王(しょうおう/じょうおう[注釈 1]、生年不詳 - 延元3年/暦応元年(1338年)6月)は、鎌倉時代末期から南北朝時代初期にかけての皇族・公卿。官位は正三位・弾正尹。弾正尹宮とも号した。出自を巡っては諸説ある。 「ショウ王」という諱で記載される資料としては、『公卿補任』のみであり、以下の経歴が記録されている。 雅明親王の曾孫(世代的に合わないため、誤記と思われる)。 元弘3年(1333年) 5月24日、無位無官から従三位に叙される。 同年6月12日、任弾正尹。 同年8月5日、兼治部卿。 建武元年(1334年)12月17日、卿を解任される。 建武2年(1335年)正月5日、正三位に昇叙される。 延元3年(1338年) 6月、吉野にて薨去。 ショウ王の出自を巡っては、複数の学説がある。 尾崎宮と同一人物であるとする説 従来の有力説では、公卿補任の「雅明親王」を「惟明親王」の誤写とみなし、『