「永井豪ってあんなに凄かったのに、もう漫画家として枯渇してしまったのだろうか?」 という思いを強くしたのはいつ頃からだっただろうか。 少なくとも90年代に入ったあたりには、私の中での永井豪は 「版権管理とメディアミックスプロデュース能力には優れているけれど、かつての独創性と勢いを失ってしまった、枯れつつある作家」 という認識になっていた。 さらに90年代中盤には、松本零士や水島新司など、かつてこよなく愛した漫画家たちが「正直蛇足でしかない続編・スピンオフ作品で自らの名作を陵辱し、"老害"の代表として認識される」という有難くない状況に対面することとなった。これまたとても寂しいことではあったが、一方で、 「永井豪の"枯れ方"と、両御大のような"老害"とは何かが違う」 とも感じていた。 「老害」な人達は、「もう頼むからやめてください」と周囲が懇願したくなるほどの、はた迷惑な「勢い」「明後日のベク
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