タグ

ブックマーク / deadletter.hmc5.com (5)

  • 「イモ」こそが擁護されるべき。 (Dead Letter Blog)

    でも、イモも大事だよ。イモこそが、ここで擁護される権利そのもの 日国憲法が体現するリベラルデモクラシーとはまず第一に「個人が尊重される」ことを基底とする。ところで尊重されるべき個人とはなんだろうか?言い換えれば「どういう個人」を尊重すべきなのだろうか?ざっくりと答えを言ってしまえば「そのような内実規定はない」ということになるだろう。 僕もあなたもそれぞれお互いに容易には理解されない嗜好・価値観を持ちそれに耽溺している。そしてそれは基的にはどこまでも肯定されるべきだ。「親から受継いだ農地を守りたいという気持ち」、「みんなで楽しく芋掘りをしたい気持ち」全て、まず第一に考慮されなければならない大切な権利である。それを「取るに足らない」と切り捨てる社会は、結局「僕もあなたも取るに足らない」とすることに躊躇いを持たないだろう。 mojimojiさんが紹介されている「いしけりあそび」の2つのEnt

  • シニシズムの放棄について (Dead Letter Blog)

    mojimojiさんの一連のEntry周辺の議論。 排外主義者、あるいは日曜サヨク 排外主義者、あるいは日曜サヨク、その2 排外主義者、あるいは日曜サヨク、その3 排外主義者、あるいは日曜サヨク、その4 論点は2つ。 ・ネット右翼がなぜ中国のチベット支配を批判できるのか? ・中国のチベットへの抑圧を批判する為に左翼・人権派とネット右翼・保守派は共闘すべきか? 前者について。左翼・人権派がチベット問題を「ネット右翼が満足するようなかたちでは」取り上げていないこととチベット問題に類する人権問題に関してネット右翼がどのような態度を取ってきたかということは同列に並べられるべきではない。 仮に左翼や人権派のチベット問題への関心が相対的に低かったとしよう。しかし人間が有限的存在であって、あらゆる問題へコミットすることはできない以上、それは矛盾とまでは言えない。もしチベット問題について左翼・人権派がどの

  • 「一意的な解」を僭称する人々 (Dead Letter Blog)

    前回のEntryの補足。 それほど注意深く読んでもらわなくても分かると思うのだけれども、別に僕はジェイコブスの「2つのカテゴリー論」を前提にしていない。僕は単に「普遍的な倫理」、もっと分かりやすく言えば、「あらゆる局面において適用しうるモラル」など「存在しない」ということを前提にしているだけなのだ。 ところで僕は先日、俳優の吉田栄作が「R25」のインタビューで興味深い逸話を披露しているのを見た。彼はまずインタビュアーに「自衛隊員にとって最も重要なスキルはなんだと思うか」と問いかけ、最新作の映画の役作りの為に入隊した自衛隊の部隊の上官が教えてくれたことを得意げに披露したのだ。ちなみに彼が言うには、それは「使命感」なのだそうだ。まず指令があって、ターゲットに向かっていく以上、それだけに貪欲であらねばならないまず使命感。体力も頭脳も思いやりも、それを全うするために必要なだけ。「劇中で、3年間行動

  • 「Straitjacket」と「遣共使」 (Dead Letter Blog)

    羽仁五郎著「教育の論理-文部省廃止論p80~85」のなかに興味ある歴史的事実の記述がある。 [アメリカ教育使節団と文部省との問答] 敗戦直後の日に派遣されたアメリカ教育使節団が1946年4月7日に出した勧告は次のようであった。「敗戦にいたるまでの日教育は、一言でいうと、政府すなわち文部省が、全国の教員にストレイト・ジャケット(手足が自由に動かないように皮ひもでしばりつける胴着)を着せていたような教育であった。だから日教育改革とは教員をストレイト・ジャケットから解放することであると。」この勧告に先立っての3月、アメリカ教育使節団は日の文部省の代表と日の教員組合の代表とを共同の会合に招いてそれぞれの意見を聞いた。文部省を代表したのが田中耕太郎学校教育局長であり、教員組合を代表したのが羽仁五郎であった。教育の自由を主張する羽仁五郎の討論に対して、田中耕太郎は「教師がまったく自由に

  • 君に幸あれ (Dead Letter Blog)

    昭和天皇の死因は膵臓ガンだった。 彼が最初に倒れたのは昭和62年9月。ガンの進行による腸閉塞を起こしたのだ。東大病院の関係者は一様に驚いたという。「こんなに末期的な症状になるもっと前になぜガンだと分からなかったのか」。天皇家に敷かれている医療体制はこの国で最高水準のものだと、考えていたからだ(これは当時も、今も誰しもが思うことだ)。が、その内実はお寒いもので、彼はその時までまともな検査をほとんどしたことがなかったそうだ。天皇の身体に触れることが「畏れ多いこと」、「不敬である」とさえ考えられていたからだ。 さらに彼は、ものが通るように腸のバイパス手術を行っただけで、まともなガン治療を受けられなかったという。抗癌剤治療や放射線治療を行うには当然、病名の告知が必要だが、「告知はできない」という理由でそれら一切が見送られたのだ。当時のマスメディアでも「慢性膵炎」と報じられた。 彼は1年後(昭和63

    yugui
    yugui 2006/09/12
    昭和天皇への医療の至らなさなどなど。皇室へのQOLの担保について
  • 1