本稿は,保科孝一に言及している論文をレビューすることによって,保科孝一の仕事であ る国語政策,及び国語政策に付随的に扱われてきた国語教育政策の持つ意味を明らかにし, 特に国語教育史研究上の課題を明らかにするものである。近年,保科孝一の仕事は社会言語 学や社会学の文脈で再検討されることはあったが,国語教育の分野では再検討されるという ことはなかった。保科孝一の国語教育は,国内においては「内なる辺境」である地方に標準 語を普及させ,国民を形成するものであった。そして,保科孝一の国語改革は植民地,「大 東亜共栄圏」などの「外なる辺境」の発見によって,国語を普及させるために国語自体を学 びやすく変化させるものであった。