フェミニズムの第2の波と「ジェンダー」の発見(三成美保) 2024/03/15 更新(修正) 初出:三成美保『ジェンダーの法史学』勁草書房、2005年、一部改変 (1)フェミニズム フェミニズムの2つの波 1960年代後半、欧米諸国でフェミニズムが再生した。フェミニズム・ルネサンス以降のいわゆる「フェミニズムの第2の波」がジェンダー概念を再定式化したことはよく知られる。フェミニズムは19世紀を通じて女性参政権や高等教育権の獲得をめざしてきたが、20世紀初頭にそれらが達成され、運動はしだいに低迷した。沈滞をうちやぶったのが、「ウーマン・リブ」Women's Liberation(1960-70年代の女性運動をさす)とよばれる新しい女性解放運動である。1970年代後半以降、19世紀以降のフェミニズムとの連続性と相違を意識的に示すために、ウーマン・リブ以前のフェミニズムは「第1の波」、ウーマン・
野田聖子議員のこのたびの出産について、各テレビ局では、ワイドショーあたりで「女性に希望を与える」とか、「おめでたい話だ」とか、褒め称える報道やコメントがあふれたそうだ。とんでもない暴挙である。なぜ暴挙かを端的には、野田本人は欲望が満たされたかもしれないが、子どもがかわいそうだからだ。 野田は自分の卵子でもないアメリカ人の卵子をもらい、事実婚の男性の精子と体外受精をして得た受精卵を、自分の子宮に移植した。そして十月十日後に高齢(50歳)のために自然分娩できず帝王切開で出産したのだ。 こういうのをいったい何と言うのか。 正式に結婚していない女が、自分のDNAも継続していない他人の受精卵で、自分の子宮をつかったから「わが子」だとするにしても、法律的には「私生児」となるのか? 自分の血、遺伝子もなにもつながっていない「赤の他人(??)の子を、子宮で育ててひり落としたのだが…。これを出産と
村木厚子さんと東電OL 2010年10月10日 文芸春秋10月号、江川昭子さんがまとめた村木厚子さんの手記を読んだ。 事件の経緯だけでなく、村木さんが生きてきた道が丁寧に描かれていた。 村木さんは検察で嘘の調書を強要され、抵抗し続けてきた拘留期間に、こう考えたという。 「検事の土俵にいる限り、私が勝つことなんてありえない。だとすると、やらなきゃいけないのは負けてしまわないこと」 そのために村木さんがしたのは「目標を低く設定すること」だったという。しかも驚いたことにその目標はたった二つ、こういうものだった。 「体調を崩さないこと」 「落ち込まないこと」 目が覚めるような「ケンカの作法」である。「戦い方」である。いったい、私のフェミはなんだったのか、と思った。 私が村木さんの立場に立ったとしたら・・・と想像するだに恐ろしい。 自殺したと思う。 死なずとも心は完全に死んだと、思
祖母の白寿のお祝い 先日、満99歳(数えで100歳)になった祖母の白寿のお祝いをやった。 さすがに身体のあちこちに不具合が出てきており、そろそろ本格的に外出も難しくなってきたので祖母と一緒に家族で集まれるのはたぶんこれが最後だろう。 下は0歳から上は99歳までいるので、移動と諸々…
週刊ポストの中吊り広告を見て、びっくりした話は昨日ツイッターに書いた。 「上野千鶴子に内田樹が大反論!」というアオリの効いたタイトルがつけてあるけれども、もちろんこれはポスト編集部の客寄せ「羊頭狗肉」タイトルであって、中身は「大反論」などいうほど気合いの入っていない「いつもの話」である。 その中の上野「おひとりさま」論に直接言及した箇所は以下の通り。 『おひとりさまの老後』には強い違和感を持ちました。あの本の核心は「家族が嫌い」ということをカミングアウトした部分でしょう。「家族に何の愛情も感じてないから、世話になる気もないし、世話をする気もない」と考えている人が現に大量に存在している。でも、その心情は抑圧されていた。上野さんがそれを代弁したことがひろく共感を呼んだのだと思います。でも、ぼくはそれは「それを言っちゃあ、おしまいだよ」という言葉だったと思います。 「ひとりで生きる」ことが可能だ
知人より、メールでお知らせいただきました。下部に本文を貼り付けています。詳しい経緯や状況については、ブログが立ち上がっています。 「非営利団体における雇用を考える会(仮) ― WAN争議を一争議で終わらせない ― 」 http://precariato.info/modules/d3blog/ web上では、WANに対する批判や意見も出ています。(順不同) yamtom「WANの労働争議と、非営利団体内での労働の搾取問題」 http://d.hatena.ne.jp/yamtom/20100106/1262820974 遠山日出也「ウィメンズ・アクション・ネットワーク(WAN)とその労働争議」 http://genchi.blog52.fc2.com/blog-entry-294.html ひびのまこと「WAN争議」 http://d.hatena.ne.jp/hippie/2010010
なぜ、20代高学歴女子は「専業主婦」狙いなのか プレジデント6月10日(水) 11時30分配信 / 経済 - 経済総合 東京大学大学院生のリカさん(26歳)は、研究職へのエントリーシートを書きながら今日もため息をつく。 「早く寿退学したいなあ……」 父は自営業、母は専業主婦の家庭で育ち、キャリアへのあこがれはゼロである。 「もともと尽くし系なんです。ヘラヘラしたエプロンをかけて『おかえりー』と言うほうにあこがれます」 内閣府の意識調査によると「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきである」という質問で女性の賛成派は20代が60代についで多いという結果が出た。ちなみに、反対派が一番多いのは40代である。 「自分が輝くための仕事すらもういらない、仕事をしなくてもいい男と結婚したい」というのが今の20代なのだ。しかし、リカさんのような高学歴女性ですら、専業主婦志向がそれほど高まっているのはな
今回は雑誌『くらしと教育をつなぐWe』8/9月号掲載の上野千鶴子さんインタビュー「生きるためには思想がいる」を取り上げる。この雑誌は、『バックラッシュ!』掲載インタビューをきっかけに上野千鶴子さんとメールのやり取りをしてた時に、彼女から「自分のフェミニズムへのスタンスが分かる」として送っていただいたもの(ありがとうございました)。タイトルから分かる通り、このインタビューは上野さんが今年発表した『生き延びるための思想』をもととしているのだけれど、わたしはこの本はパラパラと一度見た事があるだけなのでインタビュー単体としてコメントする。 まず、前回上野さんを批判したときに「長いインタビューのうちごく一部だけ取り上げて全体を評価していない」と言われたので(とゆーか、別に一部だけ批判してもいいじゃないかとは思うけど、彼女がそういう批判を嫌う人だということが分かったので)、とりあえずインタビュー全体か
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