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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/kmizusawa (7)

  • 傍から見れば「してない」だけ、でも主観的には「できない」理由はいくらでもある - kmizusawaの日記

    ■傍から見れば「してない」だけ、でも主観的には「できない」理由はいくらでもある もしくは「主観的には「できない」理由はいくらでもあるが、傍から見れば「してない」だけ」 Error 植園容疑者は昨年12月21日、JR湖西線の普通電車内で女性(同27歳)に暴行し、さらに大津市のJR雄琴駅で電車を降り、同駅のトイレに女子大学生(同20歳)を連れ込み、暴行したとされる。 あーこの人、以前取り上げた「1時間にひとりレイプしてた人」だ。この分だとまだ余罪が出てくるのかもな。滋賀県を中心に夜間に電車の中とか駅のトイレとか… やっぱり好みのシチュエーションってのが決まってるのかもしれない。 調べでは、植園容疑者は、昨年8月3日午後9時20分ごろ、福井駅を出発した直後に、6両目の前方から2、3列目にいた女性の隣に座り、「逃げると殺す」「ストーカーして一生付きまとってやる」などと脅し、繰り返し女性の下半身を触

    yuuboku
    yuuboku 2007/04/23
    そう、これくらいのことは考慮に入れて論ずるべきなんだ。なぜかできてないんだけどね。
  • 「差別」を指摘されることについて考えてみた - kmizusawaの日記

    続・反エリート - DeSeanの日記 〜〜〜♪いや「産む機械」発言はその辺のオッサンオバハンがしてもTPOによっては顰蹙買いますって(^^;)ってのはおいといて、ちょっと思ったのは、この種の「問題発言や行為」を問題にする問題(ややこしいな)において真に怖ろしいのは、「その発言が不愉快だ」とか「問題がある」と指摘する/されること自体というより、そうやって指摘された(場合によっては「指摘した」)ことに対して、ときにはそれまで築き上げてきたすべてを失わなければならないところまで責任を問われ求められ追い詰められてしまう、というイメージが必要以上に一人歩きしているということじゃないかと。たとえば「差別主義者」というレッテルにせよ、他人にレッテル貼りをする行為自体は至る所で行われている。そういったレッテル貼りに対しては、しばしば「そんなもん気にするな」というアドバイスがなされ、実際スルーする人も多い

    yuuboku
    yuuboku 2007/04/15
    行為の否定と人格の否定が摩り替わる問題。
  • なぜ石原を支持しちゃうオバサンがいるのか(もしくは左派に関する考察) - kmizusawaの日記

    田中秀征「ミーハーの好き嫌いっていうのはうんと当たる」 - 一人でお茶をを読んで考えたこと。というより以前から思っていたこと(以前にも似たようなこと書いたかも)。左派(右派にもいるが)のダメなところのひとつは、自分と同じ考えを持たない人たち、自分と違う価値観にしたがっている人たちの「センス」を馬鹿にしまくる(自覚はないのかもしれないが)ことだと思う。「石原を支持するやつはダメだ」ってなことをすぐに言っちゃう。時には石原人を批判するより楽しげにそう言っちゃう。「石原的なものはなぜ危ないのか」と説いてるはずが(説いてないわけじゃないんだが)「石原の危険性がわからないやつは云々」になってしまう。主義主張とか考え方、物事の進め方のまずさ、その立場にある者としてどうかの指摘をしていたはずが往々にして、「そういう主張をする」人の人格とか人としてのセンスがどうこうという話になってしまう。石原個人に対し

    yuuboku
    yuuboku 2007/04/05
    確かにありがちなことなので気をつけないと。
  • 生徒の人間関係を把握したがる先生たち - kmizusawaの日記

    たぶんこういうことだと思う - kmizusawaの日記で自分が小学校5年生のときに行われたアンケートのことについて書いたけど、あれはいったいなんだったのだろう。おそらく生徒指導に活かすために教室内の人間関係を把握するというような意図だったのだと思うけど、今そういうアンケートとったら、かりにその結果を保護者に伝えなかったとしても、それだけで問題になるんじゃないだろうか。泉流星「地球生まれの異星人」(花風社)というの中に、著者が小学校1年生のとき、「先生が教室で生徒の名前を一人ひとり呼び、「この子のお友だちは手を上げて」という調査をした」とある。(p35) そりゃ私の経験したアンケートよりひどい。あと、これはどこで何で読んだのか覚えてないけど(もしかしたら誰かにきいたのかもしれないし、小説などのフィクションに出てきた話の可能性もあるが)、隣の席の子のいいところと悪いところを紙に書いて見せ合

    yuuboku
    yuuboku 2007/03/13
    質問文への回答に至るまでのプロセスへの理解が、kmizusawaさんとPTAとでまるで違う。これはつらい。
  • ぶっちゃけ人は体温以上にはあたたかくもなければ冷たくもない - kmizusawaの日記

    「冷たい社会」というものが存在するわけじゃない。社会の中には、冷たい行動をする人もいるし、暖かい行動をする人もいる。同一人物が、ある時は冷たく、ある時は暖かく行動することも普通にある。冷たい行動をする人=冷たい人間、というのも間違っている。行動はその人の一部を表すにすぎないし、行動の表さない部分のほうがずっと多い。日の社会だって捨てたもんじゃない - 深く考えないで捨てるように書く私もそうだと思う。冷静に考えたらこの通りだろう。(ただ「人が冷たい」という意味ではなく「制度が未整備」という意味での「冷たい社会」はあるかもしれない)でも一方で、「小さな親切」は記憶にとどめず「大きなお世話」だけをしっかり覚えている人や、「こんなひどい人がいた」ってことばかり覚えている人、極端な場合、誰かに嫌な扱いを受けたことをもってその相手と似たような属性を持つ人すべてに偏見を持ったりとか、そういう人もあちこ

  • 自分の発言とがめられて「言葉狩り」や「××の自由」やそれに類する概念を持ち出す人の言いたがっていることはたいてい言わなくてもいいようなことである - kmizusawaの日記

    同性愛嫌悪的広告の設置求め、牧師が最高裁へ請願−アメリカ - ゲイジャパンニュース「同性愛について聖書を基に非難した広告の撤去を命じられた牧師が、合衆国最高裁に対し請願書を提出」だそうだ。宗教的信念に基づく差別的な表現は表現の自由で守られるべきか(そしてその頒布広報に加担することで利益を得る事は許されるか)、行政の介入は妥当かっていう問題なんだと思うけど、そこら辺の細かいところはとりあえずおいといて。この牧師さんは「広告中のメッセージが、自己の信仰を実践する憲法上の権利であると主張」しているらしい。まーそりゃ確かに「同性愛イクナイ」ってのも彼の宗教的信念の一部ではあろう。そして自分の信念を世の中に示すのも実践のひとつではあろう。でもさー、なんでそこをわざわざ強調するわけ? 聖書には他にもいろんなことが書かれているのに、聖書を盾に同性愛を非難する人というのは「そここそがとても大事!」みたいな

    yuuboku
    yuuboku 2007/02/22
    聖書に依拠したらアレもコレもダメやろって話を読んだ覚えが。
  • 本を読むのがなんぼのもんじゃ - kmizusawaの日記

    愚智提衡而立治之至也: 「たかが読書」で読書は充分503 Service Temporarily Unavailable愚智提衡而立治之至也: 「読書」は個人のもの私も、人間性涵養とか教育的効果を期待しての読書推進論みたいなものには胡散臭さを感じる。テレビを消してを読めとか、読書で感性を育てるとか、××力とか、教養がどうとかね。読書しないとダメな人間になる的な説教は最悪だ。そういう意味で言ってるのではないんだろうけど、じゃあ文盲の人(大学生なのに漢字読めないとかいう話じゃなくて、教育そのものを受けられなくて字が読めない人は世界規模では大勢いる)だとか疲れすぎてて読書する気力も湧かない人はダメな人間なのか?感性が貧しいのか?と突っ込みたくなってくる。読書もひとつの特権である。時間がなくても毎日1行だけでも活字読まずにはいられないという超活字好きとか好きとかいうケースはともかく基的には余

    yuuboku
    yuuboku 2007/01/14
    人の感受性への影響はメディアの如何を問わないはずが、何故読書(それも文学・教養書あたり)ばかりもてはやされるのか、という話。
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