1978年秋、高校一年生だった私は、『国文学解釈と鑑賞』の「作家と出発期」という特集号を買った。作家になろうと考え始めていたため、この特集が気になったのであり、その巻末におかれた、戦後作家処女作一覧など、葦編三絶するほどに開き見たものである。 そこに、柘植光彦の『現代文学試論』という、至文堂から出た本の広告があった。柘植は当時40歳、専修大助教授だった。埴谷雄高、福永武彦、大江健三郎、三島を扱い、それぞれ作品論があった。だが大江の分は「火山」論とあって、私は首をひねった。「火山」なんて作品があっただろうか。 当初私はこれを、大江の新作ではないかと考えた。何しろ高校一年生だから、自分の知らない新作があってもおかしくないと思ったのだ。だが、実際には既に講談社文庫の『万延元年のフットボール』の年譜でも見ていた、1955年、20歳の大江が書き、銀杏並木賞を受けて『学園』に発表され、のち単行本に入れ