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ブックマーク / hiiragi-june.hatenadiary.org (22)

  • 「火蓋は切って」も「落とされ」ない?! - 言語楼−B級「高等遊民」の戯言

    (第131号、通巻151号) 日の政界はここ1、2年、衆議院は解散するのか、総選挙はいつになるのか、の問題に明け暮れしてきた感がある。政治状況によっては、とうに「総選挙の火蓋(ひぶた)が切って落とされた」かもしれない――という文のカギ括弧の中の表現は、厳密に言えば誤用になる。が、実際にはどこかの首相ではないが、辞書でも扱いに「ブレ」が見られるのである。 「火蓋を切る」は、戦いやスポーツの試合を始める時に使われる言い回しだ。ふつうは「決勝戦の火蓋が切られた」という風に受動態(受け身)で使われる。その際、「火蓋が切って落とされた」と「落とされた」を付け加えられることが多い。歯切れがあり、声に出すと語調がよいせいか、放送でよく耳にする。まったく不自然には感じない。私自身もしばしばこの表現を使ったことがあるような気がする。しかし、「火蓋」の来の語義を考えると、「火蓋が切って落とされた」では意味

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  • 「慮る」は「おもんばかる」か「おもんぱかる」か - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第281号、通巻301号) なにかを計画する時に周囲との関係や将来への影響などを考え合わせることを「慮る」という。例えば「相手の立場を慮る」、「事態を慮る」などと使う。この「慮る」をどう発音するか。 「おもんばかる」。私自身は、そうとしか読みようがないと思ってきた。ところが、前回のブログで「生保」を「ナマポ」と発音する今時の若者の言葉遣いを取り上げた際、ついでにいろいろ調べているうちに、ひょんなことから「慮る」の読み方が一様でないことを知った。博識の方にとっては常識かもしれないが、私にとっては新鮮な驚きだった。 小学館の『日国語大辞典』第2版によれば、「おもいはかる」の変化した語とある。それが「おもんはかる」に変わり、さらに「は」が濁音化して「おもんばかる」という読み方になった、という。中世から近世の日語を採集して編纂された『邦訳 日葡辞書』(岩波書店)には「ヲモムバカル」《注》と表

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  • 「ご返事」か「お返事」か“相乗り語”余話 - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第265号、通巻285号) 前号からの続きの今回をもって再録シリーズの最後としたい。「お誕生」「ご誕生」のように、「お」も「ご」も使える単語はそう多いわけではないが、少しずつ増えつつあるように見える。前回のブログの末尾でも紹介した、このような「相乗り」語には規則性があるのだろうか。私が調べた限りでは明確な基準はないように思われるが、ある傾向はうかがえる。「ご」→「お」、「ご」=「お」の移行である。 冒頭に例を引いた「誕生」は漢語だから基ルールからいうと「ご誕生」となるべきであり、「お誕生」はありえなかったはずだ。しかし、現実には「お誕生日、おめでとう」とか「お誕生会」とかなどとごく日常的に使われており、なんの違和感も覚えない。「祝辞」「勉強」「年始」なども「お」と「ご」の両用を耳にする。 「ご」が、尊敬を表すことが多いのに対し、「お」は、尊敬はもちろんのこと、美化や冷やかし、皮肉、ある

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  • 続『新明解』最新版――辞書の個性 - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第256号、通巻276号) オリンパスの損失隠し問題をめぐって第三者委員会が先週公表した報告書の中に、目を引く表現があった。問題の根源に「悪い意味でのサラリーマン根性の集大成とも言うべき状態」があったと断罪したのである。 前回のブログで『新明解国語辞典』第7版(以下、『新明解』と略)を取り上げたが、その新聞広告の中に実は「サラリーマン根性」という語の運用例も掲載されていた。「『サラリーマン根性』などの形で、定期的な収入を得て安定した生活をすることを第一として仕事に情熱や意欲を持とうとしない、サラリーマンの陥りがちな人生態度を、非難や皮肉の気持ちを込めて言うことがある」。 これは、語釈ではなく「運用」欄に書かれたものだが、個性的な解釈ではある。それは、『新明解』の編集主幹を務めた故山田忠雄氏の個性を反映したものにほかならない《注》。山田主幹は、好悪の情が激しかったかった方のようだ。たまたま

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  • 『新明解国語辞典』最新版――変わらぬ個性的な語釈  - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第255号、通巻275号) 三省堂の『新明解国語辞典』は、辞書好きの間では「新解さん」(以下、「新明解」と略)の愛称で知られる《注1》。その第7版が「日発売」と12月1日付けの朝日新聞朝刊に全面広告で掲載された。「日で一番売れている国語辞典」のキャッチコピー付きだ。辞書マニアをもって任じる言語郎としては、是も非もない、すぐさま近所の書店にかけつけ買い求めた。 新しい種類の辞典が出版される時、あるいは第6版から第7版になった、今度の『新明解国語辞典』のように改訂版が出される時は、新しく収録された新語に注目が集まりがちだ。だから出版社側は、「新語をいくつ入れ、収録項目はいくつに増えた」などと新語収録をうたい文句にしがちなのだが、『新明解』第7版の場合は、いささか様相が違う。 「日発売」の新聞広告には、20の単語の語釈(1語は運用説明のみ)を載せているが、どれも7版になって初めて収録した

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  • 「間人」と書いて何と読むか  - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第254号、通巻274号) 前号に引き続き漢字の読み方について。「人間」という2文字の順序を逆にして「間人」《注1》と書けば何と読むかご存じだろうか。京都など近畿方面の旅から戻り、最寄り駅に降り立って帰宅途中の知人とばったり出会った際、挨拶がてらの立ち話の中で「間人ガニ」《注2》と呼ばれる絶品のマツバガニを堪能してきたという土産話を聞いた。「間人」は「たいざ」と読むのだという。 もちろん、この言葉自体は「かんじん」とも読む。白川静の大著『字通』(平凡社)の「間人(かんじん)」には「ひま人」の用義例がある。また、『新潮日語漢字辞典』の「間人」の見出しの項には、2通りの読みが載せられている。最初に挙げられているのがやはり「かんじん」だ. 語義として「1)敵地に入り込んで情勢など探る人 2)用事がなくて時間をもてあましている人。また、俗世を離れて静かに暮らす人」と記述している。また、問題のマ

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  • 続「赤とんぼ」。歌詞の謎 - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第249号、通巻269号) 「赤とんぼ」を子どもの頃、口ずさんでいて分からなかったのは1番の歌詞の「おわれてみたのは」の「おわれて」だった、という人が少なくない。漢字で「負われて」とあれば、誤解は避けられるが、耳から聴いただけでは「追われて」とも受け取られるからだ。いったい何に(or誰に)追われるのか、という疑問だ。もちろん、ここは「負われて」つまり「背負われて」の意。作詞者の三木露風《注1》は幼い頃、子守娘におぶわれて赤とんぼを見た、のである。子守娘とは、3番の歌詞に出てくる「姐や」を指す。 この「姐や」を「姉や」と勘違いし、露風の姉のことだと解釈している人もいる。文春文庫の高島俊男著『お言葉ですが…4 広辞苑の神話』に、ある雑誌を見ていたら〈現在では15歳で嫁に行くなどとは考えられないし、少子化で15歳の長姉が(歳の)離れた何番目かの弟を背負って子守りすることもなくなった〉とあったこ

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  • 4通りもある「人気」の読み方と意味の違い - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第244号、通巻264号) 文中に「人気」という2文字を目にしたらごく自然に「にんき」と読む。ただ、文脈によっては「人気のない境内」などのように「ひとけ」と読む場合もある。しかし、「じんき」という読み方までは思い至らなかった。 昭和半ばころの、ほんの少し前までの市井の古い言葉に巧みだった作家の向田邦子の回想録に「人気」と書いて「じんき」と読ませる個所がある。向田が飛行機事故で亡くなってから30年になるのを機に朝日新聞夕刊で連載した「人生の贈りもの」という記事だ。妹の向田和子さんからの聴き語りをまとめたものだが、その3回目「闘病の姉と『ままや』開店」で和子さんが姉から「女同士でも気軽に入れる店をやりましょう。人気の良い場所でね」と小料理屋を開くよう勧められる行(くだり)で「人気」の2文字に「じんき」とルビが振ってあった。 「人気スター」とか「若者に人気のある」など“popular”という意

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  • 「エンスト」はエンジンストップの略じゃなかった - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第234号、通巻254号) 思い込みによる言葉の間違いは、辞書編纂(へんさん)者も凡人と同じように犯すことがあるようだ。 エンスト。意図しない所で不意に車のエンジンがストップしてしまうこと。この語は、エンジン・ストップ(engine stop)という英語を日流に略したものだ、と思い込んでいた。ところが、数日前、当ブログの愛読者の1人から「三省堂の辞書は間違いが多い。エンストをエンジンストップの略語だと、解説しているが、正しくは“エンジン・ストール”の略語である」という趣旨のコメントが寄せられた《注1》。 まさか、と思いながらもさっそく各辞書に当たってみた。いつもと手法を変えて、まず和英辞典を引くと、『スーパーアンカー和英辞典』(学研)は「エンスト」の項で「engine failure[stall]」と英語を示した後、「危ないカタカナ語」なるコラムを設けて次のように親切に教えている。 「

    「エンスト」はエンジンストップの略じゃなかった - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言
  • 「間髪を容れず」は「かんぱつ……」ではない - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第207号、通巻227号) 「すぐに」「即座に」の意の「間髪を容れず」《注1》という成句をどう読むか。会話でもごく普通に使う言葉だ。おそらく大半の人は「かんぱつをいれず」と言うに違いない。しかし、「かんぱつ」を国語辞典で引いてみても載っていないはずだ。 正しくは、「かん、はつをいれず」と読む。「間」と「髪」の間に区切りを入れるのだ。辞書の中には、「間、髪を……」とわざわざ読点の「、」を入れて表記している例もある。つまり「間髪」という単語は、厳密にはないのである。3年前の当ブログで取りあげた「綺羅(きら)星」と同じ間違いである《注2》。「綺羅、星の如く」と区切るのが来の用法だ。 このような間違った区切り方を、言葉遣いの達人・井上ひさしは戯曲の題材に取りあげ、『国語事件殺人辞典』という作品の中で「ベンケイ病」とか「言語不当配列症」と名づけている。言うまでもなく、「弁慶がなぎなた(薙刀)を振

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  • 「やばい」の扱いに見る辞書の個性 - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第202号、通巻222号) 「やばい」に「すごくいい」「旨い」などとプラス・イメージの意味が加わったのは、前回のブログで紹介したように割と最近になってからだ。いくつかの国語辞典を引き比べてみると、新用法に対する姿勢、言い換えれば辞書の個性が分かってなかなか面白い。 まず、国民的な辞書を自負する岩波書店の『広辞苑』第6版は「不都合である。危険である」と旧来の意味を簡潔に載せているだけ。語源も用例もなく、実にあっさりと片付けている。 日最大の『日国語大辞典』第2版(小学館)は、「(「やば」の形容詞化)。危険や不都合が予測されるさまである。危ない。もと、てきや・盗人などが官憲の追及がきびしくて身辺が危うい意に用いたものが一般化した語」と詳しく記述しているものの、近年の新用法には言及していないという点では、『広辞苑』と同じである。 このブログでしばしば引用する『明鏡国語辞典』(大修館書店)』

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  • 「杜」と「森」の違い - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第199号、通巻219号) 今回は、3週間前の196号のブログで「森」と「林」を取りあげた際に宿題としていた「杜」について述べてみたい。 「杜」と「森」の違いは、普通の国語辞書でははっきりしない。と言うより同じ言葉として扱っている。岩波書店の『広辞苑』にしても三省堂の『大辞林』にしても、あるいは小学館の『大辞泉』にしても同様だ。三冊の中型国語辞典の代表として『広辞苑』の記述を例に挙げる。 ――もり【森・杜】1)樹木が茂り立つ所。2)特に神社のある地の木立。神の降下してくるところ。3)(東北地方で)丘。 異体字とか当て字とか略字とかの注があるわけでない。1)の意では「森」、2)の意では「杜」を使うのが普通、などという解説があるわけでもない。見出しの項目としては森と杜は完全な“同字”扱いだ。まじめに辞書に当たってみた利用者は戸惑ってしまう。言葉の用法への配慮が足りないのが日の国語辞典の大き

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  • 「知ってか知らずでか」 - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第193号、通巻213号) 愛用している英和辞書が2冊ある。学習研究社の『スーパーアンカー英和辞典』と小学館の『プログレッシブ英和中辞典』である。スーパーアンカーの編集主幹を務める山岸勝榮氏は英語学、言語文化学が専門。日語の語感もするどい。同氏が自分のホームページ「山岸教授の日英語サロン」《注》で、“知ってか知らずでか”を“知ってか知らずか”と書く人が多くなってきている、と慨嘆している一文を読んだ。それに触発され「知ってか知らずでか」という慣用句についてにわか勉強を始めた。 結論的に言ってしまえば、「知ってか知らずでか」が伝統的な来の用法だったと思われる。それが、いつのころからなのか、後ろ3文字の一部が省略されるようになってきた。その延長で広まった新語法の中で勢力をもったのが「知ってか知らずか」だ。 今や新聞でも使い、テレビ、ラジオのアナウンサーも口にしているが、山岸氏に言わせると「

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  • 「ご存じ」か「ご存知」か - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第192号、通巻212号) ひらがなで「じ」と書くか、漢字で「知」と書くか。今回の標題の場合、あなたはどちらを使うだろうか。おそらくほぼ半々に分かれるに違いない。 「ごぞんじ」は、動詞「存ず(る)」から来ている。存ずる、とは「考える」「思う」や「知る」「承知する」「心得る」の意の謙譲語である。その動詞の連用形が名詞になって「存じ」になり、そこに敬意を表す接頭語「ご」が付いたものと考えられる。現在では「御存じ、ご存じ」と書くのが普通である。しかし、「知る」という意味に引かれて一般に「御存知」と書くこともかなり行われている《注1》。 ほとんどの国語辞典や用字用語辞典の類は「御(ご)存じ」を正統扱いにしている。見出しに「御存知」を出している辞書でも「じ」の方を先に挙げており、「ご存知」は当て字としている場合が多い。以上が通説である。 『明鏡国語辞典』(大修館書店)の編者たちが執筆している『続弾

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  • 「新常用漢字」余話 - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第177号、通巻197号) 当用漢字から常用漢字へ、そして「改定常用漢字」へ。先頃、文化審議会の国語分科会で改定の答申案が承認された。年内に正式決定される運びという。日常的に用いられる「基漢字」がほぼ30年ぶりに改定されるわけだ。 新しく追加される196文字の中には、岡、嵐、頃、誰、熊といった小中学生でも知っていそうな易しいのもあり、これまで常用漢字に入っていなかった方が不思議な感じもするが、その一方で「」「蓋」「彙」など、読めるが正確に書くのが難しい字も含まれている。二、三の漢字にまつわる個人的な余話を述べると―― こんどようやく常用漢字に仲間入りする字に「柿」(かき)がある。言うまでもなく秋に色づく果物のことだ。「桃栗三年柿八年」という成句があることでもあり、当然ワンセットで常用漢字になっていると思っていた。それはともかく、20代の半ばになるまで「杮」(こけら)との区別を知らなか

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  • 校正と校閲の違い?!  - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第162号、通巻182号) 「校正に携わった専門書や辞典 計27500ページ」。2月8日付け朝日新聞夕刊の「月曜ワーク」」という特集面に、こんな見出しの記事が載った。「凄腕(すごうで)つとめにん」の一人として岩波書店の校正部課長の仕事ぶりを紹介したものだ。 校正とは、『デジタル大辞泉』には、「1.文字・文章を比べ合わせ、誤りを正すこと。校合(きょうごう)。2. 印刷物の仮刷りと原稿を照合し、誤植や体裁の誤りを正すこと」とある。要するに、元の原稿通りに印刷されているか点検して直す作業だ。しかし、上記の校正部課長さんは、記事によれば、文字やデータ、事実関係についての疑問点を可能な限り文献やインターネットで調べ、時にはイタリア語やドイツ語などの原文にも当たるという。 ここまで徹底的にやるとは、校正と言うよりむしろ校閲の範疇にはいる作業だ。校閲とは、「文書や原稿などの誤りや不備な点を調べ、検討し

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  • 内閣支持率を調べるのは「よろん調査」か「せろん調査」か - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第156号、通巻176号) 政権発足100日を節目に鳩山内閣の支持率について、マスコミ各社の世論調査の結果が相次いで発表された。いずれも内閣支持率の急降下を示しているが、このブログで今回取り上げるのは、調査結果ではなく、「世論調査」の「世論」という言葉についてである。 まず読み方。「よろん」とも「せろん」とも言うが、NHK放送文化研究所が平成に入ってから行ったアンケートによると、「よろん」と読む人が63パーセント、「せろん」が34パーセントだった。また、数年前に文化庁が調査した結果では、おおざっぱに言って「よろん」派対「せろん」派の割合は7対2だったという。 「よろん」が多数派ではあるが、漢字表記は、元々は「世論」ではなく「輿論」だった。発音は「よろん」。女性が結婚などによって富裕な身分になることを「玉の輿(こし)に乗る」といい、お祭りの時、神体を載せてかつぐ屋形を「お神輿(みこし)」と

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  • 「七変化」の紫陽花、花言葉も「七変化」 - 言語楼−B級「高等遊民」の戯言

    (第127号、通巻147号) 紫陽花(あじさい)は、前回のブログで書いたように日原産の植物である。にもかかわらず、「紫陽花」という別の花(ライラック?)の漢名が誤解されたまま日で「あじさい」として用いられるようになったわけだが、それ以前「あじさい」はどう表記されていたのだろうか。奈良時代に編まれた『万葉集』にあじさいを詠んだ作品が2首ある《注》。 まず、万葉集の編者の一人ともされる大伴家持(おおとものやかもち)の歌。「言問はぬ木すら味狭藍 諸弟らが 練りの村戸に 詐かへけり」巻四 773(物を言わない木にさえも、あじさいの色のように移ろいやすいものがあります。ましてや、手練手管に長けた諸弟の言うことに私はやすやすと騙されてしまいました)。 もう1首は橘諸兄(たちばなのもろえ)の作である。「安治佐為の 八重咲く如く弥つ代にを いませわが背子 見つつ偲はぬ」巻二十 4448(あじさいの花が

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  • 「紫陽花」とライラックの奇縁?! - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第126号、通巻146号) 6月の花といえば、紫陽花(あじさい)である。私の住む大船からJR横須賀線で一駅の北鎌倉にアジサイ寺として有名な明月院がある。1年前訪ねた折には、外国人を含むおおぜいの観光客が訪れていて列をなすほどだった。明月院の紫陽花を思い出したのは、先週号のブログ(「リラ冷え」の札幌とライラック)について感想を寄せてくれた先輩のEメールがきっかけだ。結びに「よく降りますね。路傍のアジサイが喜んでいるようです」とあった。先輩氏はかつて鎌倉を仕事場とし、その後もしばらく住み続けていたこともあって鎌倉の寺社に詳しい。 紫陽花には雨がよく似合う。「リラ冷え」に続くブログの題材として「梅雨」か「紫陽花」を考えていたところだったので、「元鎌倉文化人」の先輩氏のメールに触発されて百科事典に当たってみた。そこでまったく思わぬ記述を見つけた。 『日大百科全書』(小学館)の「アジサイ」の項に

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  • 「同じ読み方の漢字」。こんなに多いとは吃驚、びっくり、ビックリ! - 言語楼−B級「高等遊民」の戯言

    (第111号、通巻131号) 日語は同音異義語がきわめて多い言語である。試みにパソコンのワープロソフトに任意の言葉をひらがなで2文字打つだけでよく分かる。例えば、いま使ったばかりの「うつ」。変換キーを押すと「打つ」のほか「撃つ」「討つ」「撲つ」「伐つ」「拍つ」「」など数種類の文字が出てくる(中には意味がほとんど同じ場合もあるので、より正確には「同音異語」か「同音異(別)字」とでも表現すべきかもしれない)。 漢和辞典の音訓索引表には、同じ読み方をする漢字が(たいていは画数順に)並べられている。どの読みの漢字が一番多いか。出版社で漢和辞典の編集に長年携わった円満字二郎氏の『漢和辞典に訊け!』(ちくま新書)によれば、「どんな漢和辞典であれ、音訓索引で収録字数の多い読み方のランキングをとると、たいてい『こう』がダントツで一位のようだ」という。しかも、中学生を対象にした入門用の辞典でも、200〜

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