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ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (17)

  • twitter(X)の有料化が「オンライン囲い込み」だとしたら - シロクマの屑籠

    www3.nhk.or.jp twitter の有料化について報じられている。自分のタイムラインを見る限り、これを狂気の沙汰とみなす人のほうが多い様子だが、私のあまのじゃくな部分が「twitter の有料化を合理的な決定とみたうえで、その道理を考えてみたい」と欲しがっている。 いや、当のところは「資主義の『囲い込み』にかこつけて、twitter の有料化についてしゃべってみたくなった」だ。よってしばらく、「Twitter の有料化は合理的で資主義のロジックにも適っている」と考えてみる。 twitterの有料化によっておこるのは、twitter というひとまとまりのオンライン空間の囲い込みだ。ほかの多くの無料オンライン空間と同様、twitterは長らく共有地とみなされていた。金持ちや有名人が手を振ってみせることもあれば、狂人が都大路を駆け抜けることも、行者が苦行に耽ることも、犯罪者がつ

    twitter(X)の有料化が「オンライン囲い込み」だとしたら - シロクマの屑籠
  • 都市空間のスピード・流動性に対して感じる不安 - シロクマの屑籠

    一般に、知的機能の障害は社会適応を大きく制限したり、日常生活の労務に支障を来たしたりすると考えられている。確かに、知的機能の障害があれば、高度な判断を瞬間的に繰り返さなければならない仕事などは難しいだろう。だが、知的機能の障害を持つならば必ず適応弱者というと、そういうわけでもない。自分のスペックを知り尽くしたうえで、知的機能を補い得る幾つかの素養と、適度で流動性の高くない人的環境に恵まれれば、さしたる支障も無く働くことは出来る。例えば、以下のSさんのような場合である。 【Sさんの場合*1】 XX村の27歳のSさん(主婦)は、障害者手帳B1クラス、中等度の知的機能障害ということになる。しかし彼女を見て知的障害だと即断出来る人はそれほど多くは無い。現在は子どもがいないので、近所の老人介護施設のヘルパーをやっている。施設では、よく働くということで利用者達からも評判が良い。唯一、計算を要する場面で

    都市空間のスピード・流動性に対して感じる不安 - シロクマの屑籠
  • 考えない人・メッセンジャー・学者さんの三つ巴 - シロクマの屑籠

    理解、または洗脳合戦の領域をみていると、1.考えない人2.メッセンジャー3.学者さん が三つ巴のジャンケンのような関係を形成している様子がしばしばみられる。とりわけ、1.〜3.までの程度差が大きくなりがちな、複雑な学問・専門性の高い学問・難解な学問 においてはこの構図を形成しやすい。 1.考えない人2.メッセンジャー3.学者さんは、それぞれのレイヤーでそれぞれの理解を構築する。彼らは勿論自分達が見知った出来事を(程度の差こそあれ)良いものとしているわけだが、異なるレイヤー間で議論を行うときには相性問題を起こしやすい。以下に、それをちょっと書く。 1.考えない人 白か黒かでなければ把握が困難な人達であり、自分の理解している範囲を「限定」したり、分からないことに分からないという「留保」を準備したりすることが困難な人達。赤ワインも納豆も体に良くて、ゲームは脳がダメになるから禁止、オタクは理解不能

    考えない人・メッセンジャー・学者さんの三つ巴 - シロクマの屑籠
  • 「社会的に我々○○は抑圧されている。断固として抑圧を打破すべきだ。」 - シロクマの屑籠

    1.まず第一に、あなたは○○なんですか? 2.○○は実際に抑圧されているんですか?抑圧と呼んで捉えるに値する圧力なんですか? 3.社会的に、というマクロな視点と、あなた個人が、というミクロな視点を履き違えてませんか? 4.そもそも、あなたが当に望んでいるのは社会的抑圧構造の改善なんですか?あなた個人の適応の改善ではないのですか? 5.マクロな社会の改善とミクロな自分の改善がい違う時、それでもあなたはマクロを選べる程度にはご立派なんですか? 社会がどうなのか・マクロでどうなのかといった問題は、あなた自身の適応に関する問題とは必ずしも一致しない。一致しないのにそれらに固執したところで、あなた自身の適応を長期的に変化させる可能性はまずあり得ない。にも関わらず、自らの願望への問いかけや自らの処世の見直しには背中を向け、他人達がどうなのかやマクロがどうなのかを論じ続ける人達は、一体いつになったら

    「社会的に我々○○は抑圧されている。断固として抑圧を打破すべきだ。」 - シロクマの屑籠
    yugui
    yugui 2007/04/21
    5つの問いに自信を持ってYESと答えよう。この問いを忘れないことは重要だけれども、社会的問題を私憤に矮小化することで社会の一員たる自己に向き合うことから逃げたがる人の姿と重なって不快な物言いではある。
  • 「あの男性には、わたしの後輩を紹介したくない。」 - シロクマの屑籠

    二児の母でもある薬剤師のXさんとは、かれこれ十年来の付き合いになるだろうか。今回、彼女の職場にいる或る未婚男性についての話になった折、色々と考えさせられる話題が出たので書き留めておく。 念のため断っておくと、彼女は非モテだの喪男だのといったネット用語には全く疎く、例えば『電車男』やら『萌え』やらすら知らない。ステロタイプな兼業主婦像がまず当てはまる女性、と言ってしまって良いだろう。とりたてて口が悪いわけでもなく、むしろ温厚なことで知られる人物のXさん。そんなXさんにも関わらず「あれは無理ね」とはっきり駄目出ししていたのがひどく私の興味を惹いたわけである。 Xさんに駄目出しされていた男性 Xさん「それがまた、なんとも言えない男性で」 Xさん「友達にならなれるし、職場で一緒に働く分にも問題ないんだけど」 Xさん「悪い人じゃないんだけど」 Xさん「でも、私の後輩達をあの人に紹介したいかって言った

    「あの男性には、わたしの後輩を紹介したくない。」 - シロクマの屑籠
    yugui
    yugui 2006/11/26
    本田透の本で気になったのはこのダブルスタンダードだけれども、あの人は「自分は尽くせる」と言いそうな気もした。
  • シロクマの屑籠(汎適所属) - はてなって、強迫的な清潔感を漂わせた住人が多い村ですね。

    はてなに来てまもなく一年になる僕だけど、このはてな村に来て以来、「強迫的な清潔感を漂わせた人」に出会って面らうことが何度となくあったように記憶している。「強迫的な清潔感を漂わせた人」の類型を挙げると、 ・例1:倫理観・リテラシーの潔癖者 何はなくとも、倫理観やリテラシーを最大限尊重することに熱心な、いや強迫的な人達。彼らは塵一つ落ちていない倫理観・リテラシーを理想として提唱する。ときに、過剰な傾倒故に倫理観・リテラシー以外のものが犠牲になることもある。最もお粗末な場合、或る視点からみた倫理観の最大化に拘るあまり、他の視点からみて倫理観・リテラシーを滅茶苦茶に踏みにじっている(そして当人は気付かない)ことも。 ・例2:客観性・論理性の潔癖者 テキストが客観的なものか、論理的なものかどうかに過度に執着する人達。彼らは「ポエム」「どうみても感想」といった類のテキストであっても、客観性・論理性の

    シロクマの屑籠(汎適所属) - はてなって、強迫的な清潔感を漂わせた住人が多い村ですね。
  • だけども自由を志向できない - シロクマの屑籠

    それでも自由を志向したい - fujixeの日記 リスペクトに値するご意見です。一定以上の廉恥心と知性を持った方は皆一様にそう仰りますし、事実そのような人達は自由度が高ければ高いほど、適切に自由を運用出来るんでしょう。ああ、養豚場の豚よりも、不満足なソクラテス。掛け値なしに素晴らしいことです。fujixeさんの個人的決意に対し、自由に憧れる一個人としては共感を覚えるところです。 ですが、そういう人達だけで地球が回っているわけじゃないという点にこそ、頭のいい人はもっともっと注目すべきだと思うんですよ。“高水準な人々”の理想論も良いものですが、理想に追随出来ない人達を直視するところから、理想に至る遠大な路がはじまるんじゃないかと僕は思うんです。 不満足なソクラテスと養豚場の豚とどちらを選ぶかって時、娑婆の人間ってのは(結果として)大半が後者を選んでしまうんじゃないでしょうか?もし、「ソクラテス

    だけども自由を志向できない - シロクマの屑籠
    yugui
    yugui 2006/10/13
    自由を持て余す人々にはより適切な、幸せな方法があるのではないかという指摘。「身の程」「分際」;"耐自由弱者"; そこで啓蒙であり福祉なのだけれども、それは究極的に機能しうるのか。
  • “村の掟”が不要な人/必要な人の明暗 - シロクマの屑籠

    私が記憶している平成初期と比べると、“どうしてこの人はこんな選択肢を選ぶんだろう”“ちょっと考えれば、それがヤバい事ぐらいわかるでしょ?”“こんなになる前に誰か引き留めなかったんだろうか”と首を傾げるような若い大人を見かける機会が増えたような気がする*1。夜中にも関わらず幼稚園児をファミレスに連れていく母親や、リスクを勘案しないで高利貸しを利用して搾取され尽くす男性などなどの、この手の実例はあなたも沢山みたことがある筈だ。 私はムラ社会なり地域コミュニティなりが崩壊した影響について色々考えたがるほうだが、この手の若い大人が増加した要因のひとつ(あくまでひとつ)として、地域コミュニティの崩壊がとても重要なんではないかという意見を持っている。 例えばファミレスで格差を思う。 - 漂流する身体。で触れられているような、 深夜1時2時なのに子供は走り回り、親らしき人物は放ったらかしで携帯で誰かと話

    “村の掟”が不要な人/必要な人の明暗 - シロクマの屑籠
    yugui
    yugui 2006/10/11
    "村の掟”から解放されてかえって自由を持て余し気味の人"
  • ついつい難しい語彙を選んでしまう場面(私の場合) - シロクマの屑籠

    なんか、むずかしいことばを使うのはどうなのかとか書いてありますよ? コミュニケーション能力の低い人文系について(訂正とお詫びあり) - Discommunicative http://blog.goo.ne.jp/funamushi2/e/0723d08e5fed66a1187ca0667a9ac141 リンク先テキストは、それぞれ考えさせられる。想定読者に伝えたい事を伝えたいなら、それに合わせた言葉にしろよ、というのは合理的な考え方だと思う。厨房相手に難解な哲学用語をまき散らしたり、軍事オタクでもない人に説明無しで専門用語を使ったりするのは、ディスコミュニケーションの典型と言える。おまえは相手に何かを伝えたいのか、それとも「お前らには分からないけど俺には分かる」ことを確認しないと気が済まないのか、どっちなんだよと突っ込んでやりたくなる。 …ということで、私もあまり難解な単語は使いたくない

    ついつい難しい語彙を選んでしまう場面(私の場合) - シロクマの屑籠
    yugui
    yugui 2006/10/10
    同意同意。そして自戒自戒。 それから、3.「頭のいい人にヒントをもらえるかもとかすかに期待して公開する生煮えの文章」「内的思考の言語がそのまま表出した場合」要は「推敲してない場合」も難しくなりがちか。
  • “オタク”を自称する人達の、千差万別なオタ基準 - シロクマの屑籠

    オタクを自称する人が増えている。「俺はオタクだ」「オタクとして僕は云々」といった言葉は、ネット界隈やコミケ会場を飛び出し、「ん?どこにオタクがいるのかな?どこにもいない気がするぞ?」という空間でさえしばしば聞かれるようになった。例えば私の場合、秋葉原で店頭ディスプレイに群がっている人達が「俺はオタクだ云々」と言っていてもあまり違和感を感じないが、松屋のデパ地下で買い物している女性が「あたしって惣菜オタクだから」とか言っているのを聞いた時は“はぁ?”と思ってしまいがちだ。こうした現象は「一人称としてのオタク」の基準が個人個人でいかに違っているのかを端的にあらわしていると思う。 では、オタクを自称する時、人々は何をもって「俺はオタクだ」「私はオタクです」と定義づけているのだろうか?このテキストでは、その千差万別な「自称オタク基準」について幾つかの類型を紹介してみる。 基準1.何かのジャンルが好

    “オタク”を自称する人達の、千差万別なオタ基準 - シロクマの屑籠
    yugui
    yugui 2006/10/07
  • 科学者 - シロクマの屑籠

    凡百の失敗した科学者は、真実を描き出そうとした挙句、失敗にいたる。 多くの成功した科学者は、事実を写生しようと努め、ある程度の成功にいたる。 珍しくも偉大な科学者だけが真実を描き出すことに成功するが、困ったことに、彼らの真実のスケッチには必ず数割程度の脚色が混入している。

    科学者 - シロクマの屑籠
  • 「オタク」の定義は多様化しても、「キモオタ」の定義は多様化しない - シロクマの屑籠

    一言で「オタク」と言っても、実際どういうオタクなのか全く分からない今日日のご時世。 2006年、オタクという言葉の多様性と用法の混乱はどうにもならないレベルになっており、自称オタクも他称オタクも統一感の無いこと甚だしい状態となっている。とりわけ2005年前後からの「第二次萌えブーム」以降、その傾向は顕著なものになっていると私は感じている。 だから例えば83年生まれの私から見た同世代とヲタク - 記憶のメモ帖といったオタクさんが「こんなオタクもいるんですけど」と声をあげることは自然だし、実際、id:kir_royalさんがオタクを自称する事にそれほど違和感を覚えることもない。 しかし、何年経ってもあまり変化せず、一定の意味合いを保持し続けている「オタク」はやはり存在している。それは、「該当オタク分野をろくに消費しない人間が、あのオタクは気持ち悪い」と見下げるときのオタクの定義である。いわゆる

    「オタク」の定義は多様化しても、「キモオタ」の定義は多様化しない - シロクマの屑籠
  • オタにつける薬としての惑星開発委員会の問題点と、副作用情報 - シロクマの屑籠

    こちらのテキストでは、治療薬としての『惑星開発委員会』が、標的オタクの中枢神経に適切にdeliveryされにくいであろう要因や、副作用について考察してみる。また、可能な範囲で、それらの弱点に対してどのような対策が可能なのかも提案してみる。 1.中学二年生のオタクが読むには難しすぎる 彼らの想定する“中学二年生”とは、どのような人達なのだろうか?豊富な注釈があるから大丈夫、というわけにはいくまい。あの内容で果たしてどれだけの中学二年生が読みこなすことが出来るのか?エリート中学生ならともかく、並みの中学二年生はもちろん、凡百の動物化した大人のオタク達にとって『惑星開発委員会』は読みやすい読み物だろうか?(後述する)優越感ゲームの材料として誤読消費される可能性云々以前として、『惑星開発委員会』の挑発は当に“中二並みの脳みその大衆”に飲みこなせる難度設定なのか、私は疑問に感じている。どうなんでし

    オタにつける薬としての惑星開発委員会の問題点と、副作用情報 - シロクマの屑籠
    yugui
    yugui 2006/09/25
    「惑星開発委員会」。ほぅ。そんなに話題になってるのか?
  • はてな地獄巡り(八大地獄) - シロクマの屑籠

    はてな六道輪廻 - シロクマの屑籠 さて、はてな娑婆世界の六道を説明したもののついでに、はてな地獄に堕ちた者達の運命についても思いを馳せてみましょう。驕り高ぶり・自己中心的振る舞い・ブタのように肥え太った自意識・へどろのようなルサンチマン等々に由来する悪しき因果を溜め込んだ人の足元に、突如として地獄は口を開きます。かくいう私も、こんな罰当たりな事を書いてみたり、各種執着に憑かれたりしていますから、いずれは地獄にご案内なんでしょう。がくがくぶるぶる。皆さんは、以下のようなはてな八大地獄に堕ちないようにご自身を律してくださいね! では、以下にはてな仙人から聞いた地獄の話を書きのこしておきますね!(脱兎) 1.はてブ地獄 ここに堕ちた者は、自分の心を汚しながら意地悪はてなブックマークを数限りなくつけ続ける事になるそうな。はてブ地獄に堕ちる者は自意識過剰で虚栄心の強い者ばかりなので、ブックマークを

    はてな地獄巡り(八大地獄) - シロクマの屑籠
  • 弱った者をどんどん食い物にしていく、娑婆の浅ましさ - シロクマの屑籠

    職場のケースワーカーの人に、或るを勧められて読んでみた。のタイトルは、『―http://www.s-pla.jp/bookrist/booklet1.html(注:アマゾンには無い)』。もくじを開くと、刺激的な文句が並んでいる。「経済的搾取」「性的被害」「虐待・暴力」etc…。このは、障害者(主として各レベルの知的障害者)と娑婆のブラックホールに関しての様々な話が載っている。勿論、ただ悲観的に現状を報告するだけでなく、このでは社会制度の利用法や、昨今の悪徳商法に疎いような人達を守る法的防御について紹介してくれていて、なかなか勉強になりました。どんななのかをご紹介すべく、以下に一節を抜粋してみます。 ソーシャルワーカー:「実は、土田さんは障害者年金の収入しかないのですが、消費者金融からいっぱい取り立てを受けているようなのです。聴いたら、返済額と年金額がほぼ同じなんですよ。そんなの払

    弱った者をどんどん食い物にしていく、娑婆の浅ましさ - シロクマの屑籠
    yugui
    yugui 2006/08/24
  • オタク同士のコミュニケーションが、オタク界隈の細分化・多様化によって受ける影響 - シロクマの屑籠

    2006年現在の日は、各人の所属する文化・習慣・価値観の多様化が著しい状態だとしばしばいわれるが、オタク文化圏もまた、カルチャーの細切れ化がとりわけ進行している分野のひとつと言えるだろう。ゲームやアニメといったコンテンツが無尽蔵に氾濫し*1、好み・ジャンルによって樹状の枝分かれを遂げた現在のオタク文化シーンの全体像を把握することは、一人のオタクにとって殆ど困難になっている。例えばエロゲーという分野なり、例えばミリタリーという分野なりは、それぞれのジャンル内だけでも幅広いニッチに分かれており、同じエロゲー愛好家の間でさえ、“互いに翻訳可能な共通認識のあるゲーム”を探しながら話をしなければならないという状況は少なくない。相手の知らないゲームの話をする際、「月姫の琥珀さんみたいなキャラ」とか、「スクールデイズっぽい黒さ」などといった表現を用い、何とか自分の考えを伝達しようとしたオタクさんは決し

    オタク同士のコミュニケーションが、オタク界隈の細分化・多様化によって受ける影響 - シロクマの屑籠
    yugui
    yugui 2006/07/24
    「ポストモダンっぽいオタク文化ニッチの細分化」もまた、単なる文化の多様化以上の意義を孕んだ現象として注目したほうが良いんじゃないだろうか」
  • 「兵士としての教育」が隠蔽され、誰もが「将軍の夢」に酔っている異常

    労働という分野ならどこでも、医療であれ、製造であれ、情報産業であれ、中枢にあたる「将軍」や「参謀」にあたるポジションというのは限られているし、全ての人を「将軍」や「参謀」にしていては船頭だらけの難破船になってしまう。実際に現場が必要としているのは沢山の「兵士」だ。中枢の手足となって働く「兵士」が欲しい。下士官ぐらいは幾らか必要かもしれないが、それだって兵士よりは数が少なくてもいい。労働という分野でたくさん必要とされているのは、何も考えない、「個性の違い」に拘泥しない、えらい人の言うことは何でも聞いて、共通規格の部品で動く歯車だ。望むらくは、消費者としての多様性すらみられない、没個性的な金太郎飴のような労働者がいい−−不満を抱いた時に、何か共通の娯楽でも与えてやれば黙ってくれるような労働者がいい。それでも人間は幸せになれないことはない*1。 にもかかわらず、そこここの教育分野では、こうした「

    「兵士としての教育」が隠蔽され、誰もが「将軍の夢」に酔っている異常
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