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少し話が違うけれど、年末にネタのような話題があって、日本のケンタッキーフライドチキンのある店舗が、夏に、カーネルサンダースに浴衣を着せて、スイカを手に持たせていたのね。まあよくある風景です。 で、それをあるアメリカ人が取り上げて、日本人ってこんなにレイシストって喧伝してたの。 スイカと鶏肉って、アメリカ南部ではやっすい食材で、それしか食えないということで黒人を嘲笑するアイテムになってるんですよ。 まあこれは、アホかね、君、何で日本人がアメリカのローカルなステレオタイプを知っておかねばならんのよ、君の方がレイシストやろうという反応と結論になっていたんだけど、私が気になったのは、どうしてケンタッキーの一店舗がやったことが「日本人」とか「日本」になってしまうんだろうってことね。 こういう例は全然珍しくないですよ。触手ポルノに「また日本か」みたいな反応とかね。 例えば、レイディ・ガガとかが、奇抜な
ちょっと時間が経ってしまったけど。 前回の記事(甲虫ブログ: 法と無法と社会)にブクマコメントをいただいた。Apeman 「そこが最大の問題なんだと思う」 いや、何もしないですませるための口実でしょ 2009/10/08 はてなブックマーク - Apemanのブックマーク - 2009年10月8日全否定はひどいと思い、反論を書こうとがんばってみたのだが、あんまりなタイトルの記事をはてなで書いた人がいるということを知り(内容は読んでない)、バカバカしくなったので止める。 目に見える敵とは戦いやすいんだろうけど、敵はそういうわかりやすい《お父さん》(《お母さん》?)だけではないと思うのだがどうか。 しかしなぜこんなことでもめるのかといえば(暴力による排外主義に対する批判という方向性が同じであるというのが本当だとして)、いわゆる新自由主義(この語でいいのか自信がないが)的なルール――問題を政治が
⇒教育刑で犯罪抑止した世界で最初の人物は鬼の平蔵だった - 地下生活者の手遊び ⇒はてなブックマーク - 教育刑で犯罪抑止した世界で最初の人物は鬼の平蔵だった - 地下生活者の手遊び ⇒この記事は歴史的に間違ってる ⇒http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20081020204555 ⇒鬼平エントリへのネガ反応をおいしくいただく - 地下生活者の手遊び ⇒はてなブックマーク - 鬼平エントリへのネガ反応をおいしくいただく - 地下生活者の手遊び ちょっと時間がないので手短かつラフに(後記:手短になりませんでした)。ブコメや増田の反応を拝見して、史実というよりは鬼平犯科帳と、tikani_nemuru_Mさんの記事が主題としているだろう事柄との関連について、私なりの補足を。さいとう版も読んでる、というかそれから入った。小学生
昨日のインタビューの中でパウエル氏は、マケイン氏に決定的に失望した理由としてペイリン氏を副大統領候補に指名したことを挙げた。 ペイリン氏はアラスカ州知事とはいえ、アメリカにおけるアラスカ州知事なんて日本における杉並区長みたいなもんなわけで(大阪なら八尾市長くらいか)“いきなり副大統領は無理やろ?”と皆が思った。 単なる一地方の政治家で、“ゴミの分別を徹底しましょう”くらいの行政政策に適した人だが、国防やら米国経済の舵取りを担当するにはいかにも力不足。 そんなことは百も承知のマケイン陣営がそれでも彼女を副大統領に指名した理由は明らか。 オバマ氏は民主党の候補者として確定するまでの間、ヒラリー氏と五分五分の熾烈な戦いをやっていた。 マケイン陣営は(副大統領にペイリン氏を選ぶことで)ヒラリーを支持した大量の“女性票”を民主党から奪いたいと考えたんでしょう。 「あなたたちが熱望した女性の大統領の夢
盛り上がってますにゃー、図書館ホームレス排除問題。 公立図書館は行政機関 村で話題となっている図書館ホームレス排除問題について、寒暖によるホームレスの健康上の危機については行政側に対応する義務があるということは、まあおおよそ同意されているっぽいようですにゃ。 憲法とは公権力の正当性を明らかにするためのものであるという側面があり、憲法に述べられているのは「国民の人権を守ります」という権力からの約束ですからにゃ。人権保護をしない権力に存在意義はにゃーんだな。したがって、行政権力に人権保護の義務が課せられることは自明といえますにゃ。 さて、この問題で「村のサヨク」を批判しているヒトタチの論調の中には 全てを図書館に押し付けてる感が凄く強いんだよね。 http://d.hatena.ne.jp/Lobotomy/20080901/p1 というものもありますにゃ。 僕も個々の図書館員には同情を禁じえ
公園や図書館からの野宿者の排除に対して批判的な意見をのべると、必ずつくコメントというのがあって、それは「そんなことをいうなら、お前の家にホームレスを住まわせればいいじゃないか」というものです。ほぼ例外もなくそういうコメントがあらわれる、と言っていいようにすら思います。id:good2ndさんの「ホームレスだからって排除すべきじゃない。でも…」という記事にも、そんな「おまえんちでメソッド」というか、「おまえんちで論法」が、やはりあらわれました。 # 2008年09月01日 id:sol1og ホームレスの人権を守るためにこのヒトのうちに住ませるのではなにがいけないのかわからない。どんなによそで排除されても最後まで「公共の空間」として信頼されている、ということを、まず自分から誇りに! http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/good2
政治活動とは何か 政治活動とは何でしょうか。 多くの人は、政治活動と聞いてまず選挙などを思い浮かべるでしょうが、もちろん政治活動と選挙運動とはイコールではありません。 選挙に関係すること(有権者の一人として投票することや、特定の政党や候補者への支援活動をする こと、あるいは自ら立候補することなど)も政治活動の一種ではありますが、実は政治活動の中でもかなり特殊なジャンル(?)にすぎません。 あるいは、政治活動とは、何かの主張や要求を掲げて署名を集めたり、集会を開いたり、街頭演説や、ビラまきや、デモなどをおこなうことだとイメージする人もいるでしょう。 しかしこの答えも、選挙運動しか思い浮かべられない人よりはいくらかマシですが、まだまだ正解とは云えません。 基本的なことから考えてみましょう。 ほとんどすべての人は、生きていく上で、何らかの不満や苛立ち、怒りや焦りや、周囲への違和感といっ
正直、これできちんとした応答になっているのか自信はない。ないけれども、素通りもできないので考えたことを書いてみる。赤木智弘(id:ClossOver)「「丸山眞男」をひっぱたきたい」について。 今日、飢えて死ぬ人がいる。今日、凍えて死ぬ人がいる。etc...。多少なりとも手を伸ばし、誰かの役に立つような何かをちょこちょことやってはみても、まだ全然足りない。一人の力はとても小さいから、また他人よりは自分のことの方が大事だから、できることをそれなりにやったとしても、いつでも全然足りない。だから、社会の仕組みそのものを変えようと考える。うまくいくかどうかさえ分からないのだが、しかし、仮にこれがうまくいったとしても、そのうまくいったその日までに死に行く人には間に合わない。明日、何もかもがうまくいくとしても、今日、死に行く人には間に合わない。 左派であるとは、こうした状況を変えようとする、ということ
以前から大手小町(発言小町)の回答が似たような内容になるのはなんでだろうかと思っていて。 ○助けて下さい。貯金を借りた私 : 発言小町 : 大手小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) (http://www.yomiuri.co.jp/komachi/reader/200601/2006013100068.htm) 去年から夫に内緒で始めた株で1000万以上損してしまい、その損を埋めるために去年夫婦の貯金だけでなく夫の独身時代の貯金から無断で借りて返済しました。もうどうしようもなかったんです。。。。 この質問は削除されたようです*1。 ほかの回答者と同じことをどうして答えるのだろうか 寄せられた回答は 「正直に話せ」 「離婚を覚悟しろ」 「働いて返せ」 「早く話すべきだった」 「いったいどうしてそんなに損失出したのか」 だいたいこのどれか。正論というか、「こんなアドバイスならい
先日TBを送ってきたkeya1984氏が「住居の強制撤去について」というエントリを立てている。 まず、こと今件に関して言えば、国際人権規約および一般的意見7に抵触するものではなく、今件に先立つ政府回答の枠内に収まるものであろう。なぜなら、こと今回は「公園を占有していた居住施設の撤去」だからである。締結国を見てみたが、たとえばニューヨークのセントラルパークでもいいし、ロンドンのハイドパークでもいいが、公園内でホームレスが居住施設を建てることを認めているだろうか? 私は、これら諸外国でも公園内にホームレスはいるだろうと思うけれど、国内法にせよ国際条約にせよ、一般的に公園内に居住権を認めて住居の建設を許可している例はないと思う。当たり前であろう、公園という土地に対してそのようなことを法的に認めれば、誰だって勝手に占有して自分の土地建物にしてしまうのだから。行き場のない人の、仮の居場所としてどこま
いわゆる所得などの格差拡大、階層固定化などが問題視され、議論になっているが、それらを肯定・支持する人たちがいる。さらに、ただ支持・肯定するだけでなく、いわゆる「負け組」や「ワーキング・プア」の人たちや、格差社会化を批判的にとりあげる人たちを見ると、「それは本人の自己責任だ」などと説教を垂れたりする。 いわゆる本物の「勝ち組」「エリート」の人や、元からそのような考えだった人もいるかもしれないが、おそらくはそのような人たちの多くは、客観的に見ればいわゆる「負け組」、少なくとも「勝ち組」には属さない人たちではないか。にもかかわらず、その事実を受け入れられない、認めたくない。そのために、「負け組」を叩くことによって、「自分も“勝ち組”のつもり」か、あるいは「自分は“負け組”ではない」と思いたいのではないか。 そのような人たちを、私は「疑似勝ち組」、あるいは「つもり勝ち組」と呼んでいる。 「疑似勝ち
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