僕は割りとイメージというものをすごいもんだと思っていて、僕は貴方の考えることはわからないんだけど僕と貴方が同じイメージを持つことくらいは可能なんじゃないかと思っている。十人十色に八百万の人がいて、それらすべてに前倣えをさせる万能なイメージはないけれども、僕と貴方を滑らかにする程度のイメージくらいならなんぼでもどうにでも捏ね繰り回して捏造することができるんじゃないかと思っている。それをペイフォワードと呼ぶ人もいる。 例えばそこに「辛い」とか「もうだめだ」という感情があって、それはそうなんだろうと思う。「それ如き何だ」と言っても仕方ないのだと思う。「辛み」という何かがあって、それが少しでも溢れてしまえばそれは「もうだめだ」となるのであって、「俺はその程度の辛み注がれたってヘッチャラだぜ」と器がでかい人のふりをして何かを言ってみても仕方ないんだろうなと思う。「溢れている」というのはそういうことな