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2014年のブッカー賞が10月に発表され、オーストラリア人作家のリチャード・フラナガンさん(53)の「The Narrow Road to the Deep North」が受賞した。ブッカーは英国で最も権威のある文学賞で、オーストラリア人としては4回目だという。 フラナガンさんは、オーストラリアを代表する作家の1人だ。彼に11月はじめ、シドニーで単独インタビューすることができたので、これから2回にわたって紹介したい。朝日新聞の2面「ひと」欄でも取り上げたのだが、限られた紙面のスペースでは、1時間以上に及んだ深い話を盛り込むことができなかった。 インタビューした時の印象を言うと、フラナガンさんは非常に物静かで思慮深い印象の人だった。語り口は穏やかで、語彙(ごい)が独特で豊富。6作目となった受賞作品の日本語訳は「交渉中で、もうすぐ決まると思う」ということなので、楽しみに待ちたい。
岩橋邦枝の『評伝長谷川時雨』において、明治十二年生まれの時雨が六歳で秋山源泉学校に入学し、それが秋山校長の自宅を学校とする代用小学校で、十三歳まで寺子屋教育を受けたことが述べられている。明治十年代にはまだ公立学校が普及しておらず、代用小学校が過渡期の初等教育の場であり、そこで時雨は草双紙などの読書に熱中するようになるが、秋山の死によって学校も止め、嫁入り前の下町娘の裁縫、芸事といったしつけを受け始めた。 しかし時雨の父が弁護士だったことから、長谷川家には書生がいて、それが一高に進み、時雨たちの「大先生」になった。彼は後の明治大学総長鵜沢総明である。彼を通じて時雨は日本の古典や西洋の新しい文学を吸収し、佐佐木信綱の竹柏園に通うようになった。そこでは『万葉集』や『源氏物語』の講義があり、歌会や文章会が開かれ、時雨は本を持っていないので、佐佐木の蔵書まで読んだ。まだ下町娘にとって公然と本を読むこ
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