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ブックマーク / kaerusanu.hatenadiary.org (20)

  • ブログの次 - かえるの開発工房

    しかしながら、直接対話をしている方が、ブログで発信するよりもはるかにらくだと思う昨今。ブログは直列の深い話をするのに向いていない。例えば、いま始めてこの記事を読んだとしても2〜3割も分かるだろうかと思うのだ。実際、分からないだろう。それどころか、定期的な読者であっても、分からんところは分からないだろう。いや、話してみたらそうだった。じゃあ、俺は誰に向かってしゃべっているんだよと、非常に悲しくなったわけです。 1から説明をすると、それは入門すぎて深い話には出来ない。深い話にすると思考は進むが、誰も理解できない。なんと言うジレンマ。直列思考を記述するための道具が欲しい。ここが理解できないというレスポンスをすぐ返せるような、仕組みが欲しい。そして、なんだかよくわからんけど読みたくなるような印象付けの技術が欲しい。 そんな訳で、どうすればいいんだろう?それとぶっちゃけ、理解の深い人と1対1で話した

    ブログの次 - かえるの開発工房
  • 生態系スケジューラ(1) プランニング - かえるの開発工房

    え、普通に作りますよ。ただ、いつ完成するのか微妙ですが。 なんか設定の書き連ねになると、読む方がいやになりそうだけれど。こういうときこそ続きを読むか。 ■概要 頭の中のロールを複数の擬似人格に分割し、おのおのの利益を最大化するように、可視化する。 その達成したスケジュールは、経験値としてたまり、その擬似人格のレベルが上がる。 スキルや買い物を行い、ゲームができる。レベル上げは仕事中に、一休みしてゲームとかなり画期的。 仕事の意欲も上がり、人生もうまくいくようになる。 人生がうまくいくゲームゲームが役に立たない時代は終わった。 ■ロールシステム 自分をペルソナによって複数の人格に分ける。 例えば自分ならこんな感じ。 ・家族 ・恋人 ・仕事の役職 ・友人プログラマー ・ブロガー この役割をファンタジーにリマップする。 リマップは大体の指定あり、どうしても無い時は選択で □系列 生産系 →

    生態系スケジューラ(1) プランニング - かえるの開発工房
  • 生態系スケジューラ - かえるの開発工房

    カオスに潜ったら、こんなアイディアが。あまりカオスを泳ぎすぎると疲れるからね。手早く見つかってよかった。 スケジューラというよりゲーム こんな感じ。頭の中には、特定の役割、ロールを持った人たちがいる。ただ、その人たちは、おのおのに達成したい目標を持っていてそれを達成したい。みんな制限がなく目標を達成できればいいのだけれど、あまりそういうことは無い。つまり、ターミナル(端末)が1つしか存在しない。みんなで取り合うターミナル。テレビのチャンネル争いのようなものだ。つまりは、目的、ロールが現実のリソースを奪い合うわけだ。さーて、困った事にみんなの目的は必ずしも一つの方向に集約していない。 逆に言えばだからこそ人間は、広がりがあって、点ではなく場のように緩やかに存在するわけだが。まぁ、そんな訳でみんなをどれくらい満足させて、何を作るかということですね。例えば自分なら、プログラムの勉強ばっかりやって

    生態系スケジューラ - かえるの開発工房
  • 理想のグループスケジューラ - かえるの開発工房

    とりあえず過去の利点を書き出してみる 一般的手帳 時間軸主体 忘れないため、バッティングしないため 時間軸の1次元 7つの習慣のスケジューラ 人生の目的軸主体 大きなタスクから、先に入れる 一般的スケジューラに目的軸を追加 時間軸と目的軸の2次元 GTD タスク主体 モジュール化することで悩む事をしなくする タスク軸の1次元 一週間に4時間しか働かない(こうだったっけ) 目的主体 目的によってタスクを選別する タスク軸と目的軸の2次元 3色ボールペン 価値付け 客観と主観で分けて価値をつける 客観と主観の2次元 グループでのスケジューラ 情報の共有 タスクの受け渡し 導入コストの低さ 理想のスケジューラは? 全ての次元を取り込んだ後に複雑さを無くせればいいのだけれど。 軸は4次元。 タスク軸と目的軸と時間軸と価値軸。 かつ複雑性を無くし、直列タスクにも対応。 どうにかならないのか。取りあえ

    理想のグループスケジューラ - かえるの開発工房
  • 成長関数 - かえるの開発工房

    人によって成長する癖が有る 一月ぐらいずーっと社長に言われ続けてきたことがようやく理解できた。私が言われ続けてきたのは「すぐにやれ」である。自分は時間のフィードバックについては、非常に遅い。けして、ぱっとやって何でもすぐに出来てしまうような型の人間ではない。私は、指数関数型の成長関数を描く。それはあらゆる分野において言う事が出来る。勉強であろうと仕事においても、有る一定の準備期間を使って臨界点を越えるまでは人並みに物事をこなす事が出来ないのだ。 指数関数型成長関数 それは私の特殊な構造に由来する。私は最初に「当てる」の部分の性能が著しく低い。そして、標準ドライバーが使う事が出来ない。そのため、あらゆる物事において、地道にドライバーから作っていくために、他の人から見ると遅く見える。しかし、それがある点を越えると著しく成長をするようになり、普通の人を超えることが出来る。私はどちらかといえば、安

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  • 正しい選択を選ぶよりも大切なこと - かえるの開発工房

    人は選択肢が現れると、正しい選択子を探そうとする。でも、実は当に正しい選択子は、すばやく決断することだ。選択肢自体は、致命的なミスでない限り、ほとんどが取り返しが付く。でも、それは選択肢を素早く選んだ時のみだ。選択することを先に延ばせば延ばすだけ、余白は縮まり、状況は悪化する。 例を出してみよう。「正しい方向に回ることができるけど、反応するのが3秒後の車」と「反応自体は多少雑だけど、すぐ反応する車」があったら事故るのは前者だろう。後者は少しレスポンスを確かめて癖を補正すればいいが、後者はゆっくり走る以外の方法は無い。これと全く同じで、正しい選択肢を選ぶことよりも、すばやく決断することの方が、重要になる。 選択に対する帯域が重要だ。

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  • 学ぶ人と学ばない人の4つの違い - かえるの開発工房

    こんなことを言うと自分が出来るようですが、客観的にみて極めて優れているわけでは無いです。また特定の個人を指したものでもないのでご注意を。 私と、周りにいるほかの人の違いを考えていたのだけど、ようやく思い至るところがあったので書きたいと思う。なぜ、私がバイトから始まってベンチャーをはじめようと思ったのか。また、同じ環境にいる人でそのように行動をする人がいないということについて。また、私ほど、私の周りに頑張る人も意欲の有る人も、学習する人もいないということについて。もっと大きな周りには自分以上の人なんてうじゃうじゃいるのは知っている*1。でも、能力もそれほど変わらず、機会も変わらないのに、なぜこれだけ結果が変わってしまうのかということについて。 危機感と現状把握 まず、現実の認識からの危機感の違い。私には非常に危機感があった。それは、今の自分はそれほどでもないが、2年間浪人した事によるハンデと

    学ぶ人と学ばない人の4つの違い - かえるの開発工房
  • 学生と社会人の断絶と生きる目的 - かえるの開発工房

    なぜか前回書いた、記事の評判が良かったので、補足と続きを書いてみよう。 学生のやりたい事 自分は、大学生でありながら、社会人に足をつっこんでいる(逆かな)ので、色々な温度差を非常に感じる。総じて、大学は温いと感じる。成果は結果ではなく、頑張りも評価に含めるとか。それほど、周りの人の意識は高くないように感じる。なんというか、とにかく先が見えていないのだ。こうなったらこうなる、どうしたらどうなるという事が見えていないように見える。目的意識も薄く、何を目的としているのか見えてこない。*1 それは逆に言えば、それだけそのような優しい環境であるという事だ。勉強をお金を払ってやっている事を理解している人は(自分も含めて)少ない。お客様であるという事と、逆の働く人であるということは、全く違うなのだ。学生は自分は就職して「自分が何をしたい」というように考える。しかし、仕事は逆に「お客様が何をして欲しいか」

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  • ステルス技術によるデザインの定量化 - かえるの開発工房

    ステルス技術の応用による視界の解析 これはすごい!!すごく頭いい。 基的なステルス技術の応用 現代の日の都市や住居環境というものは、奇妙なことにわざわざ金をかけて新しく建て換えを行うごとに、その外見はどこか「清潔なスラム街」と化していく傾向があり、物のスラム街と比べてさえ狭苦しくて窒息しそうな閉塞感を感じさせるものである。実際古くからあった家が取り壊されて新しい住宅が建ち、庭や空き地が駐車場に化けると、今までそれなりに広く感じていた町が急に狭くなったように感じられて圧迫感を覚えることが多い。 これは私の住んでいる周囲でも見られることであり、最もひどい建築物の例というのは、例えば最近の白っぽい2階建ての安アパートであり、隣にブロック塀で囲われた小さいコンクリートの駐車場でもついていれば完璧である。 そういうふうになってしまった場所を歩きまわってその元凶が一体どこにあるのかを探り、もっと

    ステルス技術によるデザインの定量化 - かえるの開発工房
  • 続ける技術 - かえるの開発工房

    やっぱりでしか得られない成分があるなぁと思う今日この頃。 「続ける」技術 作者: 石田淳出版社/メーカー: フォレスト出版発売日: 2006/10/30メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 30人 クリック: 208回この商品を含むブログ (148件) を見る 以降、かなり意訳。 行動力学 続けるということは、根性や意思の力ではない。それは物理学と同じくらい当たり前の話。 意思とか根性とかは、エネルギー。使えばなくなります。どんなにエネルギーがあったとしても、連続試行を繰り返せばいつかはエネルギーが無くなる。これが当たり前。 なぜ習慣化できないのか。それは、根性や意思をどうにかできれば、習慣化できると考えているから。問題は別のところに有る。問題はその行動を行ったときの、エネルギーの総計が行動前と比べて上昇しているかどうか。すればするほど、エネルギーが増える行動なら、飽きるまですること

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  • 段取り力 - かえるの開発工房

    たまたま、屋で見かけた。社長に「お前は段取りがうまくない」と前から言われていたので、段取りって何だろうと思い買ってみた。 段取り力―「うまくいく人」はここがちがう (ちくま文庫) 作者: 斎藤孝出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2006/11/01メディア: 文庫購入: 6人 クリック: 75回この商品を含むブログ (58件) を見る 結果としては、かなり当たりだった。自分の足りない部分*1が浮き彫りになった。 普通に書評をしても面白くないので、自分の言葉にして噛み砕いて*2書いてみる。 段取りとは 「段取り」とは、「私」が「実行」するという形を、「私」が「段取り」して、「段取り」が私の代わりに「実行」するというものであるという事。 「私が実行」形式だと、実行に失敗した場合は、「私が悪い」というようにすべての、責任が私にかかる。それは自尊心を安易に傷つける事になり、自己否定にも繋が

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  • どんな技術を持てばいいのか? - かえるの開発工房

    ますます技術の価値は無くなる 際限の無いインフレは続き、情報の価値がどんどん無くなっている。例え新しい技術を作ったとしても同じだ。物理的な制限がないぶん、アイディアさえとってしまえば勝ちだ。おそらく、1番目の人が10の力をかけて作ったものを3くらいで作れる。しかも、技術的なものではないから、特許などは早々取れないし、とったとしても意味が無い。広がることが強みなのに、制限をかけたらその時点で死んでしまう技術は、過去にいくつもあった。それにプログラム自体は汎用であるため、ビジネスモデルとしての特許しかとる事が出来ない。それにも穴があって、同様のものを違う実装でクリアさせてしまえば特許は、効かない。 要するに、情報は守る事が出来なくなる。隠匿は不可能。無い情報は存在しないのと同じ。 では、何が次の鍵となるのか? ・教育 ・創造 ・アジャイル(すばやい開発) ・人間関係 まぁ、ここら辺かと思うので

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  • 情報化の果て - かえるの開発工房

    既存の情報化の限界 情報化という言葉自体が、陳腐になるくらい情報化が進んだらどうなるのだろう?問題は、情報の伝播速度(拡大速度)が人間の学習速度を超えてしまうと言うところにあると思う。新しい事を覚えたと思ったら、新しい事が出来る。新しい事に果ては無く、情報が情報を生産する。情報の伝播速度は言うまでも無く、拡大し続け、果てはどこまで行くだろうか? 当の問題は、時系列に反比例して情報の価値がなくなってしまうところだ。今価値ある情報は、来年には半額になっているだろう。再来年はさらに半額、次の年は無料だ。学んでも学んでも果ては無く、学ぶモチベーションにしても、上の上まで見通せてしまうために、常にまだまだと、安心できるようなラインが存在しない。 学習機能の強化 だから、みんな効率的な学習法を取り入れる。学校は学習法を学ぶ場所になり、会社という集まりもそのような役割を担うようになる。学習する事が、当

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  • 性善説と性悪説 - かえるの開発工房

    性善説と性悪説どちらがよいのだろうか web2.0はというか、web自体は性善説で動いている。ただ、それだけでは脆弱であるのでセキュリティに関しては色々対策をしている。でも、それでも性善説がベースとなっている。フリーにサーバを繋ぎ、誰でもどこのサイトの情報を得ることが出来る。これは性善説だからこそ、出来ることだ。 一方、インターネットには危険性がある。そんなこというまでも無さ過ぎるのだけれど、ウィルスやブログの炎上、個人情報の漏洩、著作権の侵害などがある。それでも、ある程度は対策で防げることであるし、それにデメリットよりもメリットの方が遥かに大きい。だからこそ、ネットワーク化が進み、帯域は増え、ネットワーク自体が成長していく。今の問題点は、インターネットのネットワークを拡張していく段階で、免疫系が不十分であるために起こっている問題なのだろう。 将来的には何らかの形で解消するのかも知れない。

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  • 「楽しいという事」から「天才と秀才の違い」 - かえるの開発工房

    楽しいという事 楽しいことは、何なのだろうか?単純に説明できそうである。しかし、あまりにも範囲が広いため、そして対応した欲望がない様に見えるために、それをそれ以上に分解しないことが多い。「楽しい」を「楽しい」でしか、説明出来なければ、楽しいを作ることは経験的な話になってしまう。それでは面白くない。 理論的に楽しいとは、何なのだろうか?そして、何をしている時が一番楽しいのだろうか?楽しいとは感情なのか、それとも状況なのだろうか? 半分の回答 いきなりだが、半分だけ答えを言おう。楽しいとは自己効力感のことだ。自分が、力を持っていることを実感することが、「楽しい」である。例えば、テレビゲームでは「楽しい」という状態を維持するために、成長曲線とそれに対する抗力を、細かく管理することで、それを実現している。ただ、普通の人はそれでもいつかは飽きてしまう。 飽きるというのは、その効力に価値がなくなった時

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  • 資本主義と情報主義の戦い - かえるの開発工房

    情報化って実は資主義と対立してません? 最近思うことがある。それの主な原因は昨日のエントリーと例のあれであるが。 それの内容は「情報」と「お金」って、実は戦ってませんか?という話だ。別に断定するわけではない。ただ、情報というレイヤーは帯域が必要なのであって、お金自体は要らないのだ。もちろんインフラを整えるのにはお金が必要だ。 でも考えてほしい、web2.0といってもてはやすが、お金を稼ぐモデルというのは増えていない。むしろ、お金が要らないのではないかと思わせるような気すらする。googleAPIを公開した。そのおかげで、簡単に普通で作れば何億もかかるようなシステムが簡単に作れるようになった。しかし、グーグルはそれで儲けているわけではない。ただで公開し、アドセンスの広告モデルで儲かるはずのないシステムを作っている。 従来型の企業からすれば迷惑ともいえるような行為だ。別に、そっちの肩を持つ

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  • web2.0の向こう側 - かえるの開発工房

    解決する問題 前々回のエントリーで色々問題があった。その問題について、もう少し考えが進んだので書きだしてみようと思う。 問題:経済層と情報層を融合、共生関係になるようなビジネスモデルは無いのだろうか? まず、問題点を書きだしてみよう。 情報層は帯域が欲しい。お金は別にというかむしろ帯域制限になる。 お金お金の帯域が欲しい。情報は別にというか情報がコピー可能なのでお金自体流通に必要無い。 人は、両方の帯域が欲しい。 この三つの層を全て満たすようなモデルが欲しいのだ。今の広告モデルは、情報の帯域を上げて、トラフィックが太くなったら、それをお金に変換するというモデルだ。だが、問題がある。 広告モデルは、圧倒的にトラフィックを持つ側しか使えないということ。つまり、儲かる人が少ない&大きいところしか儲からない。 広告はGNPの3%程度で頭打ちになる。今後はほかのマスメディアから奪うだろうが、それ以

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  • 「自立と依存の境界」から「資本主義と情報主義のさかいめ」 - かえるの開発工房

    さてfromdusktildawnさんの 分裂勘違い君劇場 - 無学歴、無職歴、無実力のニート年収500万円の正社員になる方法 から 分裂勘違い君劇場 - 西暦2026年の日 に向かっての「普通と違う視点で書かれた質」をおもしろいと思ったので、連続する自分の意見を書いてみることにする。 依存状態はフラクタルに連続する 依存でつながる関係はとことん依存の連鎖でなっている。それは、政府の天下りなどの「自分でお金を稼ぐ」ということを知らない人達のように。依存は甘い蜜だ。それも一回浸ってしまうともうそこから逃れられないかのように、その人間、組織を骨抜きにしてしまう。 「自分は〜だから」という理由で、そのことをしないというのは依存関係だ。甘えていることに気がつかず、それを指摘、または取り上げようとすると、いかにも自分がやってきたことを意味があるかのように語る。そして、それが差別または不公平など

    「自立と依存の境界」から「資本主義と情報主義のさかいめ」 - かえるの開発工房
    yukio2005
    yukio2005 2006/07/31
    依存は甘い蜜だ。それも一回浸ってしまうともうそこから逃れられないかのように、その人間、組織を骨抜きにしてしまう。
  • 持つ時代から、なる時代へ - かえるの開発工房

    そういうことか エントリー所有することへのトラックバックより 所有「物」に価値がなくなったのではなく「所有」に価値がなくなった 所有物は他人に移る。移ると同時に自分の「have」に対して認められていた価値も他人に移る。それは自分の価値ではなく所有物の価値である。「物」には厳然として価値はある。価値がなくなったのは「所有」である。 「have」に変わる価値は何か? もちろん「be」だと考える。「自分が『何』であるか」そのものが価値として問われる時代が、ようやく始まったのではないかと。(確かそんなことを書いたもあったと思う。タイトル失念) 「be」の時代が始まったとする根拠は? 「have」ではなく「be」の時代が始まったのだと仮定すれば、最近始まった、既存の価値観では到底理解不可能な数々の出来事(オープンソース活動とか、情報の隠蔽でなく公開&共有とか、実際に会ったこともない人を信頼する力と

    持つ時代から、なる時代へ - かえるの開発工房
  • 所有すること - かえるの開発工房

    モノを持っていますか モノを持つというのはどういうことだろうか?単純に言えば、モノを所有していること。それはそうなのだが、ゲームの時の話で違和感を感じたので書こうと思う。 例えば、空気、水。あなたは持っているだろうか?持つ必要があるだろうか。豊富にありすぎると所有権を誰も主張しなくなる。 例えば、ゲームの中の武器。ゲームをしていれば手に入るもの。あなたは所有していますか?それを持っていると感じていますか? 例えば情報、あなたは情報を所有していますか?それを持っていると感じていますか? モノを持つとは、「手に入れる時」と「手に入れた状態」と「失う時」の落差 モノを持つとは「手に入れる時」と「手に入れた状態」の落差、要するに手に入れやすさだ。というのが一般的な考え方だと思う。でも、実際は違うと思う。「失う時」の落差まで、勘定しないと所有しているとは、言えないのではないか。 例えば、今100万円

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