文脈を見なければ、意味はわからない たとえば「バラ」。 この言葉が何を意味するかは、それがどのような文脈の中に置かれているかによる。 「バラ」とは、花の名だろうか。 美しいヒロインのことかもしれない。 あるいは、バラ積みの荷物? 「馬鹿」と言おうとして舌がもつれた? 「バラ」という文字を何時間見つめても、その意味は決してわからない。 その言葉を含む文脈全体をつかみ、その中でどのような位置を占めているかを見ることによってのみ、それはわかるのである。 生きることの意味も同じだ。 自分自身をどれほど見つめても、自分の生の意味は見えてこない。 自分がどのような文脈の中で、どんな働きをしているかを見て、はじめて意味がわかる。 自分がその中で生きている文脈が把握できなければ、どう生きたって、生の意味を感じることはできないのである。 動機がない、やる気がない、判断もできない ところがぼくらは、「自分の生