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紀行に関するsokadamedasiのブックマーク (7)

  • 他門流寺院見聞記⑦【正住山内船寺・日蓮宗】 - 創価ダメだしブログ

    先月の御登山の帰りに少し遠回りして内船寺を見学してきました。大石寺から車で約1時間の内船寺は山梨県南巨摩郡南部町にある日蓮宗の寺院です。四條金吾頼基が建治3年(1277)に邸内に三間四面の持仏堂を建立したのがその始まりで、弘安8年(1285年)に自邸を改めて寺として四條山正住坊と称したそうです。その後移転を繰り返し今の地に落ち着いたとされていて寛政年間に一度、安政年間に二度の火災に遭い、現在の堂・庫裡は1855年(安政2年)に再建されたもです。山間の小さな寺院なので境内を見て回るほどでもないですが、ここに立ち寄ったのは四条金吾と日眼女夫の廟所を見たかったからです。他にも見ることはできませんでしたが寺宝として四条金吾夫の木像があるそうです。また境内には俳人大野林火の句碑もありました。さてお目当ての四条金吾夫の廟所は案内板がないのでなかなか見つかりませんでしたが堂の裏手の墓地の一角に

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    sokadamedasi 2024/04/07
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  • 他門流寺院見聞記⑤【正中山法華経寺・日蓮宗】 - 創価ダメだしブログ

    一月ほど前になりますが友人と千葉県市川市にある『正中山(しょうちゅうざん)法華経寺』を見学してきました。法華経寺は大聖人が松葉ケ谷の法難を逃れ下総の富木常忍(日常)・太田乗明の外護を受けていた時に、富木殿が大聖人の為に自邸に建てた法華堂が起源です。富木殿・太田殿に関してはいずれ詳しく記事にしたいと思いますが。大聖人はこの法華堂を拠点に下総に教線を延ばされました。大聖人滅後に富木殿は出家して日常と名乗り自邸の法華堂を「法花寺」と改め初代住持となり、また太田乗明の子息の日高は父・乗明の屋敷を「妙寺」として2代住持になりその後、旧主である千葉胤貞の帰依を受け俗別当に迎え胤貞猶子の日祐を3代目住持としました。日高以来、「法花寺」と「妙寺」の住持は兼任でしたが、天文14年(1545年)に法花寺と妙寺の両寺を合併し「法華経寺」となり現在に至っています。また日常が自邸に建てた法華堂は現在は「奥の院

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    sokadamedasi 2023/05/13
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  • 他門流寺院見聞記④【玉樹山正林寺・日蓮宗】 - 創価ダメだしブログ

    今月末の御登山の帰りに立ち寄った【玉樹山正林寺】。身延日蓮宗・北山門寺の末寺で、北山からも歩いていける距離にあります。私達は車で正林寺まで行ったのですが寺院周辺の道が狭いので運転に要注意です。五老僧の一人である伊豫阿闍梨日頂が乾元2年(1303)2月16日に開いたとされています。日頂師は乾元元年に生まれ故郷であるここ重須の地に戻り翌年に「小林寺」を創建しこの「小林寺」が、「常林寺」そして現在の「正林寺」へと改号されました。実父である小林伊予守定時から「小林寺」と最初につけたのだろうと思います。日頂上人の略伝ということで当ブログで記事にしましたが、頂師の弟の日澄師は重須の初代学頭です。またこの「正林寺」には日頂師・日澄師の他に実父である定時・母である妙常尼と妹の乙御前のお墓もあります。畑の中にポツンとあるようなお寺で背後の富士山が大きく見えました。小さなお寺なので10分もあれば見て回れます

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    sokadamedasi 2023/02/25
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  • 他門流寺院見聞記③【玉沢妙法華寺・日蓮宗】 - 創価ダメだしブログ

    先月、仕事で静岡県函南町に行きました。函南町は日目・日道両上人の出生の地であり、日亨上人の『雪山荘』があった場所です。仕事で行った場所からすぐ近くに『玉澤妙法華寺』が有ったので立ち寄って見学してきました。『玉澤妙法華寺』は五老僧の日昭開基の寺院で現在は日蓮宗の山格となっています。元々は鎌倉の浜土(現在の材木座)に弘安7年(1284)に日昭が風間信昭に寄進された法華堂が起源です。その後、日昭門流は、天文7年に戦乱を逃れるために越後村田の妙法寺に避難し、文禄3年に伊豆・妙国寺に再度避難しました。15代・日産の時代の元和7年(1621)に大木沢(現在地)移転し再建され、『大木沢』という地名から鎌倉時代の創建時の地名である『玉澤』と改称されました。寛政3年(1791)に火災で鐘楼以外の堂宇は焼失しましたが寛政5年に再建されました。『撰時抄』の御真筆や日昭が盗み取った『註法華経』などが国の重要文化

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    sokadamedasi 2022/12/04
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  • 他門流寺院見聞記②【小泉久遠寺・日蓮宗】 - 創価ダメだしブログ

    今回は、富士宮市小泉にある小泉久遠寺のレポです。興門流・富士五山のひとつで、日興上人の弟子・新六の一人の日郷師の開山です。日郷師は日目上人の最後の天奏に日尊師と共に随行しましたが途中で日目上人が御遷化された為、日尊師はそのまま天奏に行き後の現在の京都・要寺の元となった上行院を六角油小路に創建し、日郷師は日目上人の遺灰を抱いて大石寺に戻り、その後南条時光殿を継いだ時綱から蓮蔵坊と周辺の土地(東坊地)の寄進を郷師が受けてたことにより、大石寺。日道上人との間で紛争となり、建武2年(1335)に御影・尊などを持ち大石寺を退出し弘教拠点だった安房の国に戻り法華堂を建立しました。それが今の保田妙寺です。世間では日道上人と日郷師との間に大石寺法主の座を巡り対立関係が有ったと言われることもありますが、郷師は日道上人から日興上人御筆の御尊(しかも日道上人が加筆を加えた御尊)をいただいていますので、

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    sokadamedasi 2022/09/16
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  • 日蓮正宗寺院参詣記②【多宝富士山・妙蓮寺(下条)】 - 創価ダメだしブログ

    毎日暑いです。もう夏休みに入った人もチラホラいるみたいですね。夏休みを利用して大石寺に参詣される読者の方もいるかと思いますので今日は先日の御登山の折に参詣してきた妙蓮寺を紹介したいと思います。妙蓮寺の詳しい歴史については別の機会があれば書きたいと思いますが、由来は南条時光殿がの妙蓮尼の一周忌に自分の屋敷を寺院にしたのが妙蓮寺で、開山は日興上人の六の弟子の一人である寂日房日華(にっけ)師です。『富士五山』『興門八山』のなかで唯一の日蓮正宗の寺院でもあり、讃岐・日向と並んで『日蓮正宗三山』と言われる山格の寺院でもあります。 塔中が並ぶ参道を歩いていくと奥に堂などがありますが、駐車場からだと参道は通りませんので参道に出るには戻って来る感じになります。 『山門』(表門)です。 『堂』です。今回は中には入っていません。 『開山堂』(日華堂)です。 『鐘楼』 『御水屋』 『客殿』ですね。

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    sokadamedasi 2022/08/11
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  • 他門流寺院見聞記①【北山本門寺・日蓮宗】 - 創価ダメだしブログ

    先日訪ねた北山門寺を紹介します。北山は日興上人が晩年を過ごした重須の談所として知られ重須門寺とも呼ばれます。(重須とは当時の地名です)ですから来であれば大石寺と一体の富士門流でなければならない場所なのですが残念な事に現在は身延日蓮宗の寺院となってしまっています。開山日興上人の身延離山~富士大石寺創建の経緯を鑑みれば単立ならまだしも身延日蓮宗に成り果てた重須を日興上人がどれほど嘆かれていることか胸が痛みます。また江戸時代における『讃岐法難』はこの北山門寺の謀略による法難です。そんな北山門寺は新東名経由で大石寺にいく道中に素通りしていましたが今回は立ち寄ってみました。 駐車場に車を停めてまずは案内板を拝見し境内の建物の名称などを確認しました。駐車場は大石寺を背にして仁王門の手前の大通り沿い(進行方向)にあります。無料です。 仁王門 大石寺への道中にいつも目に付く『仁王門』です。今回は

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    sokadamedasi 2022/05/16
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