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ブックマーク / shirooo305.hatenablog.com (21)

  • 『SSSS.GRIDMAN』2話の宝多六花に寄る演出について - Paradism

    グリッドマン同盟なるものの発足の傍らで々とした表情を見せる少女、宝多六花。一話における戦闘の影響でクラスメイトが居なかったものとされてしまったことへのショックは隠し切れるものではなく、その心情を汲み取るレイアウト、陰影、距離感が非常にうまく表現されていました。視線誘導的な意味でも、明暗としても、心情的なテンションの差がとても明確に描かれています。もちろん裕太たちにとってもショッキングな出来事であったことには替わりないのでしょうが、おそらくは六花の方がよりその現実を自身が直面している体験として受け止めることが出来ていたのだと思います。 「もし同じ様にまた友達が死んでいたことにされてしまったら」「この世界から消えてしまったら」。ビール函越しのショットはテクニカルでありながらそんな彼女の仄暗い心情をより映していましたし、距離感をつけた切り返しのカメラワークもそういった想いを静かに映し出してくれ

    『SSSS.GRIDMAN』2話の宝多六花に寄る演出について - Paradism
  • 『SSSS.GRIDMAN』9話の演出について - Paradism

    不穏な空気を感じさせる警報音。多くの意味合いを含んでいたであろう信号と踏切。それは音響の側面とセルによって描かれた数多くのプロップ・情報量から世界観を描き続けてきた作の徹底したスタンスの延長でありながら、新しい予感を生み落とすモチーフとしても強く存在感を示していました。 怪獣、踏切、モブと奥から描かれたレイアウトもおそらくは同様で、遮断機と踏切が両者を “分け隔てる” という関係性は現実とは違う舞台を描いた話において大きな役割を果たしていたはずです。以降、幾度となくカットバックされた信号機のカットもそんな冒頭で描かれた物語の大枠を意識させるためのものであり、夢に揺蕩 (たゆた) い続ける話に対し違和感を差し込む役目も果たしていたのでしょう。それがさらなる緊張感を演出していたのは言うまでもなく、フィルム全体に異様な質感を与えていました。 また、分け隔てるという意味においてはこういったカッ

    『SSSS.GRIDMAN』9話の演出について - Paradism
  • 劇場版『若おかみは小学生!』の芝居・身体性について - Paradism

    表情変化や歩き芝居に始まり、抱き寄せる芝居、ものを運ぶ芝居、屈む芝居、掃除をする芝居など、おおよそ生活の中で見られるであろうアニメーションを徹底して描き出した今作。日々人が営む中で起こす動きを描くというのは非常に難しいことですが、それを終始高いレベルでここまで快活に描いていたことにとても驚かされました。加えて、そういった数多くの芝居が物語に寄与していたものは計り知れず、鑑賞後はこの作品が劇場アニメとしてのスケールでTV版とは別に作られた意味を思い知らされたようでした。*1 なぜなら、両親を失くし、祖母に引き取られた先で若女将として経験を積んでいく主人公のおっこがその過程で見せた懸命さも、失敗も、時に見せる子供らしい表情もその全てがとても生き生きと表現されていたからです。着物のシルエットや姿勢、いわゆるフォルムとその動かし方や、それらを内包した生活アニメーションの巧さは前述した通り当に素晴

    劇場版『若おかみは小学生!』の芝居・身体性について - Paradism
  • 『アイカツフレンズ!』13話のラストシーンについて - Paradism

    月に向かい手を伸ばし「まだまだ遠いな」と呟くみおをエモーショナルに切り取ったラストシーン。月灯りに照らされる質感がとても良く、モチーフやレイアウトなどカレンやラブミーティアに交錯した感情を抱いていたみおの内心をとてもよく描き出してくれていました。月と手の “遠さ” で憧れとの距離を映しながら、カメラが反転することで決意を瞳に宿す彼女の表情が映し出されるーー例えば、こういったカットの運びが当に良く、カメラ位置による見え方・陰影の変化*1と月光の意図を多層的に切り取ったカメラワークが「でも、いつかきっと」と語るみおの想いを力強く反映させていたはずです。 ですが、なにより印象深かったのは続けざまに描かれたこのカット。差し伸べられるあいねの手はまるで作に題される『フレンズ』の意味を多く携えているようで、フレームインしてくる手と手の重なり合いが “共に歩み、支え合う” 未来への展望を大きく拓いて

    『アイカツフレンズ!』13話のラストシーンについて - Paradism
  • 『HUGっと!プリキュア』16話の演出について - Paradism

    全てにおいて素晴らしいとしか言いようがなかった話ですが、まず最初に目を奪われたのは構図やレイアウトの良さでした。特に日常パートでの人物配置などは素晴らしく、それぞれの芝居や表情を一つの画面に乗せることで、その空間でのやり取りを楽しく生き生きと伝えてくれていました。一人一人にカメラを寄せ映していくことも出来たはずですが、そうはせずワンカットの中に個性的で豊かな芝居・表情を詰め込んでくれたことが序盤のやり取りの面白さにも繋がっていたはずです。 こういったカットも同様です。手前で面白いやり取りをしている二人を描きながら、その奥にもちゃんとほまれたちを映して彼女たちの反応を描く。些細な反応ですが、それと分かるくらいの距離感・絶妙な配置がとても巧く、彼女たちの関係性が見える空間と空気感を感じられるのがとても良いです。 今回のコンテを担当されたのは渡邊巧大さんですが、こういったレイアウト・構図は他の

    『HUGっと!プリキュア』16話の演出について - Paradism
  • 『こみっくがーるず』と徳本善信さんの演出について - Paradism

    *1 1話序盤から目立っていたロングショットでの芝居。静かに始まる導入と各々が寮へ集まる過程をじっくりと描いていたのが素敵で、とても引き込まれる演出だったと思います。fix、長回しで遠くから二人を見守るようなカメラ位置は、さながら下校する二人の時間をありのまま切り取る映像そのもので、そういった彼女たちの日常的な風景をしっかりと捉え描くことがフィルムに漂う情感の一因になっていました。話の冒頭がこれほどまでにエモーショナルだったのは、劇伴などの効果を踏まえてもやはりそういった映像の影響が大きいように感じられます。 バスト・アップショットなども使いますが、やはり引きの絵が強い冒頭。限界まで引いたような絵からフルショットほどの距離感まで魅力的な構図・レイアウトを使っていたのが非常に良かったです。寮の門を潜り引き戸を締める芝居も、この距離感で描くことに侘び寂びの趣きがあり、間や情感の介在する素敵な

    『こみっくがーるず』と徳本善信さんの演出について - Paradism
  • 『リズと青い鳥』鎧塚みぞれの仕草、掴むことについて - Paradism

    みぞれが髪を掴む仕草が描かれたのは、劇中でおそらく12回程*1だったでしょうか。寡黙にして映像*2で語ることが主体とされた作にあって、彼女のこの癖は強く印象に残り、決して多くを語ろうとはしないみぞれ自身の感情を映すものとして重要な役割を果たしていました。足や手の芝居、瞼、眼球の動きにまで心情の変遷・動きを仮託していた今作ですが、冒頭から終盤まで物語の転換点となる場面で描かれたこの癖はその中でも特に強調されていたように思います。 ただその仕草が具体的にどういった感情を代弁していたのか、ということまではハッキリとは分からず、むしろその描き分けはぼんやりと感情の輪郭を描くに過ぎませんでした。なにかを言い淀むように髪に触れ、掴み、心の中に留める仕草。それは明確な心情が芝居から滲み出る類のものではなく、“なにかしらの感情・言葉を心の内側に抱いている” と感じ取ることが出来るだけの芝居であり、そんな

    『リズと青い鳥』鎧塚みぞれの仕草、掴むことについて - Paradism
  • 『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』5話の演出・再演について - Paradism

    同ポが促す再演への期待。回想で語られたシャルロッテの出会いが現在へと回帰していく映像がとても良く、素敵でした。泣いていた少女と祈る少女を遠巻きに見つめるように前景を立てるレイアウトも憎らしく、この絵を何度も使う理由には今話の主題の一つでもあったシャルロッテ姫の成長を見守る意図も多く含まれていたのだと思います。 もちろん見守るだけではなく、正面から切り取ったり、至近距離までカメラを近づけ、感情を直接的に映し撮るのも今話の良さに拍車を掛けていました。それは作が「当の心を掬い上げる」物語でもあることと同じく、溢れ、零れ出す感情を映像としても見過ごすことなく捉えることに “掬い上げる” という意味を見出したからに他ならないのでしょう。それは時折差し込まれるヴァイオレットやシャルロッテたちの感情的なアップショットにも同じく当て嵌めることの出来るものであり、そうした被写体に寄せるべきカットこそが

    『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』5話の演出・再演について - Paradism
  • 高雄統子演出の視線 『ダーリン・イン・ザ・フランキス』5話 - Paradism

    ゴローがヒロに視線を向けるカットの多さが目立っていたのは序盤。ヒロの変化やゼロツーとの関係を見つめる彼の目は特に印象的に描かれていました。レイアウト的にも巧く、どれもヒロとは目を合わせない位置に置かれ、さりげなく彼を見つめるスタンスが際立ちます。これまでもヒロの傍に寄る立ち振る舞いをしてきた彼ですが、おそらくは立ち直り始めたヒロを見守る役目を彼が担っていることも今回そういった立ち位置で描かれた理由の一つなのだと思います。ですが、きっとそれだけではなかったのでしょう。感じる違和感や、異変。そういったものを含めての視線。だからこそ印象的に映る “傍に居ながらのこの距離感” はかなり独特です。 事のシーンではイチゴに対しても同じような視線を見せます。バストショットから視線を横に映すと次のカットでカメラは引き、イチゴが前部に映る。ここでも丁度影にかかるイチゴのレイアウトが巧く、ゴローとの対比と距

    高雄統子演出の視線 『ダーリン・イン・ザ・フランキス』5話 - Paradism
  • 『宇宙よりも遠い場所』5話の演出について - Paradism

    南極へ旅立つマリの話から一転、めぐみの心情を多分に含んだ話へとシームレスに変遷する物語とフィルムの構成。すっと上手が入れ替わり、話の主体がマリからめぐみへと変化していたことをカット単位で寡黙に伝えてくれる巧さに心がざわつきました。二人の関係と向き合うことを強要するような横の構図がもたらす印象はとても強烈で、対立的。なによりゲーム機のコードをわざと引っかけたことや前話のCパート、遡れば意味深だったこれまでの彼女への映し方なども含め、今回の話はそうして彼女が溜め込んでいたものを直接的に映すことへ余り躊躇 (ためら) いがありませんでした。 淀みを含んだ感情。それを覆う壁。押し流すことが出来ない心の弱さ。フレーム内フレームで閉ざされた空間にめぐみを映したのも意図的で、マリとの距離感を感じさせる上、そこから想起されるものはやはり作の代名詞とも呼べるあの水たまりのカットに他なりません。それは普段の

    『宇宙よりも遠い場所』5話の演出について - Paradism
  • 『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』1話の手の芝居と演出について - Paradism

    輪郭線や反射光・影の多さなど、これまでの京都アニメーション作品を振り返っても特筆して線量の多いデザインと言っても過言ではない今作ですが、その中でも特に印象に残ったのは手の芝居に関してでした。それも感情や想いがその手を動かしているよう感じられたものが多く、例えば冒頭でヴァイオレットが自問自答するシーンに合わせ描かれた芝居はそういった感情の表出がとても顕著だったと思います。 ぎゅっと胸元を押さえるような動き。言葉にできないものに触れようとする指先の加減。「心を持たない」と言われ、普段の表情も決して豊かとは言えないヴァイオレットですが、この芝居はそんな通説に反してとても感情的だったと思います。芝居自体は大袈裟なものではありませんが、「こういうの、なんと言うのでしょう」と語るヴァイオレットの言葉を体現するような手の動きがよりこの芝居を感情的なもの足らしめてくれていました。なにより、こういった芝居こ

    『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』1話の手の芝居と演出について - Paradism
  • キャラクターの細部から溢れ出す楽しさの感情、その伝染 - Paradism

  • アニメにおける脚・足先描写の素晴らしさについて - Paradism

    『NEW GAME』3話を観て衝撃を受けました。3話は全体的に観ても大変素晴らしく、キャラクターたちの感情の乗り方やその想いを映して描かれる仕草への拘りが非常に色濃く出ていたわけですが、その中でもBパート終盤のベンチに腰を掛けてからの一連のシーンは溜息が出る程に凄く丁寧に描かれていたと思います。 あの瞬間、友人と嬉々として話す青葉がどういう感情を芽生えさせていたのかということが端的に読み取れるフィルム。自分の好きな作品を語っている内にどうしようもなく楽しくなってしまう心の変遷を、言葉ではなく、彼女の仕草で表現することでその想いが決して嘘ではないと寡黙に伝えてくれる足先の表情。 それこそ四肢の表情づけって見た目よりずっと大変な作業で作画的なカロリーもかなり高い難しいものですから、無理にそういうカットを入れる必然性って実はないはずです。でも、ああいうカットを入れる必要性はあったりして、それこそ

    アニメにおける脚・足先描写の素晴らしさについて - Paradism
  • 吉田健一展と 『バレエ・メカニック』 - Parad_ism

    先日、西荻窪のササユリカフェで開催されている吉田健一さんの個展に行ってきました。『電脳コイル』 から 『Gのレコンギスタ』、『キングゲイナー』 など氏の手掛けてきた多くの作品の資料が展示されていたわけですが、特に 『エウレカセブン』 が大好きだった私としてはその圧巻の資料群を前に心を躍らせずには居られませんでした。 中でもある一冊のファイルに綴じられていた資料に私は驚きを隠せませんでした。第48話 『バレエ・メカニック』。アネモネとドミニクの恋路、その結末。あの素晴らしいエピソードを綴った話の脚・原稿がそこには収められていたのです。 「もし、この戦いが終わっても生きていいって言われたら。小さな鏡を一つ買って、微笑む練習をしてみよう――」 そんな彼女の言葉を筆頭に綴られた台詞と描写の数々はとても生き生きとしていて、それはもう読んでいるだけで一つ一つのシーンが鮮明に目の前へと蘇るようでした

    吉田健一展と 『バレエ・メカニック』 - Parad_ism
  • テレビアニメOP10選 2014 - Paradism

    昨年書いた記事から丸一年。季節も頃合いということで約1週間の遅れとなりましたが今年もこの企画に参加させて頂こうと思います。放映季順、他順不同、他意はありません。敬称略。視聴した作品からのみの選出で、選出基準は毎年同様 「とにかく好きなOP」 です。 未確認で進行形 / とまどい→レシピ 「タッタッタラ」 という軽快なリズムにのってお贈りされる四季折々のフラッシュメモリーに気持ちが昂まれば、そのリズムを身体全体で刻む少女たちの可愛さに酔いしれる素晴らしいOP。表情豊かなその作品性よろしく、主要キャラからサブキャラまで実に楽しそうなのが凄く良いです。動画工房らしい大きな動き、アニメらしい表現もとても魅力的。あと定点観測のカットにはどうしたって抗えないな、なんていう再確認もありつつ。 生徒会役員共* / 花咲く最強レジェンドdays アバンにOPのイントロが噛んでくるのが好き過ぎるやつ。爽快感の

    テレビアニメOP10選 2014 - Paradism
  • 『凪のあすから』 5話・6話にみる 『光』 と 『影』 についての見解 - Parad_ism

    アニメ雑感最近になり、ようやく12話まで視聴した 『凪のあすから』。シナリオとしてだけでなく、映像的にも当に素晴らしい作品だなぁという印象で、毎話観るごとにどんどんこの世界観と彼らの関係性から紡がれる物語に惹き込まれてしまうわけですが、その中でも特にグッときた幾つかのシーンが同じ類いの意図をもって描かれているように感じられたので今回はそのことについて少し纏めてみようと思います。 それも “陽の光があたる瞬間”、その “導き” が画面に滲む一瞬とでも言えばいいのでしょうか。多くのしがらみや想いの交錯が起こり続ける物語の中でありながら、それでも前へ進もうと視線を上げ、その一歩を踏み出した者たちへと贈られる “祝福” の陽射しがこの作品世界においては物語の節目節目で度々射し込まれているような、そんな感覚が凄く残っているというか。 特にそういった印象が顕著だったのが5話Bパートのラストシーン。美

    『凪のあすから』 5話・6話にみる 『光』 と 『影』 についての見解 - Parad_ism
  • Paradism

    昨晩、『ルックバック』を観ました。この作品が読み切り漫画としてインターネットで発表された当時、この作品を読み、どういった感情を抱いたかはもう鮮明に思い出すことは出来ません。その理由はあの漫画を読み生まれた感情のほとんどを、私自身が覚えておくことを放棄したからなのだと思います。ただなんとなく覚えているのは怒りと、悲しみと、憎しみと、感動してしまったという曖昧な記憶だけです。そんな感情たちの枝葉を思い出すことが怖かったからなのかも知れません。この映画化が発表された時には少しばかり"不快さ" を感じたことを今もよく覚えています。 だから、当はこの映画を観に行くか凄く悩みました。それは私にとってとても覚悟のいることで、難しくて、未だ整理出来ているかも分からない出来事や感情に対して土足で踏み入られる気がしてしまって、自分が覚えておくことを放棄したはずの想いを思い出させられてしまうんじゃないかって。

    Paradism
  • アニメにおける腋描写の美学 - Parad_ism

    アニメ雑感人それぞれ趣味趣向というものはあるはずで、中でも局部的なフェティシズムに心擽られた経験があるという人は、そう少なくもないのではないでしょうか。それこそ例えれば、指先や踝(くるぶし)、首筋から襟足と多岐に渡るフェチポイント、そうした各所が魅せる輪郭線は人により時に美しく、また艶めかしくも映るもので、そうした女性特有のラインに胸をトキメかせた体験のある男性って結構多いと思うんです。 そして何を隠そう、私は 『腋』 が好きです。大好きと言っても過言ではないくらいに結構アニメ観てる時は腋の辺りを気にして観ています。けれどそうは言ってもただ画面に腋が映っていれば良いというものでも決してなく、そこには私なりの拘りとか美学みたいなものが少なからずあるわけで、それこそ乱雑な腋の魅せ方は余り好みではないですし、その善し悪しを決める境界の自論も簡潔に言ってしまえば以下のツイートに集約されてしまうのだ

    アニメにおける腋描写の美学 - Parad_ism
    txmx5
    txmx5 2014/04/17
    最近脇描写(露骨さはひとまずおいておいて)が多い気がしてる
  • 信頼のためのルール改変とルールの構築 / 『ゆゆ式』 8話 - Parad_ism

    ゆゆ式, アニメ雑感ゆゆ式世界におけるテーマのすり替え、俗に言う“ルールの改変”。時に当初のテーマを逸脱してしまうまでに解釈が肥大した彼女たちの答え(まとめ)においては、それこそ彼女たちだからこそその答えが出せるのだろうという想いはやはり強いわけですが、そこに誰が何をという若干の約束事はあれど、そうして繰り出される斜め上の答えとやり取りに対しては非常に振れ幅の大きい面白コミュニケーションだなという印象を強く抱いていました。 それはただ単にわけの分からない言葉を重ねるだけの会話では決してなく、たとえば「○○に××を言ったら…」という未来予測を兼ねての方程式的なコントであるという認識であり、それこそが“ゆゆ式”であるという解釈で、だからまぁ“ルールの改変”っていうのもつまりはそういう過程の積み重ねで、簡単に言ってしまえばそれも「ああ言ったらこう言う」、「こう言ったらああ言う」の繰り返しでしかな

    txmx5
    txmx5 2013/06/21
  • 野々原ゆずこという視点、その風景、そして憂鬱 / 『ゆゆ式』 5話 - Parad_ism

    ゆゆ式, アニメ雑感前回の記事においては 『ゆゆ式』 世界における彼女たちの共有感や、また共有しようと望むその目線の置き方について書かせてもらったわけですが、しかしながらこの5話においては一転して彼女たちの世界における断絶を描いていたように感じられたと言いますか。 それはこれほどまでに独特の空気感を即興且つ、変幻自在に作り上げてしまう彼女たちにしても、やはりその何もかもが一心同体では決してなく、相容れない目線というのも確かにそこにはあるのですということで、つまりは簡単に言ってしまうと “親友以上、幼馴染未満” という立場を取る野々原ゆずこの立ち位置って実はかなり危ういよね、とかいうそんな話で。 特にそういったことを強く意識させられたのは、唯と縁が織り成す世界観からゆずこがそれとなく疎外されているように感じられるカットの数々。画面から若干見切れているところも含め、またそれは “彼女の目線”