2011年05月14日 出来事を蒙った他者たちと「われわれ」:科学的データを持ち出して議論する以前の問い 「他者」というのは、簡単に言ってしまえば、私たちには理解できない人間のことだ。だから「他者」について考えることは無意味で、私たちは単に理解できる情報によって理解できる人間だけを相手に生きるのだろうか? 私たちは放射線を大量被曝するということを「理解」できるのだろうか。確かに科学的な情報としてそれを把握することは可能であろう。しかし大量被曝を経験することがどのようなことであるのかは、科学的な情報で把握しきれるものだろうか?専門的な知識を持ったものが全ての情報を完全に把握したとしても、決して「分かる」ことなどできないものがあるのではないだろうか。ある出来事を直に蒙った人々は、それを間接的に知った人々にとっての他者なのではないだろうか。 私たちは、直接に出来事を蒙っているとは言えないときにで