■「映画」か「映像」か──意識と無意識 宇川直宏 こんにちは。みなさん第1回「恵比寿映像祭」にようこそいらっしゃいました。本日は松本俊夫先生と僕とで、「映画」祭ではなくなぜ「映像」祭なのかということを手始めに、映像について考えていきたいと思います。先生は1960年代初頭に『映像の発見──アヴァンギャルドとドキュメンタリー』(三一書房、1963)という本を出されていますが、その当時「映像」という概念はいったいどのような位置づけがなされていたのでしょうか? 松本 「映像」という言葉は戦前に寺田寅彦などが使っていますが、現在の意味で使われだしたのは50年代の後半で、何人かが同時代的に使い始めました。僕がこの本を書き始めたのは58年です。「映像」はぴったり対応する外国語がない不思議な言葉で、「イマージュ・フォトグラフィック」や、「イマージュ・シネマトグラフィック」といったように限定した言い回しがな
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