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ドラマに関するarcade00fire01のブックマーク (4)

  • 地形考証の厄介さ - Cask Strength

    悠久の時の流れは大地の姿を大きく変貌させる(その辺りのことは日下雅義氏『地形からみた歴史』(講談社学術文庫)等々、概説書も多い)。まさに「桑田変じて海となる」(劉希夷「代悲白頭翁」)で、今目にしている風景が何百年、何千年も変わらないままだというのはあり得ないことです。 それを頭のなかでは理解していても、たとえば目の前にある/ない山や島がほんの少し前までなかった/あった可能性を考慮して考証するというのは、感覚的になかなか困難です。 まあでも今ならCGで処理できるよね、きっと!次回以降に期待。 中国文学者の筧文生氏も面白い告白をなさっていました。 地図では、失敗したことが何度もある。その最初は、中国詩人選集二集『梅堯臣』(一九六二・八 岩波書店)に付した「梅堯臣略図」である。中学か高校の社会科の地図の中国の部分に、パラフィン紙を当てて、上からなぞったものに、梅堯臣に関係する地名を適当に書きこん

    地形考証の厄介さ - Cask Strength
  • 歴史REALWEB : 第39回「兎丸無念」を視る!

    2012年07月05日19:13 by rekishireal 第39回「兎丸無念」を視る! カテゴリ大河ドラマ『平清盛』の辛口批評 【1】さびしくなってきたなあ 今回で39回目の放映。残りが11回となると、いささかの寂しさを禁じえないところである。最初に申し上げたように、私がまともに大河ドラマを視たのは、小学校の頃の「草燃える」と「黄金の日々」以来。あの2作品は原作がしっかりしていたこともあって、子供ながらなかなか見応えがあったように思う。 思い出してみると、大学2年生のときに受けた日史史料講読の授業では、『吾鏡』が対象であった。『玉葉』その他の史料も参考にしながら、随分と勉強したものであった(?)。その代わり、出来の悪い学生だったので、これまた厳しい指導を受けて、現在に至っているわけである。しかし、恩師の指導の甲斐なく、醜態をさらけ出している点は恥ずかしいところである・・・。 閑話

  • 『● 戦後時代劇の変遷①』

    西村雄一郎のブログ 佐賀新聞連載の「シネマ・トーク」の公開(●印)と、西村雄一郎の仕事に関するお知らせの掲示板 冒頭に荒木又右衛門(三船敏郎)の大立ち回りが登場する「決闘鍵屋の辻」 最近、秘蔵のビデオをDVDに移し変える作業を行っている。その際、目を見張っているのが、1960年代前半に流行した東映の〝集団抗争時代劇〟。そこに至るまでの戦後時代劇の変遷を追ってみよう。 終戦直後は、チャンバラは見れなかった。GHQの「時代劇は封建的、仇討ちものは不許可」というお達しにより、殺陣シーンの入った時代劇は製作できなかったのだ。ところが、東映のマキノ満男専務の「もうええやないか、ちょっと2、3人斬ってみぃ」という言葉によって、「いれずみ判官」(50年)に、恐る恐る斬り合いの場面が入れられた。すると、検閲にパスした。この頃から、派手な殺陣をもった時代劇が復活したのである。 大映で「羅生門」(50年)を撮

    『● 戦後時代劇の変遷①』
  • 平家にあらずんば人にあらず - jun-jun1965の日記

    さっきの・よりんさん(配役宝典)が、「平家にあらずんば人にあらず」は『平家物語』では平時忠「此一門にあらざらむ人は皆人非人なるべし」(岩波古典文学大系、禿髪(まぶろ))なのを、現行流通形式にしたのは誰かと言っていたので調べてみた。なお『源平盛衰記』では「此一門にあらぬ者は、男も女も尼・法師も、人非人」である。古典大系の注には「仏教で八部の鬼神をいう。人間以下の階級に属する」とある。 最初は、吉川英治『新・平家物語』かなと思ったのだが違うらしい。近デジを使ってみていたら、昭和6年『少年平家物語』(豊島次郎、金蘭社)に「平の一門でない奴は、みんな非人乞だ」とあった。実はこれ、大正14年の入交総一郎編『平家物語』(金蘭社)とまったく同じであることが分かり、つまり豊島次郎=入交総一郎らしいと変な副産物が出たのだが、こう見ると、 「ははーん、『非人』はいかにもまずいので、戦後になって『人にあらず

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