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創作と書評に関するamanoiwatoのブックマーク (4)

  • くたばれネット評論家。 - Something Orange

    藤子不二雄の名作『エスパー魔美』に、芸術と批評の関係を扱った「くたばれ評論家」という有名なエピソードがある。 主人公、魔美の父親は画家なのだが、あるとき、某評論家から手ひどい批判を受け、怒る。その姿を目にした魔美は超能力を使ってその評論家にいたずらするのだが、父は喜ぶかと思いきや、諄々と魔美を諭すのだった。 「公表された作品については、みる人ぜんぶが自由に批評する権利をもつ。どんなにこきおろされても、さまたげることはできないんだ。それがいやなら、だれにもみせないことだ」 魔美が、でも、さっきは怒っていた癖に、というと、父はこう答える。 「剣鋭介に批評の権利があれば、ぼくにだっておこる権利がある!! あいつはけなした! ぼくはおこった! それでこの一件はおしまい!!」 芸術家の矜持を見事に描き出した名エピソードである。であるのだが、もしかしたら既に通用しなくなっている考え方かもしれない、とも

    くたばれネット評論家。 - Something Orange
  • 追悼・栗本薫の馬鹿が死んだ

    その後の追悼・ほんとうのさようなら/栗薫 (記・09.05.30) 浜名湖うなぎさんと栗薫 中島梓・追悼ファンブックを刊行しています。 新刊は栗薫とJUNE。(11.07.03)。通販サイトはこちら。 胸くそわりぃ。 栗薫がついに死にくさりやがったってんで、追悼がわりに生前に絶賛していたコンビーブごはん、作ったんだが、胸焼けするくそまずさ。最悪だ。 米三合にコンビーフ三缶、バター、コンソメ、塩コショウで炊き込むって、馬鹿じゃなかろうか。三缶きちんと入れたのかって、入れるわけねーだろ。一缶入れた段階で、釜の中は阿鼻叫喚、見た目ほとんどゲロ。ふざけんなっての、俺を殺す気か。 色々と見なかったことにして炊き込んでみたが、台所に立ち込めるこのいやな脂の匂い。仕上がり釜を見て笑ったね。なんだよ、これ。全てが赤黒いでやんの。 飯は脂を吸ってくっさいは、残った赤肉はパッサパサで見た目は糸ミミズの

  • 作家を、プロデュース「小説作法ABC」

    小説を書く基技術がひととおり。 新米作家の教則として読んでもいいし、深い読書への手引書として扱ってもいい。「小説は、Why? とBecauseで推進される」とか、「読書の快楽は予定調和とドンデン返し」といった基礎だけでなく、「同じ村上でも、春樹は回想、龍は実況」や、「谷崎は変態、三島は売れない俳優」といった、著者の文学観をも垣間見ることができる。 なかなか実践的なのは、各章のおしまいに「練習問題」がついているところ。たとえば、既読の小説のあらすじを100字にまとめろという。要約することで、いわゆる「読ませどころ」へ向かわせる物語の軌跡が見えてくるんだと。さらに、要約した小説の帯コピーを50字でまとめろという。キャッチコピーを考えることで、その小説の「最大の売りどころ」を見抜けという。要は「目玉」やね。おもしろそうだとそのとき感じた作品を漫然と読んできたわたしにとって、いい刺激になる。

    作家を、プロデュース「小説作法ABC」
  • 小説家のバイブル「小説の技巧」

    小説は自由だ。何をどう読もうと勝手だ。 けれども、小説から快楽を得ようとするなら、その技巧を知ることは有意義だ。前立腺やGスポットの場所を知らなくてもセックスは可能だが、より快楽に貪欲になるのなら、知っておいて損はないのと一緒(訳者の柴田元幸はもっと上品に、「ショートカットキー」に喩えてた)。「ヤってるうち自然と身につく」という奴には、「愚者は経験に学ぶ」という箴言を渡す。快は無限だが、生は有限。読める数は限られている。 同時に、小説書きにとってはバイブル級。読者を快楽の絶頂へ導く手引きが解説されているのだから。プロットやキャラといったハウツーを超え、マジック・リアリズムや異化、多声性、メタフィクションといった質的なレベルで語られる。しかもサリンジャーやナボコフ、ジョイスといった練達者のテクストが俎上乗っている。心してかかれ。 ただし、いそいで付け加えなければならないのは、「知る」ことと

    小説家のバイブル「小説の技巧」
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