ドイツとポーランドの間では、自由都市ダンツィヒの帰属とポーランド回廊の取り扱いについて対立があったが、外交交渉では進展はなかった。1939年3月に、チェコスロバキアが解体されると、イギリスは強く反発し、首相ネヴィル・チェンバレンは、ポーランドに保障を与えることを表明した。 英仏両国とドイツから、ソ連を自陣営に取り込む駆け引きが4月から8月の間続いたが、結局、ソ連はドイツを選び、8月23日に独ソ不可侵条約が締結された。この条約には、ポーランドの分割を定めた秘密議定書が付属していた。 9月1日に、ヒトラーは、自作自演の「ポーランド正規軍によるドイツ領のラジオ放送局への攻撃」(グライヴィッツ事件)およびポーランド国内でのドイツ人への迫害ならびに16箇条の要求に対する無回答を開戦事由として、ポーランド侵攻を命じた。 9月3日に、ポーランドと相互防衛条約を結んでいた英仏両国は、ポーランド領からの即時
