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中世と軍事に関するamanoiwatoのブックマーク (2)

  • 【悲報】 鎌倉武士団、モンゴルより鬼畜だった:カオスちゃんねる

    2022年08月04日22:00 【悲報】 鎌倉武士団、モンゴルより鬼畜だった 過去のおすすめ記事の再掲です 1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/11/05(木) 08:01:09.83 ID:9V5u6vqf0.net 元寇の鎌倉武士団打線(最新の研究) 1(中) 壱岐対馬は最初から見殺して相手の戦法を見極めてた 2(二) 既に出兵5か月前に出兵の時期を想定し鎌倉武士団を大宰府に展開してた 3(一) 相手が人質を楯にして攻めてきても関係なく矢を射かけまくってた 4(三) 2度目は30キロの防塁を沿岸に、20キロの空堀を博多の南に、10キロの水堀を大宰府に築いていた 5(遊) 博多が略奪されてるのは目に見えてるので、敵が来る三日前に博多を略奪しつくしてた(鎌倉武士団が) 6(右) 2度目の時はモンゴルに倣って人質を楯にして攻撃してた 7(左) てつはうにあんまり動じずそのまんま

    【悲報】 鎌倉武士団、モンゴルより鬼畜だった:カオスちゃんねる
    amanoiwato
    amanoiwato 2015/11/05
    こんな世界に生きていたら宗教に縋りたくもなるよね…しかし、その宗教勢力が武士団に輪を掛けてタチが悪かったりするのもこの時代。
  • 中世の騎士の戦いはこうだった!!フランス国立クリュニー中世美術館が再現した15世紀の戦い方が面白い!! | コモンポスト

    戦国時代の日では、武士たちが刀や槍で斬り合っていましたが、同時代のヨーロッパの騎士たちはどのように戦っていたのでしょうか。 今回は、フランス国立クリュニー中世美術館が再現した「15世紀の騎士たちの戦い方」をご紹介します。 15世紀のフランスでは、技術の発達によって騎士たちが重装化していきました。 これは、鐙の登場によって馬を扱うようになったため戦闘の主役が重装騎兵へと移り変わり、それに伴って騎士階級が誕生。装備も全身を甲冑で覆うスタイルへと変貌しました。 しかし重装備になったものの、騎士たちは身軽に動けたようです。当時を再現した装備を身に着けて動き回っていますが、関節が上手く動くように工夫が凝らされているため非常に自然な動きが実現できています。どんな体勢からでも起き上がったりジャンプすることもでき、激しい取っ組み合いをすることさえ可能です。 剣で斬っても鎧で防がれてしまうため、騎士たちは

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