以前に宮台真司氏が、理論活動の醍醐味として、当たり前の前提から驚くべき結論が導けることというものを語っていたことがある。誰もがよく知っている当たり前のことからは、普通は平凡なつまらないことしか導かれないように見える。しかし、本質を捉えた理論活動は、当たり前のことが覆い隠していた真理をさらけ出し、その衝撃的な面を見せてくれる。そんなときに理論活動というものの見事さを感じると言うのだった。 今まで隠されていた衝撃的な事実が暴かれるというのは、ジャーナリズムの世界では大スクープとして歴史に残るときがある。しかしそのようなことは少ないし、近代成熟期のように情報が管理されるような社会になったら、おそらくそのようなスクープはもう見られないのではないかと思う。スクープでさえも操作されるような時代が近代成熟期ではないかと思う。 専門家であればまだ隠された情報に接する機会もあるだろうが、それが衝撃的なもので