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家族に関するami-go40のブックマーク (9)

  • 母親が知的障害者だった

    10歳のときに両親が離婚し、母方に引き取られた。 以来、就職まで、祖父(人間のクズを煮詰めたようなDVセクハラジジイ)、祖母、母、きょうだい1人、私の5人で暮らしていた。 私の母親は、昔から「何か他の家のお母さんとは違う」と思っていた。 私が小さい頃、私の素行を注意した老夫婦に「うるせえジジババが」と言い返したり、中学生の時の塾の進路相談(祖父はクズだが金だけはあって塾に行けたのは幸運だった)を、ろくに話もしないで終えてしまい先生を困らせたり、騒がしい近所の家に対し抗議の意として化粧品の瓶を投げ込んだり。 DVを働く祖父に対して「クソジジイ」などと罵り、事態を悪化させるのも困りものだった。 一番印象的だったのは、私が高校生の時の出来事。 当時はまだガラケーの世で、月額315円の占いサイトとかそういう有料サービスがたくさんあった。母親は知らないうちにそれらに多数登録してしまい、解約方法が分か

    母親が知的障害者だった
    ami-go40
    ami-go40 2023/05/02
    "人間のクズを煮詰めたような"
  • [ま]子どもとの距離感つかめず今夜は月がきれい @kun_maa - [ま]ぷるんにー!(พรุ่งนี้)

    スポンサーリンク 昨年の春に地方の国立大学に通うことになって独り暮らしを始めた次男が家に帰ってきた。 年末年始にはバイトがあるからと言って帰ってこなかったので昨年の夏以来だろうか。 次男は繊細な性格で潔癖で神経質なところがある上に幼い頃の大事な時期に僕の身勝手で僕が家にいなかったりしたこともあって高校生になった頃から彼とはあまりうまくいってなかった。 たぶんそんなこともあって彼は早く家を出たいと言い出して大学受験は地方の国公立大学しか受験しなかったのだと思っている。 まあそんなことも面と向かって聞いたことはないのだけど。 すべては身から出た錆だと自覚して金は出すけど口は出さないってスタンスを貫いて彼が家を出て独り暮らしを始めるときも淡々と見送ったものだった。 kun-maa.hateblo.jp kun-maa.hateblo.jp 年末年始に帰ってこないと聞いたときもまあそんなものだろう

    [ま]子どもとの距離感つかめず今夜は月がきれい @kun_maa - [ま]ぷるんにー!(พรุ่งนี้)
    ami-go40
    ami-go40 2019/02/20
    二人きりになるとなんだか気まずくてそわそわしてしまうというなんなんだよまったく状態/先日父が亡くなったのを知ってふらっと帰ってきたがほぼ同じ状態だった。親子がTVに向かって何やらブツブツ言ってた
  • 親父と渋柿の話

    毎年この時期になると、親父は普段飲んでいる日酒と一緒に焼酎を買ってくる。 庭になる柿の実の渋抜きをするためだ。 仕事一筋だった親父だが、昔から柿の渋抜きは一度も欠かしたことがない。 日頃は家族から飲酒を咎められるからか、酒だって時には役に立つんだと言わんばかりに、得意になって柿の実を焼酎に浸す。 定年後は更に渋抜きに凝り始め、焼酎の種類や容器の深さを変えて色々な方法を試している。透明な焼酎に沈む鮮やかな柿の実は芸術的ですらある。 子供の頃は甘い柿がべられるだけで嬉しかったが、今となっては無趣味な親父が何かに夢中になる姿が微笑ましい。 そんな親父が昨年入院した。幸い大きな病気ではなかったが、ちょうど柿の実が赤くなる頃だった。 ベッドでテレビを見る親父が何だか寂しそうで、その年は代わりに柿の実を採って渋抜きをすることにした。 30個ほどの柿の実と焼酎。親父のように上手くできるだろうか。親父

    親父と渋柿の話
  • 家族で父を見殺しにした

    21歳。忘れてしまう前に、死んでから2年少し経つ父の話をさせてくれ。 家は二代続いていた自営業で、祖父が亡くなった時に父はサラリーマンをやめ、三代目になったそうだ。 昔はけっこう上手くいってたんだって。儲かって儲かって仕方がなくて、お金を入れてた地元の信用金庫の人からは未だに感謝されてるぐらいだ。儲かったお金は祖父が連帯保証人になってた親戚のせいで吹っ飛んだので俺におこぼれがくることはなかったがな! でも俺が7才ぐらいのときかな、事業は上手くいかなくなってしまった。石油が値上がりしてな。夫婦仲は最悪になり、毎日喧嘩が聞こえてくるリビングと自室が離れていることが唯一の救いだった。すべてが最悪になってしまい、父は家を避けるように日中仕事場にこもり、帰るなりビールを煽る。高校生のときには家族が見てないところで酔った勢いで殴られてたので父のことは大嫌いだった。縋るように手を出した新事業も失敗。もと

    家族で父を見殺しにした
  • 「そんなことをしたら、子どもがいじめられるかもしれない」 - いつか電池がきれるまで

    www.sugatareiji.com みんな大嫌い、叩くとブックマークが集まるイケダハヤトさん。 僕も正直、ファンってわけではないし、社畜的人生をおくっている人間としては、読んでみてイラッとすることも少なくありません。 でもね、冒頭のブログのこの部分だけは、どうしても受け入れられなかった。 だって名出して戦うんでしょ? 自分は炎上したって悪口言われたっていいけどさ、家族はどうすんのさ。 学校でいじめられたらとか考えちゃうよ、僕は。 子供に親のせいで迷惑をかけるなんてことはしたくないよ。 僕の父緒は医者でした。 子どもの頃、周囲からずっと、「お父さんはお医者さんだからねえ」とか「じゃあ、あなたも医者にならなきゃね」とか言われるのが、ものすごくイヤだった。 テストで多少良い点をとっても「お医者さんの子どもだからねえ」なんて言われて、すごく悲しかった。 いやいやいや、テストで良い点数がとれた

    「そんなことをしたら、子どもがいじめられるかもしれない」 - いつか電池がきれるまで
    ami-go40
    ami-go40 2016/02/07
    一茂だっていじめられたな・・イケハヤに限らず、”嫌いで、言っていることが間違っていると思うのなら、本人の矛盾を指摘すればいい。子どもを人質に取らないでくれ。”父親がどんな仕事をしててもね。
  • Still Alive - 90億の神の御名

    サタデーナイトフィーバーはStayin' alive。 それは「生きている」ことと「まだ生きている」ことの違いなのかしら、どうかしら。 昔、家に画集が2冊だけあった。多分父が廃品回収あたりで拾ってきたのだ。1冊は竹久夢二。もう1冊は東山魁夷。廃品回収に出されるくらいなので、よくある安っぽい肌色の表紙のついたぺらぺらの画集だった。 竹久夢二のは物憂げな顔をした女の裸がどーんと描いてあるので、ドキドキしながらそっと眺めた。東山魁夷の絵は、多分、「私の窓」という作品とその他何枚かのガラス瓶を描いた絵だった思う。ガラスって絵に描くことができるのか、となんだか驚いて、それからこの画家が生きているということにもっと驚いた。画家や音楽家なんてものはみんな死んでいるものだと思っていた。 この人は今も生きているのかと思いながら立膝をついて、膝に顎をのせて、他に見るものがないからずっと画集を見ていた。あの薄暗

    Still Alive - 90億の神の御名
  • マザコンとバカにされても構わない。 - Everything you've ever Dreamed

    一匹狼といえば聞こえがいいが、ただの部下無しのひとり営業課長なので比較的自由に行動が出来る。その自由を活かして営業活動中、時間が空いたとき、折を見て実家の様子を覗きに行っている。僕のマンションから車で30分もかからないところにある実家で70才になる母親はひとり暮らしをしている。超高齢化社会を迎えているせいか、最近、一人暮らしのお年寄りを狙った犯罪のニュースを見かけるようになった。そんなニュースを見るたびに僕は不安でたまらなくなる。母親は、幸いなことに持病もなく健康だが年齢も年齢、万が一が今日明日にでもやってくるかもしれない。僕がたびたび実家に立ち寄るようにしているのは母親が心配だからであり、自分の不安を緩和するためでもある。 四六時中見守ることは不可能なので、万が一のときや不測の事態には間に合わないだろうことはわかっている。警備会社と契約もしているけど万全ではないだろう。この世界に完璧なも

    マザコンとバカにされても構わない。 - Everything you've ever Dreamed
    ami-go40
    ami-go40 2015/01/10
    「憎まれ口を叩くだけ叩いたあと、母親が僕の出庫を見守るようになったのだ。」
  • 夜6時に家族で食卓を囲めないのは何も仕事がブラックだからとは限らない - novtanの日常

    夜6時に家族みんなで夕を囲める国に - 太陽のまちから - 朝日新聞デジタル&w 保坂さん別に嫌いじゃないんだけど、こういう象徴的なキーワードを使って世の中を紐解くのは昔はよかった昔にもどれ右翼とあんまり変わらんのじゃないかと思ってしまうので、なんとかして欲しい。 ということもあるので、僕の幼少期の記憶を語るとですね。 うちの父親は夜のお仕事、と言っても水商売ではなくて(大して変わらん気もするが)プロの演奏家だったわけですな。昼からゲネプロ、夜番、土日はマチネー(昼番)という生活(もちろん、人並みに休んでいるし、昔の楽隊というのはなんだかんだ言ってプレイヤーのほうが立場が強い事が多い)なので、朝起きた時には寝てるし夜寝る前に帰ってこないので、土日以外は寝姿ばかり見ていた記憶しかありません。もちろん、晩飯を全員で揃ってべる日のほうが少ない。 特にそのことを不幸だと思ったこともないし、

    夜6時に家族で食卓を囲めないのは何も仕事がブラックだからとは限らない - novtanの日常
    ami-go40
    ami-go40 2015/01/08
    「でも、夜6時に家族で食卓を囲むという象徴的な行動が世の中の指標目標であると言わんばかりの取り上げ方」
  • おかあさんの生きた痕跡は膨大すぎる。

    唯一、俺のことを心配してくれたおかあさんが死んだ。 危篤の電話があってから2時間くらいで、死亡の電話を受けた。なすすべもなかった。 おかあさんの死に目には、会えなかった。最後に、俺に言いたいことも聞けなかった。 おかあさんは、つねに裏方で尽くしてくれて、俺を叱るとか、諭すことはなかった。 自分の欲求を一切口にせず、常に家族へ黙々と尽くしてくれたおかあさん。 ごめんね、俺が手術をする判断をしなければ、今もお父さんといつも通りの生活を送っていたんだよな。 おかあさんは、俺の判断にも文句ひとつ言わず、病室で朝ドラをいつものように見て、手術室に運ばれたよね。 あの朝ドラが、おかあさんにとって、最後のテレビになったんだよね。 たぶん、続きがきになってたんだよね。テレビのカードも、あと300くらい残ってたもんね。 おかあさんは、いつも俺のことを、あんまり見なかったよね。最後になった時も。 おかあさんは

    おかあさんの生きた痕跡は膨大すぎる。
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