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ブックマーク / technique.hateblo.jp (18)

  • 身動きが取れません―― 千葉雅也のドゥルーズ論 - Freezing Point

    動きすぎてはいけない: ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学 作者: 千葉雅也出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2013/10/23メディア: 単行この商品を含むブログ (31件) を見る 動かないものを、動かそうとすること。 あるいは動きすぎるものを、止めてみること。 そのバランスとタイミング――これは臨床や芸術にとどまらず、*1 生活者として必要な、日常的・具体的な配慮だろう。*2 このモチーフが、哲学史にどういう位置づけを持ち得るか。 書はその整理において、たいへん有益だった。*3 《非意味的な切断》に照準し、それを実務的にも提唱する書は、哲学的に洗練された「ひきこもりのススメ」にも見える*4。 その観点から、私がもった疑問は: 切断は、「どうにもならない」に陥りがち 千葉氏が描き出した切断は、どういう困難に直面するだろうか。――そこでの技法を考えなければ、この議論は無意味

    身動きが取れません―― 千葉雅也のドゥルーズ論 - Freezing Point
  • モノの鮮度なのか、作業プロセスの鮮度なのか - Freezing Point

    togetter 《カフェ・ベローチェで「鮮度」を理由とした雇い止め》 いわゆる若者支援にも、《鮮度》という発想があります。 ある引きこもり関連のイベントで 「若者を受け止めてください」 「ずっと引きこもってもいいじゃないですか」 と講演した大学教授は、 いっしょに登壇した30代後半の私に、舞台裏で↓こう言った。 不登校経験者がイベントに出てるのを知ってるが、 みんな20歳くらいだよ。君はいつまでやってるの さっきあんた、「ずっと引きこもらせろ」って 講演したんじゃないのか。――そう言う代わりに、 当事者というのは、ポジションとしては風俗嬢みたいなものだと言われたことがあります と言ったら、彼はニコーッと笑って、「賞味期限ね」 《当事者》というのは、ジャーナリストや支援者・親御さんたちの幻想を満たして、はじめて存在を許される。自立した意見を持ってはいけないし、都合のよい利用対象になってあげ

    モノの鮮度なのか、作業プロセスの鮮度なのか - Freezing Point
    TZK
    TZK 2013/07/28
  • 必要な論点は、どこにも書かれていない - Freezing Point

    これもほしい。対策急務。 RT @contractio: 『なぜあの人たちは書いてないことが読めるのか』(河出書房新社) 2013-03-26 10:55:04 via twicca to @contractio これは話が逆で、むしろ この人たちは、なぜ自分が「書かれたことしか読み取っていない」と言えるのか。 社会生活は、つねに「書かれていないこと」の読み取りを強制されていて、 うまく参加できない人は、そこでつまずいている状況があります。*1 「書かれてあることを読み取っている」については、文字や音声の物証を挙げて、目の前で説明できるので、わかりやすいでしょう。ところが、 「書かれていないこともすでに読み取っている」 については、説明が抽象的にならざるを得ません。 「書かれていないこと」の中身は、即物的に提示しにくいからです。 すでにやっていること、なのに 一部の方々は、「書かれたことし

    TZK
    TZK 2013/03/28
  • この本には、異常な地方が描かれているのではない。 - Freezing Point

    むしろ、私たちの日常が曝露されている。 あのとき、大川小学校で何が起きたのか 作者: 池上正樹,加藤順子出版社/メーカー: 青志社発売日: 2012/10/24メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 18人 クリック: 2,098回この商品を含むブログ (8件) を見る 行きなれた目の前の山に逃げれば、*1 亡くなった子どもたち74人が全員助かっていたのに、 地震発生から50分間も校庭に待機させた。 「山に逃げよう」と声をあげた子どもたちもいたのに、 わざわざ連れ戻してまで校庭にいさせた。 その事実を市長や教育関係者が徹底的に揉み消し、 時間のつじつまをごまかし、聞き取りのメモを捨て、 「頑張って逃げようとしていたが、間に合わなかった」 ことにした。 制度の前提がおかしい 「学校管理下で死亡事故が起きた場合の対応として、報告しなければならないという法律の根拠がないのです」(文部科学省の「

    この本には、異常な地方が描かれているのではない。 - Freezing Point
  • 「無縁死でいいじゃないか」 - Freezing Point

    hizzz 独り死で何が悪い! 有無を言わさない縁無縁での叙情共同体強調は、ひいては靖国的な国家包摂を要請することにも繋がることになりかねない方向へ。 生前の引きこもり問題が、 生活や権利の実務レベル  国家との関係では、《社会権》*1 「さびしい」といった価値観レベル  国家との関係では、《自由権》 に分かれるように、《死ぬこと》についても、この2つが分かれます。 価値観としては、「放っておいてもらう権利」は、ものすごく重要だと思うのです*2。 しかし、無縁死の状態は、「望んでそれを手に入れた」のか、「やむなくそうなった」のか*3。 独りで死んで、弔ってもらえないということは、生前にも「SOSを出せない状態」です。 ひとりでいることは、「さみしい」とかの価値観レベルで論じられがちですが、当の問題は、それが圧倒的に弱い立場であるということです。 無縁死という言葉に潜む「孤独なのは悪いこと

    「無縁死でいいじゃないか」 - Freezing Point
    TZK
    TZK 2010/02/05
  • ひきこもり臨床論としての美術批評 - Freezing Point

    斎藤環『アーティストは境界線上で踊る』(みすず書房)刊行記念のトークショー、 斎藤環×岡崎乾二郎 「アートに“身体”は必要か」 を熟読した(掲載は『みすず(no.563)』2008年8月号)。 これを私は、美術批評であると同時に、ひきこもり臨床論として読んだ。 岡崎乾二郎の議論は、斎藤環の「発想のあり方」へのあからさまな批判なのだが、斎藤は最後までそれに気づいていないように見える。 私はこの対談を、ひきこもりや就労支援の関係者にこそ読んでほしい。 誰かの努力や存在が社会的に排除され、誰かがぬくぬくと「内側」にいることになっている*1。 そこに批評を口にするときの態度の違いは、そのまま支援案のちがいになる。 排除された努力や存在を受け止めるときに(あるいは無視するときに)、どんな発想が必要なのか。 作品であり、労働過程である私たちは、単に全面受容されるべきではない。 では、どんな厳しさが必要

    ひきこもり臨床論としての美術批評 - Freezing Point
  • 党派分析 - Freezing Point

    自分への距離をもたない人は、状況を素材化して分析しただけで怒り出す。 党派性へのフットワークを維持しただけで、「あいつは政治活動している」と陰口をたたかれる*1。 活動を始める前は、私を痛めつけるのは保守と右翼だと思っていた。 しかし実際には、人間関係の生じた人たちこそが耐えがたい。 支援者、左翼、研究者、ひきこもり経験者たち...。 要するに、党派性の生じたすべてのジャンルに、私に敵意を向ける人がいる*2。 彼らのほうでも、「ひどい目にあった」とか思ってるんだろう。 《素材化》という私のキーワードの意味に気付いた人は、たいてい真っ青になる、あるいは真っ赤になる。 私のことはさんざん晒し者にしておいて、自分のことは検証されたくないのだという。 ひきこもりをめぐる問題意識を言葉にすれば、社会から排除される度合いが高まる。 「誤解されなければ、受け入れてもらえない」(某氏)。 理解されることは

    党派分析 - Freezing Point
  • Freezing Point - カテゴリー差別と嫌悪感

    非モテ系の人間が差別されても、それは「当然だ」と流されてしまい、ほかの差別のように取り合ってはもらえない。 ▼見下されたために過剰な非難を浴び、しかしそれは分かりやすい「差別」とは見えないため、集団で嘲笑されるままになる。 差別は、分かりやすい差別枠があるから差別なのではない。 人間をあるカテゴリーに囲い込み、「見るからに○○だな」「○○は傲慢だから」――勝手なカテゴリー属性で逆に規定してみせたとき、それはすでに差別なのだ。 【逆に言えば、いくら嫌ってもそれは単なる嫌悪感であり得る。】 ある属性をもった人間を「支援の対象」として囲い込むことは、差別的な見下しであり得る。 「○○のくせに」。 私の存在が、人格を持った一個人ではなく、「○○」という劣位のカテゴリーと同一視される。 支援のそぶりを見せていた人間が、物の差別主義者に豹変する。 ひどい猥談をしているモテ男。 その横で、思い詰めたセ

    Freezing Point - カテゴリー差別と嫌悪感
  •  人間関係の政治 - Freezing Point

    ずいぶん前の話。 知人の大学院生 B が、「大学院の先輩 A を紹介したいのだが、興味はないか」という。 お二人とも私よりずっと年下だが、「A さんは、大学の外とつながりたがっている。フリーでひきこもりに取り組んでいる上山さんをぜひ紹介したい」とのこと。 快諾し、日時と場所を設定してもらった。 当日、彼らの所属する大学の正門前で待ち合わせたのだが、指定された時刻を30分過ぎても A が現れない。 ほぼ時刻どおりに来ていた B は申し訳なさそうにして、「研究室にいるはずだから、様子を見にいってきます」という。 それから30分たっても、誰も来ない。 B の携帯に電話してもつながらない。 途方に暮れたが、何かあったのかと思い、そのまま正門前で待ち続けた。 2時間近くたって、ようやく B から電話。 ただならぬ雰囲気で、「もうすぐ行きます」という。 さらに30分以上が過ぎ、B だけが憔悴して現れた

     人間関係の政治 - Freezing Point
  • 2007-09-14

    町山智浩さんの評を見て期待してたんだけど、がっかり。 【以下、ネタバレ注意】 続きを読む

    2007-09-14
    TZK
    TZK 2007/09/16
  • 2007-08-30

    「実存のもんだいと制度の問題は分けなければならない」とよく言われる(宮台真司)。 私はその上で、「個人の主体化のありかた」が硬直していたり不自由だったりすることを問題化したくて、《制度》という言葉にこだわっている。そういう文脈として、以下の引用を記しておく(強調は引用者)。 三脇康生 「日の現代美術批評とアンチ・オイディプス」*1より 「絵画とは institution に関する事柄である。制度といってもいいのだが、このことばには具体的な、あるいは実体的なニュアンスがある。しかし、社会学の用語としての institution が指すのは、単に具体的、実体的なものだけに限られるのではない。それは、特定の社会の成員の行動のみならず、思考様式が感情のパターンまでをも有形無形に規制する社会的なシステムである。たとえば習慣がそうであり、未開社会のトーテミズムや神話もそうである。」(『宮川淳 著作集

    2007-08-30
  • Freezing Point - 外部社会による制度的排除と、実存の制度

    欲望のあり方が、制度や「多数派」に決められてしまう。労働や力関係に巻き込まれることは、欲望の制度に順応すること*1。正しく欲望しなければ逸脱する。(運動には運動の欲望の制度がある。) ただし、そのような環境を不愉快に思っている自分自身が、つねにすでに一定の欲望の制度を生きている(すべての制度的欲望から逸脱するという仕方であっても)。完全にひきこもっていても、その強固な状態を成り立たせる実存の制度を生きている。自らの実存の制度が動かないことで、自分と家族を苦しめる。 実存の制度を動かすことができず、周囲の欲望の制度に合流することもできない。 社会参加に成功している者は、自分の実存の制度が、外側の制度のなかで居場所を持ち得た。だから、理不尽であってもその外側の制度を必要とする。▼環境から逸脱したスタイルで欲望制度が固定してしまった者は、そのままでは生きていられない。なんらかのかたちで合流を整備

    Freezing Point - 外部社会による制度的排除と、実存の制度
  • 2007-06-17

    ひきこもりの話を、「交渉能力の低さ」として考えるようになって、いくつか検討の方針がはっきりしてきたように思う。今の時点でのメモをしてみる。 病気でも障害でもなく、役割理論的に位置づけにくいが(斎藤環)、社会生活を営むための「交渉能力」が低く(理由は複合的*1)、不可避的に家にいる状態。統合失調症に見られるような「精神の質的異常」はないが、量的に能力が足らないために、社会的に disability*2の状態にある。 ▼個人の交渉能力が極端に低いために、単に労働問題に解消することもできない。 「交渉能力の低さ」については、社会参加を継続している人との間に質的切断があるわけではない。だから線引きして差別化するというよりはグラデーションで考えるしかないし、「どのように支援するのか」については、交渉関係において「大目に見てあげる」の程度問題で考えるしかない。それは線引きによる差別化ではないから、秒単

    2007-06-17
  • Freezing Point:ジャック・パン(Jacques Pain)氏 講演会

    聴衆として参加した。 演題: 「校内暴力と制度主義教育論」 日時: 2006年8月1日 午後2時〜4時 場所: 京都大学人間・環境学研究科棟 地下大講義室 企画: 岡田敬司氏 同時通訳: 多賀茂氏 パン氏は校内暴力の専門家。 『精神の管理社会をどう超えるか?』*1で紹介された「制度論的精神療法」と、「制度論的教育学」とはまったく同じものであるとのこと*2。 ヨーロッパ全土で、生徒が「学ぶ」という欲求を失っている。 フランスでも、学生の「3人に一人は退屈を感じ、5人に一人は授業を理解できない」。 ▼「子供たちの、知への拒否」、あるいは「入り込めなくなっている事情」がある。 これを変える必要がある。 「学ぶ」「教える」とは複雑なプロセスであって、策略が必要。 精神分析の助けが要る。 ヨーロッパでは、先生が疲弊している。 1時間の授業で、10分しか授業できなかったりする。 講演の最後は、「注意し

    Freezing Point:ジャック・パン(Jacques Pain)氏 講演会
  • 2006-06-16

    先日文字起こしした『太田光の私が総理大臣になったら』、「ニート対策禁止法案」について、いくつかメモを記してみます。 ▼今回の番組は、今後の勉強についての火種を得たということなのだと思います。 今回の文字起こしについて、有志の方々より、計181ポイントの投げ銭(はてなブックマークポイント)をいただきました。 これは当blog始まって以来の金額です(投げ銭自体が2回目)。 ありがとうございました。 id:rahoraho(斎藤智成)氏による、「働いたら負け」「働いてる人をバカな奴だと思ってる」という発言は、直接的な帰属や交換関係を持たない人たちが相手だからこそ言えること。 rahoraho氏といえど、「せどり」*1の交渉相手にはごく常識的な礼儀を尽くすだろうし、相手の希望を満たすために、相応の努力(労働)もなさっていると思う。 つまり rahoraho氏は、「直接的な利害関係のない人たちとは、

    2006-06-16
  • 2006-06-11

    6月9日、日テレ系『太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中』、「ニート対策を一切禁止する法案」を観た。 ▼録画から、大まかに文字起こししてみる。(視聴後の感想などについてはまた後ほどエントリー予定) 【聞き取りにくいところもあったため、誤りもあると思います。 お気づきのかたはぜひご指摘ください。 ▼出演者のお名前等については、順不同、敬称略とさせていただきます。】 【6月24日追記: 以下、かなり逐語的な文字起こしをしていたのですが、TV局側に著作権について問い合わせたところ、「権利侵害があるので、対応してほしい」旨のご指摘を頂きました(大意)。 最初の掲載時に比べ、大幅に削除しております。 ご容赦ください。】 この法案が提出される背景などが、まずVTRで説明される。 ナレーション*1: NEETとは、「Not in Employment, Education, or Training」

    2006-06-11
  • 報道特捜プロジェクト・ニート特集、ご本人がYouTubeにアップ - Freezing Point

    気になったところをメモ。 取材を受けられた鈴木氏(id:rahoraho)は「家族に迷惑をかけても構わない」というが、それはご家族との交渉関係において言うべきことで、TV出演者(視聴者)に向けて言っても、いたずらに反感を買うことにしかならない。 ▼人が「この状態で構わない」と思っていても、ご家族は「許せない」「無理だ」と思っているかも知れない。 生活を直接支えている当事者であるご家族を飛び越え、鈴木氏とTV出演者(視聴者)が直接やり合ってしまっているが、文句をつけたり肯定したりする権限や能力は、まずもってご家族にあるはず。 逆に言えば、ご家族との交渉・契約関係が成立しているのであれば、単に一方的に「迷惑をかけている」のとは別の話になる。 深刻な引きこもり状態については、アイメンタルの事件や両親殺害事件もあり、「難しい問題」という世間的認知が広まりつつあるが、ようやく元気になってくると、こ

    報道特捜プロジェクト・ニート特集、ご本人がYouTubeにアップ - Freezing Point
  • Freezing Point 「働こうと思えば働ける」という制度的環境整備と、「働かなくても蔑視されない」という規範的環境整備

    これは、以前当blogで扱った「何度脱落しても、自由に再復帰できる社会」*1というモチーフを、教育との関係で図式化したものだと思う。 ▼正規雇用と非正規雇用の「移動障壁の撤廃」という面からも、新卒以外の採用を含む「年齢差別の撤廃」という面からも、ぜひ支持したい。 気になるのは、以下のような諸点。【批判というよりはジレンマ】 *1:タイトル案も募集しました。が、決めるにいたらず・・・ 「教育の職業的意義」(田由紀氏)を高め、制度的排除の撤廃へ向けた合理的努力を推進することは、ぜひとも必要だ。しかしそれは同時に、「職業的に社会参加すべきである」という規範のための環境を整備することでもある。▼たとえば「男女共同参画社会」は、それ自体として素晴らしいしぜひ推進すべきだと思うが、同時にそれは、「女でさえ働く時代に、男のくせに働いていない」という蔑視をも強め得る。「誰もが参加できる環境を作る」ことは

    Freezing Point 「働こうと思えば働ける」という制度的環境整備と、「働かなくても蔑視されない」という規範的環境整備
    TZK
    TZK 2006/02/22
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