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2013年08月19日23:00 カテゴリクルーグマン ブログ クルーグマン、「ミルトン・フリードマン、消えた巨星」 http://krugman.blogs.nytimes.com/2013/08/08/milton-friedman-unperson/ "Milton Friedman, Unperson" 順序が逆になりますが、クルーグマンの8月8日のブログです。最近クルーグマンが「フリードマンについての議論」と言っているのは、これが発端です。 ********** ミルトン・フリードマン、消えた巨星 "Milton Friedman, Unperson" デビッド・グレイザー(David Glaser)がフリードマンの貢献について連載記事――そのいくつかはスコット・サムナーに反応したものだが――を書いている。もしあなたが経済学の歴史にに興味があるなら、それは興味深いものだろう。だ
その昔、インターネットにはテキストサイトというものが存在した…。今更だけど、何故テキストサイトが廃れたのか考えてみよう! 本日のオモコロ特集は「テキストサイト」についてであります。 普段の記事と完全に毛色が違うので飛ばしても良いかも知れません。 「テキストサイトについて書きたいなぁ」という気持ちは以前から持っていて、 ずっとタイミングを見計らっていたのですが、 「テキストサイト」という言葉自体を知らない人も増えてきているでしょうし、 オモコロが産まれるきっかけにもなっている出来事なので、 僕の青春の備忘録という意味も含めてそろそろ書いておきたいと思います。 ちなみにめちゃくちゃ長文です。 【第一章】テキストサイトの歴史 1:テキストサイトの誕生(1990年代後半~) とは言っても、「テキストサイトって何ぞや?」みたいな人もたくさん居ると思いますので、そういった人々の為に「テキストサイト」に
2013年02月15日00:51 戦前は学校でも軍隊でも体罰が絶対禁止だった 拙著『戦前の少年犯罪』の参考文献にも使った江森一郎『体罰の社会史』なんかを基に、欧米のように殴ったりせず子どもをのびのび育てる日本の江戸時代からの伝統をまとめた「日本の体罰の前史」というページがあるんですが、途中で戦前には体罰がなかったとかあったとかいう妙な話になっています。 我が国の歴史の基本的な処がこうも混乱したままで、正しい日本像が日本人に共有されていない状態では困りますので、整理しておきます。 戦前にも体罰はありましたが、戦前は体罰が絶対悪で、明確に「犯罪」として処理されていたのです。 なんか、戦中は違うと読み取る方が多いみたいなので、念のため書き加えておきますが、戦時中も体罰が絶対悪で、明確に「犯罪」として処理されていたのです。 変わったのは戦後になってからです。 戦前の新聞を読んでいる方なら、教師が生
1948年三重県生まれ。京都大学を卒業後、1972年に日本生命保険相互会社に入社。企画部や財務企画部にて経営企画を担当するとともに、生命保険協会の初代財務企画専門委員長として、金融制度改革・保険業法の改正に従事する。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などを経て、同社を退職。2006年に生命保険準備会社を設立し、代表取締役社長に就任。2008年の生命保険業免許取得に伴い、ライフネット生命保険株式会社を開業。社長、会長を10年務めたのち、2018年より立命館アジア太平洋大学(APU)学長。2024年より現職。 出口治明の提言:日本の優先順位 東日本大地震による被害は未曾有のものであり、日本はいま戦後最大の試練を迎えている。被災した人の生活、原発事故への対応、電力不足への対応……。これら社会全体としてやるべき課題は山積だ。この状況下で、いま何を優先すべきか。ライフネット生命の会長兼CEOであり、
崔基鎬(チェ・ケイホ)氏 1923年生まれ。 明知大学助教授、中央大学、 東国大学経営大学院教授を経て、 現在、加耶大学客員教授 外交評論家、加瀬英明氏が世話役となり、10月14日(木)、東京の北野アームスで出版を祝う会が開かれた。受付で渡されたのは崔基鎬加耶大学客員教授著『日韓併合 韓民族を救った「日帝36年」の真実』であった。最近韓国では、政治的に反日的な動きが強くなっている。そんな状況の中で、わざわざ「日帝36年が韓民族を救った」と題する理由は何なのか。著者は開会の挨拶で「私は歴史の真実を正直に書いただけです。韓国と日本は、アジアの安定のためにも両国のためにも、真の意味での協力が必要と思います。そのためには今のような歴史観では駄目です。歴史は歪曲せずに真実を見つめること。そうすれば、今後私たちがどう進むべきかを教えてくれます。日本には、昔から武士道があります。そういう素晴らしい
両国が領有権を争っている島へ、一方の市民が不法に上陸しました。 これは、30年前のおはなし。 1982年、南太西洋の島々の領有権をめぐり、イギリスとアルゼンチンが戦争をしました。フォークランド紛争と呼ばれています。 始まりは民間市民の上陸でした。その背景はアルゼンチンの経済が不調で、政権が危うかったこと。そこで、歴史的な経緯から係争中だったフォークランド諸島がクローズアップされました。国民の目をそらすためです。 アルゼンチンの民衆は、政府がやらないなら自分たちが島を取り返すんだと盛り上がります。義勇軍のような気分で、島に不法上陸したり、運動が過熱していきました。 それが政府の選択肢をせばめ、やがて戦争になりました。 その島には名前が2つ 嵐の前の不景気 断たれた退路 あちら側、こちら側 正しさは手段に過ぎない 賽は投げられた 関連記事 その島には名前が2つ その島々には2つの名前があります
天安門事件の「無名の反逆者」に別アングルの写真があった…海外で大きな反響 天安門事件(1989年)から四半世紀近くが過ぎようとしています。 北京・天安門広場に集結した、学生を中心とした民主化デモに対し、軍隊が武力弾圧で多数の死傷者を出したことから、国際的な非難を浴びました。 そして世界に衝撃を与えたのが、この戦車に立ち向かう「無名の反逆者」または「抗議する男」と呼ばれる男性。 このシーンを別のアングル、地上の視点から写した写真が海外サイトで紹介され、大きな反響を呼んでいました。 ※画像クリックで拡大 この写真、わかるでしょうか。 左奥に「無名の反逆者」として有名な男性が、そして右からは戦車が、今まさにやってこようとしているところです。 中国共産党政府による検閲のため、中国国内では見ることも知ることもできないだけに、この写真の重みをよりいっそう感じます。 参照:中国版Google「天安門」の
(つづき) 次は、野田少尉が、最終的に第二回「上訴申弁書」の提出を諦め、自らの死を覚悟した後に書かれた「日本国民に告ぐ」と題された遺書です。 参照:百人斬り競争」資料 「日本国民に告ぐ」 これを読んで、胸の詰まる思いをしない日本人はいないでしょう。ところで、この両少尉の死が、その他の中国に捕らえられていた日本人戦犯二百六十名の命を救ったかも知れないのです。というのは、この「百人斬り競争」は東京裁判でも審理がなされ、両少尉それに浅海記者も取り調べを受けたのです。その結果、この記事はすべて「伝聞」によるものであるとして、「東京裁判では本裁判は無論のこと、個人を裁く『戦争放棄を無視したC級裁判』としても、このことを立証し有罪に持ち込むことは不可能である」と判断され起訴はされなかったのです。 ところが、両氏を南京事件の容疑者として南京に送れとの中国からの要請があり、マッカーサー総司令部司法部長のカ
アゴラTraditional style of the bridge of Japan. It is wooden. 先日の記事では原発問題とTPP(環太平洋連携協定)論争を軸に、日本人の国家ビジョンや価値観が、いまなお「江戸時代」に作られたそれに拘束されていること、しかしその束縛は(よくも悪くも)解けつつあることを述べました。それではもし仮に、「江戸時代」に通ずるような戦後日本の社会構造――地方支部に支えられた保守政党を中心に、国際競争や地域間競争からの保護政策を通じて、企業や地域や家族といった集団ごとの現状維持を可能にすることで、国民の生活を守るあり方――が崩れたとしたら、そこにはどのような風景が広がるのか。明日刊行の拙著の内容をもとに、少し吟味してみたいと思います。 玉虫色の態度表明ながら、どうやらわが国も参加を目指すらしいTPPですが、これは日本国内に各種の諸産業を抱え込んでトータ
チェ・ゲバラのサイン エルネスト・ゲバラ(Ernesto Guevara、1928年6月14日 - 1967年10月9日)は、アルゼンチン生まれの政治家、革命家で、キューバのゲリラ指導者。 「チェ・ゲバラ(Che Guevara)」の呼び名で知られるが、「チェ」は主にアルゼンチンやウルグアイ、パラグアイで使われているスペイン語(リオプラテンセ・スペイン語をはじめとする諸方言)で「やぁ」「おい」「お前(親しみを込めた)」「ダチ」といった砕けた呼び掛けの言葉であり、ゲバラが初対面の相手にしばしば「チェ。エルネスト・ゲバラだ」と挨拶していたことから、キューバ人たちが「チェ」の発音を面白がり付けたあだ名である。ラテンアメリカではキューバ革命以降「チェ」もしくは「エル・チェ (El Che)」(「el」男性定冠詞単数形)といえば彼のことを指す。 生涯[編集] 幼年期[編集] 5歳。伝統的なガウチョの
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