連休に、教会の兄弟姉妹と安曇野の大王わさび農園に出かけてから、安曇族のことが気になっている。特に、大陸族(ヤマト族)と勇戦して破れて亡骸はバラバラにされて、あちこちに埋められたという八面大王の悲劇が印象に残ってしまったからだろう。それは紀元800年頃の、ヤマト王権の東方遠征の時代のことである。 安曇族というのは、それより前に、この信州の地に移住してきた一族であり、彼らはもともと九州志賀島を根拠地とした海洋民族である。だから、安曇野の穂高神社で祭りのときに用いる山車は大きな船の形をしている。この神社に祭られるのは安曇比羅夫であり、彼は百済を唐が攻撃した白村江の戦いに援軍の将軍として赴き、戦死している(663年)。筆者の母方の祖父は博多の唐人町というところで眼科医を営んでいたので、子どもの頃、母の実家に行った際に博多から玄界灘に突き出した志賀島にも出かけたことがある。 この志賀島は、たしか中学
![信州安曇野と九州志賀島 - 苫小牧福音教会 水草牧師のメモ](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/5ea9a84433f30d8a474401dfd23482b72a0e17e8/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn-ak.f.st-hatena.com%2Fimages%2Ffotolife%2Fk%2Fkoumichristchurch%2F20150404%2F20150404092234.jpg)