大学進学を諦めていて、僕だけが大学に行かせて貰っており、奨学金で学費を払っていました。進学の際にも就職の際にも、片親の母からの有形無形の圧力がかかりまくり、結局は進学先は地元の学費が一番安いと思われる国公立大学、就職先も(親の面倒を見やすい)地方公務員を選択しました。 もちろん、その人生を選んだのは自分なので自己責任なわけで
不毛の部類に入るネット議論に関与するひとの中には「最後に発言したやつの勝ち」という脳内勝利条件が設定されてあるひとが居て、つまるところ「最後の発言=突っ込みやカニバサミや反論や混ぜっ返しを受けない=誰もが受け容れた意見」というような錯覚を重視しているのだろうなーというあたりの話だが(もちろん議論を勝敗ベースでやってしまうこと自体への問題意識の話などもあるべきだろうが)、なんかこの状況には、閉鎖的なコミュニティにおける「自分の発言にレスがついたらそれに反応を返さないといけない気がする」の心理に似ている部分があるような気がした。善意というか、そのひとの善良さがゆえにグダグダになってしまう類の議論(おれは善良さは必ずしも善行を生まないと思っていて、そのうえでその心理は、やはり善良さと呼ぶべきだと思っている)。 あとは、数当てゲーム問題か(数当てゲームというのはこういうやつ→http://f38.
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