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ブックマーク / ten-navi.com (10)

  • 脅しも謝罪も必要ナシ。スゴ腕の債権回収OLに教わった、「人の動かし方」がスゴい

    会社員なら、他人に仕事を頼んで、その進捗を確認するのが「面倒くさい」と感じた経験があるはず。しかし、たとえどんなに面倒でも、自分がすべての仕事を背負うのは不可能です。一体どうすれば他人に気持ちよく動いてもらえるのでしょうか。 今回お話をうかがったのは榎まみさん。これまで2000億円もの債権を回収してきた、スゴ腕のオペレータです。多重債務者と日々向き合い、数多のクレームや罵詈雑言に立ち向かってきました。 そんな榎さんも、新入社員の頃は「人と話すのが苦手だった」そう。自己分析を繰り返し、債務者の心理を研究することで、「人にものを頼むテクニック」を身につけていきました。 インタビューでは、電話からメールまで幅広く使えるテクニックを惜しみなくご紹介いただきました。その内容を、8つの心得、文章添削のパートに分け、まとめています。優しいしゃべり口からは想像できない、人間の心理に対する深く鋭い洞察が

    脅しも謝罪も必要ナシ。スゴ腕の債権回収OLに教わった、「人の動かし方」がスゴい
  • あの大ブレイクから13年…。「求められる自分」を演じていた平野綾が自分らしく輝くまで

    ミュージカル『レ・ミゼラブル』や『レディ・ベス』などに出演し、舞台俳優として第一線で活躍されている平野綾さん。 実は彼女、2006年にテレビアニメ『涼宮ハルヒの憂』の涼宮ハルヒ役でブレイクした“声優”としての顔も持っています。 華々しいキャリアを持つ平野さんですが、「周りが抱くイメージと実際の自分とのギャップが大きすぎて、ずっと自信を持てなかった」と言います。 「今はありのままの自分で勝負できるようになった」と語る平野さんに、そのきっかけとなった出来事やそれまでの葛藤を伺いました(※) (※)インタビューは2019年5月14日に行っています。 ずっとハルヒのイメージを演じ続けていた 平野綾(ひらの・あや)。1987年、愛知県名古屋市出身。1998年から子役として活動を始める。14歳の時に声優デビュー。2006年に、テレビアニメ『涼宮ハルヒの憂』の涼宮ハルヒ役でブレイク。2011年に『

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  • かつて面接に「うさ耳パーカー」で臨んだ私が、今だから言える「自分らしさ」のこと|ひらりさ

    ダメ就活生、「自分らしい服装」で四苦八苦する 「自分らしい服装でお越しください」 就職活動に身を投じたことがある人なら、誰もが聞いたことがある言葉だろう。Google検索で「自分らしい服装」と打ち込めば、「“自由な服装”の正解って?」「スーツ? 私服?」「色つきのシャツは大丈夫?」などのウェブ記事が大量にひっかかる。企業の指すものがわからずに右往左往している就活生が、とてつもなく多いということだ。 2012年——大学院に合格していたものの、「やっぱりにかかわる仕事がしたいな」という気持ちが捨てられずに留年覚悟で就活を始めた私の身にも、この罠はふりかかってきた。 大好きなアニメ系雑誌を擁する出版社。書類選考、筆記試験をどうにか通過した後の一次面接。案内メールの「自分らしい服装でお越しください」を読んだ私は、「自分らしい」の咀嚼の結果として、夢見る乙女に愛用されているロリータ系ブランド「MI

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  • 29歳、人生に詰んだ元アイドルは「赤の他人のおっさん」と住む選択をした|大木亜希子 | Dybe!

    2017年、11月某日。 得意先に向かう途中、私は突然、足が動かなくなった。 「動かない」というのは、比喩ではない。文字通り、足が一歩も前に進まない状態になったのだ。 日比谷駅で。 肉離れをしたわけでもなく、脚の神経が故障したわけでもない。 ただ、PC上で強制終了が選択されたように、「歩くのやーめた」という号令が脳に降り、それきり司令塔は機能しなくなった。 その数分前まで自分を苦しめていた「彼氏が欲しい」「給料上がれ」といった煩悩のダムは、静かに決壊した。 かすかに電車がやってくる音がして、「黄色い線の内側をお歩き下さい」という駅員の怒号が飛ぶ。 ギリギリのところで車両はかわしたが、はたして悟る。 「これはきっと、しばらく何をしても動かねぇな」 予想は的中した。 その後も数十分間、の裏が地面に接着剤で固定されてしまったような状態が続く。 狭いホームで、通勤バッグを抱えたアラサー女が一時停

    29歳、人生に詰んだ元アイドルは「赤の他人のおっさん」と住む選択をした|大木亜希子 | Dybe!
  • 副業禁止のサラリーマンがゲスの極み乙女。でベースを弾きながら会社とバンドを両立していた日々のこと|休日課長インタビュー

    副業禁止のサラリーマンがゲスの極み乙女。でベースを弾きながら会社とバンドを両立していた日々のこと|休日課長インタビュー
  • ほとんどの上司は「自分は”えこひいき”していない」と思っているが、実際にはしている|by ふろむだ | Dybe!

    僕、頭が悪いんです。 僕みたいな人間は、どうやって生きていけばいいのでしょう? こんな相談を、ときどきネットで受けます。 いや、だったら、頭で勝負しなけりゃいいだけです。 頭が悪いなら、好感度で勝負すればいいんです。 実力が低く、成果をあまり出せない人でも、 好感度が高ければ、実力も成果も、実際以上に高く知覚されるからです。 これは、感情ヒューリスティックという認知バイアスが作り出す、思考の錯覚です。 もちろん、逆もあります。 それなりに実力があって、成果もそこそこ出している人でも、 嫌われちゃうと、実力も成果も実際よりもずっと低く知覚されます。 「好かれるやつは、”えこひいき”されるってことだろ? そんなの当たり前じゃん」 って思いました? そうじゃないんです。 拙著『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』に詳しく書きましたが、ここで重要なのは、『「意識」の知らない

    ほとんどの上司は「自分は”えこひいき”していない」と思っているが、実際にはしている|by ふろむだ | Dybe!
  • 才能がないからなんでもやった。そしたら半端ない自信がついた|俳優・河相我聞のはたらく論

    自分の武器ってなんだろう。 誰かや仕事に向き合った時に、「これが自分だ!」と声高に宣言できる“何か”が、自分の中にあるのだろうか。 多くの人が、どこかでこんなふうに感じたことがあるかもしれません。しかし、こうした疑問は(残念ながら)完全に霧散することはないでしょうし、どんな環境にいても突きつけられるでしょう。学校でも、会社でも、そして芸能界でも、です。 俳優の河相我聞さん。10歳で子役デビューし、芸能界でのキャリアは30年以上。90年代にはアイドル的な人気を博しました。 20代でブレイクした当時は「自分がなぜ売れているのかわからなかった」という河相さん。「芝居も歌も下手くそ。すべてにおいて凡庸だった」と語ります。 芸事において、最も重要に思える才能という武器。ならば、「自分は武器を持っていない」と自ら語る河相さんは、いったい何をよりどころに芸能界を生き抜いてきたのでしょうか? 河相さんの働

    才能がないからなんでもやった。そしたら半端ない自信がついた|俳優・河相我聞のはたらく論
  • 相方が売れて闇落ちした僕が「好き」を発信したら年収800万円になった話

    成功している同級生がまぶしい。Facebookでの、みんなの近況報告に嫉妬してしまう。「なんで自分だけうまくいかないんだろう?」「自分のほうが努力しているのに」。そんなネガティブな思考に陥ってしまうこと、あると思います。 当は卑屈な自分を受け入れ、ありあまる負のエネルギーを前向きな方向につなげたい。でも、立ち直り方がわからない。そんな時におすすめしたいがあります。『ただのオタクで売れてない芸人で借金300万円あったボクが、年収800万円になった件について。』(小学館)です。 著者は、お笑いコンビ天津の向清太朗さん。向さんは「吟じます」のエロ詩吟でおなじみの、木村さんの相方です。「大ブレイクした相方を横目に、嫉妬で闇落ちしてしまった」と話す向さんですが、現在は漫才など芸人の仕事のほか、”副業”のライトノベル原作やイベントプロデューサーとしても大活躍。漫才にこだわらず好きなことをやろうと思

    相方が売れて闇落ちした僕が「好き」を発信したら年収800万円になった話
  • 才能なきカメラマンが生き残るためにやったこと|つるたま

    どんな仕事をしていく上でも、「才能」とは不可欠な要素に感じられますが、プロカメラマン・ブロガーとして活躍するつるたまさんは「自分に才能なんてない」と言い切ります。一見、才能こそがものを言うクリエイティブワークの世界で、長くキャリアを積み重ねてきた戦い方をつづってもらいました。 はじめまして。つるたまと申します。 僕の現在の職業はフリーのカメラマンで、依頼を受けて写真を撮ったり、時にカメラに関する原稿を書くなどして生活しています。今回、若い会社員の方々に何かメッセージを、というオーダーを受けたのですが、改めて振り返ってみると、“写真を撮ってお金をもらう”という、いわゆる職業カメラマンとしての僕のキャリアは、2018年で16年目に入りました。 組織に属する会社員としての経験は約8年しかないので、決して豊富とは言えません。しかし、フリーカメラマンという収支に波がある仕事を続けてきた過程から得た「

    才能なきカメラマンが生き残るためにやったこと|つるたま
  • 新人でも、実力不足でも、自分を守るために怒っていい|はせおやさい

    激務とストレスによって仕事を辞め、そのときの心情や状況を『逃げろ、そして生き延びろ』とブログにしたため、大きな話題を呼んだ、ブロガーのはせおやさいさん。はせさんが当時のことを改めて振り返り、「あのときの自分に送りたいアドバイス」を言葉にしてもらいました。 社会人デビューして以降、上司からのどう喝に心を閉ざしていた頃 社会人デビューして以降、自分は仕事で存在意義を発揮できていない、と焦るばかりの日々でした。 20代半ば、キャリアアップのために異業種へ転職するも、運悪く入社した会社がブラック企業。土日出社は当たり前で、営業職で入社したわけでもないのに、無理な販売目標を設定され……。「これはおかしい」と思いながらも、それでもその目標に応えられないのは、能力が低いからだ、と自分を責める日が続きました。こうした自責の念から死にものぐるいで働いた結果、心身の不調を訴えて退職。地獄のような休養期間を乗り

    新人でも、実力不足でも、自分を守るために怒っていい|はせおやさい
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