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2012年1月19日のブックマーク (2件)

  • プログラマという職業は「ふつう」の人には厳しくないか - ukstudio

    最近、実はプログラマという職業が「ふつう」の人には厳しいなーと思っていたりする。 業務外にコードを書いたり、技術書などを読むというのは素晴らしいことだと思う。けど、会社側がもし「業務時間外にコードを書いたり、技術書を読んだり、勉強会に参加しなさい」と言ったら、それは業務時間外労働と変わらないと思う。個人のたのしみとは別に会社側がそれらを求めたらそれは業務だ。 しかし、僕が思うにはそういう業務時間外に自主的に勉強をしないと、正直いってまともな品質なソフトウェアを作るのは難しい。 例えば良書と言われているものは結構な数あり、ある程度経験がありそれらのを読んだことがある人は「プログラマならこのは読んでおくべき」というをいくつかあげたりもするだろう。けど、それらをいつ読むのか。業務時間内にそれらをじっくり読んだり、実際にコードを書いたりする時間があるところはないだろう。そうなると自分のプライ

    zichao
    zichao 2012/01/19
    コメント欄に注目
  • 創造からバベルまで・・・XVI 原福音とアダムの信仰告白 - 苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

    1 アダムの子孫 なにか罪を犯してしまったとき、「アダムがあんなふうに善悪の知識の木の実から取ってべなければ、私たち人類は悲惨なことにならなかったのに。」こんなふうにつぶやいたことのある読者がいるのではないでしょうか。 しかし、こんな言い訳をするとき、私たちは自分自身があの堕落した夫婦の子孫であることを証明しています。なぜならば、アダムは罪を犯して神から問い詰められたとき、こう言ったからです。「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私はべたのです。」また女は言いました。「蛇が私を惑わしたのです。それで私はべたのです。」あのとき、へびはほくそえんだことでしょう。 自分の罪を認めず、その責任を他に転嫁する行為が、「私は堕落したアダムと女の子孫です。」と証明しているのです。 そういえば、主イエスもパリサイ人・律法学者たちにおっしゃいました。「わざわいだ。偽善の

    創造からバベルまで・・・XVI 原福音とアダムの信仰告白 - 苫小牧福音教会 水草牧師のメモ
    zichao
    zichao 2012/01/19
    アダムは蛇に向かって語られる神の呪いのことばのうちに、いのちの君である「女の子孫」が蛇のすえを打ち砕いて勝利をもたらし、いのちをもたらす日が来るのだという約束を聞き取って、その約束を固く信じた