EVERYBODY'S TALKIN'/噂の音楽四方山話60年代~70年代の洋邦楽、ジャズ、クラシックの個人的に好きな曲のみをご紹介いたします。また自分のライブハウスでの弾き語りなどの情報、その他の趣味なども。
ワッツ・タワー ワッツ・タワー細部 サイモン・ロディア(Simon Rodia、本名サバト・ロディア Sabato Rodia、知人からはたんに「サム」と呼ばれた。1879年2月12日 - 1965年7月16日)はイタリアからアメリカ合衆国に移民し、人生のほとんどをカリフォルニア州ロサンゼルスで過ごした人物。彼はロサンゼルスのスラム街、ワッツ地区(英語版)で暮らし、「ワッツ・タワー(英語版)」と呼ばれる高層建築を自力で作り上げたことで知られる。 人物[編集] ナポリ付近にあるセリーノの町で生まれた[1]ロディアは15歳の頃、ペンシルベニア州に住む兄を頼ってアメリカへ移民した。兄が鉱山事故で死んで以降、一人になったロディアは西海岸へ移り、シアトルやオークランドなどを転々として鉱山や工事現場で現場労働者として働いた。その後1920年からはワッツで日雇いの左官として働いていたが[2]、1921年
レディー・ガガが、故ジョン・レノンの思い出の品である白いグランド・ピアノを弾く写真がネットに掲載されたことでレノン・ファンからヒンシュクをかっている。しかしながら、この写真をTwitterに掲載したのはレノンの息子ショーン。彼は思わぬ反応に憤慨している。 ◆レディー・ガガとピアノ写真 ショーンはあまりの反響に写真を削除したものの、代わりにガガを擁護するコメントを掲載した。「ピアノは弾くべきものだ。なんで、みんなそう神経質なんだ? どうすべきだっていうんだ。ホコリだらけの部屋にしまい込んでおけとも? 批判的すぎる」「頼むよ、そうムキになるなって…。人生は短いんだ。世界にはほかに深刻な問題がいっぱいあるだろう…」「まず第一に、あのピアノは父が誕生日に母へ贈ったものだ。第二に、彼は君らのように神経質じゃなかった」 写真はいまでも別サイトで見ることができるが、下着姿のような格好で、レノン・ファンに
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ポール・マッカートニーのツアー・バスが、メキシコで暴漢の一団に襲撃されたそうだ。ポール・マッカートニー本人も車内にいたが、幸いなことに誰も怪我は負っていない。 バスはメキシコ市内を走行中、若者のグループに停まるよう強制されたという。関係者は英『Daily Mirror』紙にこう話している。「ボディーガードたちは最初、ファンの一団かと思ったんだ。でも、バスによじ登り始めてすぐに状況が変わった」 一味はバスの上で飛んだり跳ねたりし始めたともいわれる。 警備員たちは直ちに警察へ通報。パトカーの音を聞いて、暴漢は逃げ去ったというが「ポールたちはひどく怖い思いをしていた」という。 ポール・マッカートニーは金曜日(5月28日)、メキシコ・シティのフォロ・ソル・スタジアムで公演。事件はその後の移動中に起きた。 彼は同スタジアムにて2夜連続(5月27/28日)でパフォーマンスしたが、金曜日の公演の模様は市
敬愛するビートルズの伝記映画に参加Photo:Rex Features/アフロ [映画.com ニュース] 英人気バンド、オアシスの元フロントマンのリアム・ギャラガーが、解散直前のビートルズを描く伝記映画のプロデュースを手がけることが分かった。 同作は、ビートルズが設立したレコードレーベル「アップル」のスタッフだったリチャード・ディレロが1972年に発表した回想録「The Longest Cocktail Party(邦題:ビートルズ神話を剥ぐ)」を映画化するもの。60年代後半から70年の解散にいたるまでのバンドの舞台裏を綴った作品で、米ハリウッド・レポーター誌によれば、現在ギャラガーが同著の権利を所有しているという。ギャラガーは、ビートルズやジョン・レノンを敬愛していることで知られる。 ギャラガーとともに製作を手がけるのは、マイケル・ウィンターボトム監督とプロデューサーのアンドリュー・イ
AT THE HOLLYWOOD BOWL / THE BEATLES スーパー・ライヴ! (アット・ザ・ハリウッド・ボウル) / ザ・ビートルズ 未だCD化ならず、ビートルズ1964、65年のライヴ・アルバム。 荒っぽいパワフルな演奏がやけにカッコイーのだ! オススメ度:★★★★★ ビートルズが解散した後に発売された ロサンジェルスのハリウッド・ボウルで行われたライヴを収録したアルバム。 すごい歓声、...というか悲鳴。 これがビートルズのライヴ、なんてったって邦題「スーパー・ライヴ!」である。 そりゃぁ叫びたくなるわなぁ、これだけカッコよけりゃぁ。 このアルバムのライヴは、 ロサンジェルスのハリウッド・ボウルで行われたもの。 1964年8月23日と1965年8月30日の2回のステージからの曲が選ばれている。 収録曲順はランダムに並んでいるけれど、ステージ構成を意識したような流れ。 そし
最近はちょっと変わって来たみたいですが、少なくとも前世紀までの日本で、特にフュージョン,ヘヴィメタ系のアマチュアドラマー達からの、リンゴの評価は非常に低かったですね。 まあ、僕もリンゴを『超人ドラマー列伝』に加えようとまでは思いませんが、「ビートルズのリンゴ? ヘタでしょ」と、あまりに簡単に言う人が多くて、かなり悲しかったです。 でも、どうも僕には、リンゴ・スターを「ヘタ」だと言っている人達は、以下のような事実を知らずに、「イメージだけ」で語っている無責任な人が多いような気がするんですよねぇ…。 ※リンゴのドラミングの特徴や魅力に関しては、『ビートルズのドラム疑惑について』で書きましたので、ここでは<日本ではドラマーとしてのリンゴの評価が低すぎる>という点に焦点をあてる事にしました。 少なくとも、「194BPMのシャッフルを、歌いながら楽々と、約2分半(129小節)ノンストップで叩き続けら
僕が、The Beatles 以前の音楽-----つまり 50s 迄の音楽-----で大切にしているもの...... 生々しいプリ・ウォー・ブルースやシカゴ・ブルースも大好きだし、Bo Diddley や Chuck Berry なんかの Rock 'n' Roll や、Elvis Presley を筆頭にした Sun Records の音も大好きだし...... 銀河の果てまで飛んでいきそうな位甘美な Doo-Wop のハーモニーも捨て難いし、グラニュー糖でコーティングされた核弾頭のような Phil Spector の "Wall Of Sounds" にも後ろ髪を引かれる...... 勿論、50s の 黄金時代の New Orleans R&B よりワクワクさせられる音楽もないだろうし...... でも......一番大好きな、そして一番影響された音楽は......多分、彼(↓)なんだ
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