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2014年10月17日のブックマーク (7件)

  • 徒然草第68段は絶対におかしい

    普段大根を体にいい薬だとして毎日2つずつべている押領使がいた。 ある日そこに敵が現れたんだが、勇敢な2名のつわものが突如現れて敵を撃退した。 押領使は何者か? と二人に問うと、「普段べていただいている大根でございます!!」と言って去って行った。 ああ? これぜってーおかしいだろ。 健康のためにべているご利益が、なんで敵兵を撃退するつわものとして登場するんだよ。 押領使が病気になった時に、二人の美少女(それぞれタイプが違う!初代プリキュアみたいな!!!!!!!!!!)が来て、 一生懸命看病してくれる、ってなら理解できる。よくわかる。 けれど物理的なピンチを助けちゃダメだろ。 と考えるのが平成人の考え。14世紀人はこれでいいのだ。未来人はこれをまたどうかんがえるだろうか。 こういう意味でも古典ってのは面白いのだ。

    徒然草第68段は絶対におかしい
  • 『苦桃太郎』(ニガモモタロウ)という本が読みたい。 | レファレンス協同データベース

    インターネットで“苦桃太郎”を検索すると大阪国際児童文学館のHP(日の子どもの100選 1868年~1945年)で尾崎紅葉著『鬼桃太郎』(博文館 1891年)というが見つかった。改題を読むと、苦桃太郎とはこの物語の主人公の名前らしい。 『鬼桃太郎』の内容 桃太郎に成敗された鬼たちが、川で苦桃を拾うとその中から苦桃太郎があらわれ、毒龍、大狒 狼を家来に桃太郎に復讐しに出かける。 という桃太郎のパロディ。 当館OPACで“鬼桃太郎”を検索すると以下の資料がヒットした。 『名著復刻日児童文学館 第1集‐(1)』(博文館 1979年) *明治24年刊の復刻 利用者にこのを見てもらい、お探しのであることが判明。

    『苦桃太郎』(ニガモモタロウ)という本が読みたい。 | レファレンス協同データベース
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • 47NEWS(よんななニュース)

    農産物よ、おまえもか―。野菜にも及び始めた値上げの波 価格高騰は勘弁、でも農家廃業も避けたいジレンマに消費者104人が出した答えは

    47NEWS(よんななニュース)
  • 京都新聞

    京都市右京区の片山正惠さん(69)は今春、40代半ばになる長男がサクランボの軸を口の中で器用に結ぶのを見て、懐かしい気持ちになった。なぜな…

    京都新聞
  • お金がなければ恋愛できない社会。 - シロクマの屑籠

    若者が草化した当の理由 - Willyの脳内日記 リンク先では、若者が恋愛志向でなくなった理由として、「経済的に貧しくなったからだ」と断言している。若者の行動に経済事情が大きく関わっていることを否定する必要は無いが、それを「当の理由」として「断言」するのは語調が強すぎる、と感じた。 例えば、アジアやアフリカの途上国を思い出してみてほしい。途上国の若者は、現在の日の若者と比較してさえ、経済的には貧しい。もし、経済的な貧しさが若者の草化の鍵だとしたら、貧しい国々の若者こそ草化していそうなものだ。 あるいは過去の日。さだまさしや中島みゆきが流行していた頃の日は、もっと若者が貧しかったはずだ。独り暮らしといえばバストイレ共同の木造アパート、現在の基準からすれば不便な(ときには不潔な)生活をしていた頃、草系の若者は流行していただろうか?そうではあるまい。恋愛結婚の機運が高まるなか、

    お金がなければ恋愛できない社会。 - シロクマの屑籠
    arcade00fire01
    arcade00fire01 2014/10/17
    うーん。。。
  • 山陰中央新報 - 益田家文書 400年ぶり“里郷” グラントワで初公開

    約400年ぶりに益田市に戻ってきた古文書「益田家文書」に見入る来館者=益田市有明町、島根県芸術文化センター・グラントワ 中世に益田市一帯を治めた豪族・益田氏の古文書「益田家文書」が、約400年ぶりに東京から益田へ里帰りした。当時の地方の政治や経済、文化の実像を克明にあぶり出す中世以来の文書約1万8千点のうち20点が15日、同市有明町の島根県芸術文化センター・グラントワで初公開され、市民や歴史ファンが見入っている。  益田氏は源平合戦で西日唯一の源氏方。鎌倉幕府から石見国ほぼ全域の所領を認められた。海の交易で栄えた現在の益田市一帯を拠点に統治したが、関ケ原の戦いの後は、毛利家の重臣として須佐(山口県萩市)に移った。文書は東京大史料編纂所(東京都文京区)に所蔵され、近世文書の解読が今も続く。  益田市は合併10周年の記念事業として初の里帰り展を企画。前期は「城と館」をテーマに11月3日まで展

    山陰中央新報 - 益田家文書 400年ぶり“里郷” グラントワで初公開