タグ

ブックマーク / bokyakusanjin.seesaa.net (68)

  • ブックレット『文学部の逆襲』: 忘却散人ブログ

    わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 2014年3月に名古屋大学で行われた公開シンポジウム「文学部の逆襲」が、ブックレットとなって登場した。 塩村耕編『文学部の逆襲』(風媒社、2015年3月、800円)。これ、どうか書店に平積みで置いてほしい。 1 人文学の活性化のために考えておくべきこと 多田一臣 2 サンスクリット古典学からの提案 和田壽弘 3 「廃墟」としての人文学 木俣元一 いずれも、「文学部」の意味を根源的に考えたものであり、しかも面白い。文学部の学問は、メタ学問的なところがある。つまり「学ぶとは何

  • 国際シンポジウム「歴史的典籍画像の30万点Web公開と国際共同研究」: 忘却散人ブログ

    わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 〈日研究の新地平〉「歴史的典籍画像の30万点Web公開と国際共同研究」という国際シンポジウムを開催いたします。 国文学研究資料館では、『国書総目録』に掲載される約50万点の典籍のうち30万点の画像を公開するという、壮大なプロジェクトが始まっています。このプロジェクトは人文社会科学分野として初めての大規模学術フロンティア事業として位置づけられています。現在、国会図書館や早稲田大学を初めとして、古典籍の画像のWEB公開が進みつつありますが、国文研の計画はその総量が飛び抜けて

  • 大垣で「上田秋成と芭蕉」の講演: 忘却散人ブログ

    わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 日、行ってまいりました。車窓からみる米原あたりの景色はすっかり雪化粧。 大垣はそれほど雪は降らないらしく、今日はまずまずの良い天気でした。 大垣は言わずと知れた「奥の細道むすびの地」。その名の通りの、立派な記念館で「おおがき芭蕉大学」の連続講演の第3回担当者として、「上田秋成と芭蕉」についてお話しました。記念館のスタッフの方には大変お世話になりました。ありがとうございます。 芭蕉顕彰の地で、芭蕉の悪口を言ってた人のことを話すというのも、ちょっと気が引けますが、他に材料の

  • 秋成 小説史の研究: 忘却散人ブログ

    わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 高田衛先生の『秋成 小説史の研究』(ぺりかん社、2014年11月)が刊行された。 近年、秋成研究史上、不朽の業績である『上田秋成研究序説』『上田秋成年譜考説』が「定」と銘打って復刊されたのは記憶に新しい。長い間古書店で高価な値のついていた両書が、求めやすい価格で入手できるようになったことは、秋成研究にとっての慶事だった。 その一方で、高田先生は『春雨物語論』(岩波書店)を上梓される。これも春雨物語研究史上逸することのできない研究書となった。しかし秋成について書いた論文は

  • 諸国翁墳記: 忘却散人ブログ

    わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 田坂英俊氏の『諸国翁墳記―翻刻と検討』(2014年10月、慶照寺)が上梓された。 『諸国翁墳記』の「翁」とは芭蕉のこと。すなわちこのは江戸時代に編まれた芭蕉塚集成である(先の俳文学会でもこのについての発表があった)。年々、全国で少しずつ増えていく芭蕉塚を次々に記録しては出版した異色の出版物である。当然出版されるたびに少しずつ丁数が増えて行く。書に序を寄せた田中道雄先生は、各図書館にある『諸国翁墳記』を閲覧するたびに、丁数が異なるのに困惑し、どの時点で増補が停止したの

  • 学会記(日本大学大会): 忘却散人ブログ

    わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 22・23日は日大学文理学部で日近世文学会が行われた。今回の学会は、来富山大学で行われるはずだったが、会場校の世話人であった二村文人さんが急逝され、急遽事務局の日大が会場を引き受けてくださった。開始にあたって黙祷がささげられた。 きわめて短い準備期間と、事務局のお仕事も同時に行いながら、完璧に運営されたことは驚嘆に値するといってよく、そのご尽力には当に頭が下がる。心から御礼申し上げる。 12の発表は、仮名草子・徒然草受容・源氏物語画帖をめぐる堂上文壇・俳諧短冊手

  • 『日本文学』10月号: 忘却散人ブログ

    わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 学会では発表をきくだけではなく、新刊研究書のチェック、原稿や発表を頼んだり頼まれたり、また学生を紹介したりされたりなど、いろいろなことがある。 そのいろんなことのなかのひとつ。『日文学』10月号を執筆者のお一人である井上泰至さんからいただいた。井上さんの「写軍書の機能」は、近著の『近世刊行軍書論』で扱った刊行軍書に対して写軍書を扱い、その機能についていくつかの角度から述べたもの。造による権威化、蔵書されることによる権威化、当代までの系譜の歴史的位置づけ(つまり権威

  • 『新古今和歌集の新しい和歌が見つかった!』という本のこと: 忘却散人ブログ

    わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 鶴見大学が購入した古筆手鑑の中に、これまで全く知られていなかった『新古今和歌集』の新しい歌が見つかったという「事件」は、一年ほどまえ、新聞各紙で報道された。今回久保木秀夫・中川博夫両氏による、その資料の紹介と学術的な検討結果が、ブックレット風の装幀で、800円という安価で笠間書院から出版された。『新古今和歌集の新しい和歌が見つかった!』 問題の切(断簡)は、藤原隆方の和歌が記されたもの。鎌倉初期の書写で、寸法・筆跡・書式などから、これまで11葉の断簡の存在が確認されている

  • 室町連環: 忘却散人ブログ

    わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 鈴木元さんの論文集『室町連環―中世日の「知」と空間』(勉誠出版、2014年10月)。 とある選考委員会で年1回ご一緒する鈴木元さん。物静かではあるが、ラディカルであり、過激でもあると私は見ている。 その面目躍如だな、という感想が浮かんだ書。 鈴木さんは、連歌研究者ではなく「文学」研究者だなと。 根底、基層、基盤ということばがよく出てくるのはおそらく偶然ではない。 そして、地域、場、空間というものの重視。第1部は「中世関東の時空」と題される。 評するには私の力量を遙かに

  • 蒹葭堂日記勉強会: 忘却散人ブログ

    『蒹葭堂だより』14号(蒹葭堂顕彰会、2014年11月)によれば、20代の学生と社会人5人が集まって、『蒹葭堂日記』の勉強会をやっているらしい。2013年の春から、ということであるが、はじめた動機も純粋な向学心によるもので、それぞれがテーマをもって臨んでいるという。当に、素晴らしいことである。 メンバーの方が、勉強会についての所感を記されているが、その中で黒澤暁さんが、参考になる資料として、我々の科研報告書『近世上方文壇における人的交流の研究』中の、「上方文壇人的交流年表」を有用なツールとして使ってくださっていることを書かれている。このような形で利用していただいているのは、望であり、心から嬉しく思う。この場を借りて御礼申し上げる次第である。 飯倉先生、こんにちは。私は高校生なのですが、今、学校の国語の課題で何か文学作品を扱って簡単な論文の様なものを書かなければなりません。小さい頃に読ん

  • キャンベルさんの講演会で小冊子が無料配布される: 忘却散人ブログ

    わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 既報したとおり、大手前比較文化学会(大手前大学)が主催するロバート・キャンベルさんの特別講演会が近づいてきた。その講演会にちなみ、同大学図書館が、素晴らしい手作りの小冊子(B6判カラー)を作っている。来聴者には無料で配布されるという。 CDでいうところの両A面というのか、片方が「ロバート・キャンベル先生著作資料」、もう片方が、図書館司書がオススメする「震災と復興を読む」の読書案内である。 キャンベルさんの著作紹介は13ページに、編著書8、論文等25、電子データ36。それに

    arcade00fire01
    arcade00fire01 2014/11/11
    論文25本…?
  • 鹿倉秀典さんのこと: 忘却散人ブログ

    わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 近世音曲研究者の鹿倉秀典さんの訃報が今朝届きました。長く闘病されていましたが、必ず快復し、教壇に立つという希望を捨てていませんでした。その強さに私たちが励まされることもありました。 鹿倉さんが私より少しだけ年上ですが、互いにタメ口で話してました。パソコン通信時代からの付き合いでした。その時は「□ら拝」。つまり「□(しかく)ら拝」と署名してました。その時はやっていたのかな、鹿倉さん作の回文で「浦和は田舎と家内は笑う」というのがあって、あんまり傑作なので今でも覚えています。

  • 近代文学研究者も「くずし字」は読めなければなりませんね: 忘却散人ブログ

    わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 天理図書館で、開館84周年記念展の「手紙」が開催されている。 ありがたいことに観覧する前に図録を入手できた。 京博の秋成展で天理図書館に出品をお願いしたご縁などがありまして。 藤原定家、後花園天皇、伊達政宗、西鶴、芭蕉、蕪村、宣長、秋成、馬琴と、ほかにもまだまだ有名な人物の自筆の手紙が並ぶ。 近代も壮観で、鴎外、漱石、子規、一応、啄木、谷崎 熊楠、蘆花…。 これは見に行きたい。 見逃したら、来年の春に東京で多分やってくれるだろうけど。天理ギャラリーで。 で、この近代の人た

  • 古典注釈入門: 忘却散人ブログ

    わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 鈴木健一さんの『古典注釈入門―歴史と技法』(岩波書店、2014年10月)は、日文学を学ぶ全ての人にお勧めしたい好著である。想像以上に、わかりやすく、読みやすい。「古典注釈」の概説をこのように平易に書くのは、簡単なことではないと思う。学部や大学院の注釈を旨とする演習の入門編として、是非学生に読ませたい文献である。 中でも、私は第一部「注釈とは何か」が優れていると思う。 古典を読むときに、我々はどこかで違和感を覚える。その違和感を共感へと導くのが注釈の機能だと説く。鈴木さん

  • 芭蕉展・後期: 忘却散人ブログ

    わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 柿衞文庫の芭蕉展。俳文学会の2日目は、バス1台で研究者の方々が大挙して観覧に訪れたということで、こんなに柿衞に研究者が集ったのは見たことがありません!とは、学芸員Nさんのお言葉でした。 すでに展示は後期に入っています。前期とは全て入れ替えというのは当でした。前期は最初に目に飛び込んできたのが「枯れ枝に」の芭蕉画くところの烏でしたが、今回は、「とうせいはせを」の仮名署名。ほかに、Nさんが俳文学会で発表した新出書簡群などなど、あ、芭蕉が写した「薗太暦」も展示されていました。

  • 松尾芭蕉と奥の細道: 忘却散人ブログ

    わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 週末の関西学院大学での俳文学会は、土曜日だけ顔を出した。日曜日には柿衞文庫の芭蕉展に、学会員が大挙して訪れたよしである。学会では柿衞文庫学芸員の根来さんの新出芭蕉書簡についての発表もあったから、より親しく芭蕉真蹟に触れられたのではないかと思う。 ところで学会で、大垣の奥の細道結びの地記念館の大木さんにご挨拶された。次の学会は大垣だそうで、それもあっておみえだったのかしらん。12月のことをよろしく、などと念を押されてしまった。身の程もわきまえず、芭蕉がらみで話をすることにな

    arcade00fire01
    arcade00fire01 2014/10/21
    柿衛の展示はよかった
  • 西鶴の授業をやるので、中嶋隆さんの概説を読んでみたら、これが: 忘却散人ブログ

    わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 後期に西鶴のテキストを読む授業を行うということで、西鶴研究の最新の入門書はなんだっけ、と改めて書棚を見ると、『21世紀日文学ガイドブック④ 井原西鶴』(中嶋隆編、2012年)が目に入る。このなかの執筆者のおひとりである森田雅也さんに送っていただいたものである。一通り目を通したつもりだったが、総論や研究史概説などは、この時の関心からして、読んでいなかったようだ。それを執筆しているのは編者の中嶋隆さんである。 で、「西鶴研究案内(浮世草子)」と、そっけないタイトルで書かれて

  • 合評会: 忘却散人ブログ

    わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 『上方文藝研究』第11号合評会。合評会前に改めて各論文を読み、いろいろ認識を新たにした。 濱田啓介先生の西鶴研究展望である「外濠を埋めてかかれ」の「西鶴は課して解く人」に改めて感銘する。「それは当たり前のこと」という人もいたが、西鶴にこそ最もこの言葉が当てはまるという意味でやはり噛みしめるべき言葉だと思う。福田安典さんの『好色一代男』「おもくさ」考については議論百出。注釈の方法とは?、論文のあるべき書き方とは?を考えさせられた。山田昇平さんの『以敬斎聞書』における四仮名に

  • 「想い出の論文」は後ろから読む。するとしびれる。: 忘却散人ブログ

    わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 『近世文藝』100号(2014年7月)。特別企画の「想い出の論文」を全部読む。実に興味深く拝読した。おそらく年齢順に掲載されているのだろうが、若い方の方から読んでいくと、歴史を遡っていくようで面白かった。特に中森康之さんと井口洋先生、濱田啓介先生の文章に感銘を受けた。中森さんのは、中森さんの領である思弁的な考察、「ど真ん中」で学会に挑み、近世文藝に採用された話である。発表後、上野洋三先生にご感想を伺ったことのある、私の中でも記憶に残る発表である。井口洋先生は『堀川波鼓』

  • エッセイから読む『雅俗』13号: 忘却散人ブログ

    わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 『雅俗』13号が到来。古い友人が訪ねてきてくれたような、ほっとする気持ち。まずエッセイから読む・ 師匠の連載は、先生の「先達」からいただいた、お教えの手紙を紹介していくものであるが、今回は中村幸彦先生・野間光辰先生・浜田義一郎先生。『洒落大成』企画のことや、先生の九大着任のことなど、興味深い。 田中道雄先生のエッセイ「竹の子の皮をはぐやうに」とは、中村幸彦先生のお言葉である。田中先生が中村先生から何を学ばれたかが記されている。この中で、背筋が思わずピンと伸びる言葉があっ