(第131号、通巻151号) 日本の政界はここ1、2年、衆議院は解散するのか、総選挙はいつになるのか、の問題に明け暮れしてきた感がある。政治状況によっては、とうに「総選挙の火蓋(ひぶた)が切って落とされた」かもしれない――という文のカギ括弧の中の表現は、厳密に言えば誤用になる。が、実際にはどこかの首相ではないが、辞書でも扱いに「ブレ」が見られるのである。 「火蓋を切る」は、戦いやスポーツの試合を始める時に使われる言い回しだ。ふつうは「決勝戦の火蓋が切られた」という風に受動態(受け身)で使われる。その際、「火蓋が切って落とされた」と「落とされた」を付け加えられることが多い。歯切れがあり、声に出すと語調がよいせいか、放送でよく耳にする。まったく不自然には感じない。私自身もしばしばこの表現を使ったことがあるような気がする。しかし、「火蓋」の本来の語義を考えると、「火蓋が切って落とされた」では意味