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2014年11月26日のブックマーク (6件)

  • 学会記(日本大学大会): 忘却散人ブログ

    わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 22・23日は日大学文理学部で日近世文学会が行われた。今回の学会は、来富山大学で行われるはずだったが、会場校の世話人であった二村文人さんが急逝され、急遽事務局の日大が会場を引き受けてくださった。開始にあたって黙祷がささげられた。 きわめて短い準備期間と、事務局のお仕事も同時に行いながら、完璧に運営されたことは驚嘆に値するといってよく、そのご尽力には当に頭が下がる。心から御礼申し上げる。 12の発表は、仮名草子・徒然草受容・源氏物語画帖をめぐる堂上文壇・俳諧短冊手

  • 『日本文学』10月号: 忘却散人ブログ

    わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 学会では発表をきくだけではなく、新刊研究書のチェック、原稿や発表を頼んだり頼まれたり、また学生を紹介したりされたりなど、いろいろなことがある。 そのいろんなことのなかのひとつ。『日文学』10月号を執筆者のお一人である井上泰至さんからいただいた。井上さんの「写軍書の機能」は、近著の『近世刊行軍書論』で扱った刊行軍書に対して写軍書を扱い、その機能についていくつかの角度から述べたもの。造による権威化、蔵書されることによる権威化、当代までの系譜の歴史的位置づけ(つまり権威

  • 八百万の神々が年に一度旧暦10月に出雲に集まる理由とは何か

    旧暦10月、日各地の八百万の神々は島根・出雲に集まり、大神のもとで人間の縁などついて「神議り」(かみはかり)という“話し合い”をするという。出雲での「神議り」をすべて終えた神々が、最後に立ち寄るのは、今年136年ぶりの造替遷宮を行なった万九千神社である。万九千神社宮司・錦田剛志氏が、謎に包まれた出雲の神事について解説する。 * * * 日の神々の総数は計り知れない。ゆえに先人たちは八百万の神と呼び習わし、畏敬と感謝の祈りを捧げてきた。全国8万の神社から参集した神々を迎えて執り行なわれる「神迎祭」に始まる出雲の神事は、わが家が代々奉仕する万九千神社で終了し、神々は各地に戻っていかれる。 そもそも八百万の神がなぜ出雲へお集まりになるのか。日各地には多くの伝承が残り、出雲に向かう理由も「縁組み」「酒造り」「奉公」「料理」「里帰り」など様々だ。一方、出雲の地では『日書紀』の国譲り神話に基づ

    八百万の神々が年に一度旧暦10月に出雲に集まる理由とは何か
  • 善光寺ってどんだけ古いの?

    勤務先用に書いたものの一部修正転載です。 前回、 善光寺のご住職でさえも絶対にみることのできない善光寺の御尊、ホントは存在しないんじゃないのぉ?という疑問に対して、その昔存在が確認されたことは あるのだということ、また、結構昔の古いものみたいなもんで、損傷がとても激しくて、うっかり外に出せないんじゃないかというおはなしをいたしました。 さてさて、それでは善光寺の御尊というのはどんだけ古いものなのでございましょうや。 善光寺の縁起では、だいたいこのようなおはなしとなっているようです。 むかーしむかし、西暦にして 602 年ともうしますから、かの聖徳太子なんかが現役でバリバリ政治をしていた時代のことですな。 田善光 (ほんだよしみつ) というひとがおりまして、信濃から都に出張したときに、いや、当時の都ってどこなんだろうというのはありますが、邦初の都城である藤原京ができるはるか 前のこと

    善光寺ってどんだけ古いの?
  • 「韓国異質論」のススメ:日経ビジネスオンライン

    隆司(おかもと・たかし) 京都府立大学文学部准教授。1965年京都市生まれ。神戸大学大学院文学研究科修士課程修了、京都大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学、博士(文学)。専門は近代アジア史。多言語の史料を駆使した精緻な考証で、現代の問題にもつながる新たな歴史像を解き明かす。主な著書に『近代中国と海関』(名古屋大学出版会、1999年、大平正芳記念賞受賞)、『属国と自主のあいだ』(名古屋大学出版会、2004年、サントリー学芸賞受賞)、『馬建忠の中国近代』(京都大学学術出版会、2007年)、『世界のなかの日清韓関係史』(講談社選書メチエ、2008年)、『中国「反日」の源流』(講談社選書メチエ、2011年)、『李鴻章』(岩波新書、2011年)、『ラザフォード・オルコック』(ウェッジ選書、2012年)、『近代中国史』(ちくま新書、2013年)、『中国経済史』(名古屋大学出版会、2013年

    「韓国異質論」のススメ:日経ビジネスオンライン
  • 学会で一大論争 江上波夫氏「騎馬民族説」が残したもの

    における最初の統一国家=ヤマト政権は、大陸からやってきた騎馬民族による征服国家だった考古学者の故・江上波夫(東京大学名誉教授)が戦後間もない時期に提唱した「騎馬民族日征服説」は、「皇国史観」に親しんでいた日人を驚愕させ、学界に論争を巻き起こした。東京大学大学院教授・小島毅氏が「騎馬民族説」とはなんだったのか考察する。 * * * 「騎馬民族説」は、1948年5月、民俗学者の岡正雄、考古学者の八幡一郎、人類学者の石田英一郎と行なった雑誌企画の座談会で江上波夫が提唱し、その後、「騎馬民族説=日国家の征服王朝説」として拡充・発展させたものだ。 その主たる根拠は、古墳時代後期(6世紀前半)になると、大和地方の古墳群の副葬品にはそれまで見られなかった大陸の影響を窺わせる馬具類が多く見られることである。江上は記紀(『古事記』と『日書紀』)にもその傍証を求め、神武東征伝承は騎馬民族が九州から

    学会で一大論争 江上波夫氏「騎馬民族説」が残したもの