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2017年4月3日のブックマーク (2件)

  • 読書ブログの難しさ - めちゃくちゃブックス

    このブログは比較的「いい加減にやる」という方針だったので、これまで書く気が起きない時は一ヶ月以上も放置したり、更新ペースもバラバラであった。 しかし、先月あたりから妙にペースが上がって、読書欲も高まってきた。 すると今度は読了済の、感想を書くべきが溜まってきて、精神的な宿題のようで面倒くさい。意外と読書系のブログというものは難しいものだなと今頃になって気がついたので、幾つか難しい点を挙げてみたい。 1.良い、好きなほど書きづらい これは良い!これは好き!と言いたいがあったとしても、万人に勧めたいとまでは思っていないので、「大絶賛!」という風には書けない。 「こののこういう点を嫌いな人もいるでしょうね」といった言い訳めいた文章をチラチラ意識したりして、それを書いたり書かなかったり、うじうじ悩んだりして、そういう自分がまた面倒くさくなってくる。 2.特に何とも思わないがある 「読ん

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  • 剣道と銃剣道どっちが強いのか大正時代に試してる奴らがいた - 山下泰平の趣味の方法

    子供に銃剣道と剣道のどっちを教えるのか迷ってる人たちが大量にいるんだけど、強い方を教えたほうが良いに決ってる。男だったら誰だってそう思う。女だってそう思うはずだし、大正時代の奴らもそう思ってる。そんなわけで大正14年に銃剣道vs剣道の試合が開催されたのであった。 銃剣道は比較的早い時期に陸軍で採用されていたものの、従来の剣術や槍術の応用に過ぎないとされ、一段低く見られてしまう傾向があった。というわけで大日武徳会も、銃剣道に教士範士の称号を与えることが長くなかった。陸軍当局の働きかけによって、大正13年にようやく教士の称号が与えられることになる。 しかしながら銃剣道と剣道が勝負をしたら、剣道が勝つだろといった風潮がまだまだ存在している。銃剣道の人らがイライラしていたところ、大正14年に全国剣道大会が開催されることとなった。 銃剣道から教士が出てから初の試合である。ここで勝てば銃剣道の真価を

    剣道と銃剣道どっちが強いのか大正時代に試してる奴らがいた - 山下泰平の趣味の方法