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ブックマーク / higonosuke.hatenablog.com (6)

  • 「オットセイ」の語原説 - 黌門客

    今回は2年のブランクがあったが(通常は約1年間)、高島俊男『お言葉ですが…別巻(6) 司馬さんの見た中国』(連合出版)が出た。5月末に新聞の近刊予告で見かけてから、刊行されるまで心待ちに待っていた。これまでに出た別巻の目次、ならびに索引も附してある。 D.l.エヴェレット『ピダハン』について書かれたもの(pp.73-78)、頼惟勤『中国古典を読むために』の書評(pp.196-201)、「語源について」という文章(pp.101-30)などを収めている。『ピダハン』に関する文や、「語源について」は巻末の「初出一覧」に記載がないから、「書き下ろしおよび未掲載の文章」ということになる。 「語源について」で高島氏は、「語源」を冠するには「一項独立考察(随筆)方式」のものが圧倒的に多いと述べた上で、それらと一線を劃するものとして、阪倉篤義『日の語源』(講談社現代新書1978)を挙げる。この新書は、

    「オットセイ」の語原説 - 黌門客
  • ふたつの『明解漢和辞典』 - 黌門客

    谷沢永一『紙つぶて―自作自注最終版』(文藝春秋2005)に、「長沢規矩也は漢籍書誌学の権威で、また引きやすさの工夫を重ねた『明解漢和辞典』(三省堂)等の編者」(p.444,初出は1976.2.25)云々、とある*1。 また、見坊豪紀『ことば さまざまな出会い』(三省堂1983)の「明解に」項(「ことばのアルバム」)の「追記」欄には、次のようにある*2。 『明解国語辞典』(一九四三(昭和18)年刊、金田一京助監修)の名称は、『明解漢和字典』〔三省堂刊〕(原文ママ)にならったもので、提唱者は、『明解国語辞典』の共著者・山田忠雄君だった。しかし、そのころ、“明解な答弁”などという言い方はまったくなかった。『明解国語辞典』とは、「明解を与えた国語辞典」ぐらいの意味に理解していた。(p.189) 文中の『明解漢和字典』は、『明解漢和辞典』の誤記であろうが、谷沢氏が紹介した『明解漢和辞典』(三省堂)と

    ふたつの『明解漢和辞典』 - 黌門客
  • 沼本克明『濁点の源流を探る』 - 黌門客

    最近おもしろく読んだのうちの一冊が、沼克明『歴史の彼方に隠された 濁点の源流を探る―附・半濁点の源流―』(汲古書院2013)。タイトルの「歴史の彼方に隠された」だとか、「はじめに」の「日人の脳の形質の柔軟性」(p.4)だとか、なんとなく「と」の匂いを嗅ぎ取ってしまう向きもあるかもしれないが、実は高度な入門書であり、たいへんスリリングな読みものに仕上がっている。しかし、内容が専門的だということもあり、おそらく一般紙誌の書評などでは紹介される機会が少ないかとおもわれるので、ここに紹介しておきたい。 沼先生の御著書としては、『日漢字音の歴史』(東京堂出版)や「日語の語源と呉音・漢音」(吉田金彦編『日語の語源を学ぶ人のために』世界思想社)につづく一般向けの論考であり、「安田女子大学大学院の日語学講義資料として作成したものを基礎にしてなったもの」(「あとがき」p.279)というから、

    沼本克明『濁点の源流を探る』 - 黌門客
  • おせん泣かすな、馬こやせ - 黌門客

    衣笠貞之助の弟子・稲垣浩のエセー集『ひげとちょんまげ―生きている映画史』(中公文庫1981)をこないだ読んでいたら、「一筆啓上、火の用心」というタイトルの文章があり(pp.85-88)、そこに「多作左衛門の『一筆啓上、火の用心』という有名な手紙がある」(p.88)と書いてあった。これは以下、「おせん(仙)泣かすな、馬肥やせ」とつづくかの有名な書翰(国立国語研究所のこちらなど参照)だけれども、実はこの典拠には不明な部分が多いという。 新井益太郎『江戸語に学ぶ』(三樹書房2005)によれば、新井氏が山崎美成の『提醒紀談』(嘉永三年刊)を読んでいたところ、作左衛門が女に「一筆申火の用心、おせん泣すな馬こやせ」と書き送った話が『古老物語』にあると出ていたので、西尾市の岩瀬文庫に問い合わせをして入手した。しかし、「何と『古老物語』に該当する話は載っていなかった。つまりこれは山崎美成氏の思い違いで

    おせん泣かすな、馬こやせ - 黌門客
  • 「天」の字形/(承前)「必」の筆順 - 黌門客

    まず、楷書で「天」字を「上長」(一画めが二画めよりも長い)で書くか、「下長」(二画めが一画めよりも長い)で書くか、という問題について。 小学校の書写教科書は、明治初年から昭和中期まで「下長」を採用していた。しかるに、昭和の半ば以降、「上長」のほうが楷書の規範的なかたち*1となってしまった。わたしも小学低学年の時分(1988〜89年頃)、「空を見なさい。空のほうが地上よりも広がっているでしょう。だから上を長く、『天』のように書くのです」と教わった記憶がある。テストで下長の「天」を書くと、×か△かになった。 江守賢治『雪冤の記―楷書を活字どおりに書くようになってしまった経緯』(江守賢治国語国字研究所1993)には、この問題に関する重要な証言が記してある。 昭和30年代のことだったと思う。東京都で小学生の書き初め作品の募集があって、その募集規定に注意として、天の字の2画めの長いのは審査から外すと

    「天」の字形/(承前)「必」の筆順 - 黌門客
  • 「けいずかい」 - 黌門客

    「けいずかい」、ということばがある。わたしがこのことばを知ったのは、中学二年生のころ、松清張『書道教授』によってであった。当時、この語は漢字でどう書くのだろう、とおもって、辞書をひいた記憶がある。 とりあえず、『鷗外の婢』(新潮文庫1974,1978年8刷)所収の同作品から当該箇所を引く(現在同文庫は絶版*1)。 「千葉の質屋の調べから、東京に大じかけの盗品買いの組織があったんですって。盗品を専門に買うのをケイズ買いというんですってね。(略)」(p.147) この「けいずかい」、長らく戦後に生まれた俗語だと考えていたのだが、だいぶ後になって『日国語大辞典【第二版】』(小学館2001,以下『日国』)をひいてみて、それなりに来歴のある語と知った。当該項目の一部も引いておこう。 けいず‐かい【窩主買】《名》盗品と知りながら、それを売買すること。また、その商人。買主(かいす)。故買。窩主屋(け

    「けいずかい」 - 黌門客
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