2014年09月22日00:44 カテゴリ法/政治 朝鮮兵はなぜ靖国神社にまつられているのか 韓国にとって、朝鮮人が「日本兵」に志願した歴史は、受け入れがたいものらしい。徴兵(強制)はなかったのに、80万人以上の朝鮮人が50倍の競争率で望んで日本兵となり、死地におもむいたのだ。ここに慰安婦などとは比較にならない重要な問題がある。 今週のメルマガにも書いたように、近代国家にとってもっとも重要な問題は、国のために死ぬという意識を生み出すことだ。それがナショナリズムだが、日本人には――福沢諭吉も嘆いたように――もともと国民(ネーション)という意識がない。それなのに、あのように長期にわたる戦争を戦うことができた原動力は何だったのか。 それが天皇のために死ぬという意識だった。国家という抽象的な概念は武士には理解できなかったが、「主君への忠誠」の倫理は古くからあった。この場合の主君はそれぞれの家のある
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